社会保険の「戸籍制限」撤廃へ
―労働の流動化、多様化を背景に
国家発展改革委員会は2025年1月7日、地域間の労働移動の高まりを踏まえ、「労働市場の統一」に向けた指針を発表した。この中で「戸籍制限」の全面撤廃や、社会保険の移転・接続に関する政策の改善などを提起した。また、同日には、国家医療保障局が「労働者の医療保障権益保護強化に関する通知」を出し、勤務地の戸籍を持たないフレキシブルワーカー(フードデリバリーなど「柔軟な働き方」に従事する者)や農民工(農村からの出稼ぎ労働者)らが、勤務地で医療保険に加入しやすくした。
戸籍制度による社会保険加入の制約
中国の社会保険制度は、戸籍制度と深く結びついている。多くの地域の社会保険制度は、主に現地の戸籍を持つ住民を対象にしている。戸籍がある土地を離れて「外地」で、多様な形態で働く「フレキシブルワーカー」(中国語で「霊活就業」という。パートタイム労働者、フリーランスなど柔軟な就労形態で働く者を指す。このうち、プラットフォームを通してライドシェアの配車の運転、フードデリバリーなどに従事する者は「新就業形態」といわれる)や農民工(農村からの出稼ぎ労働者)などは、就業先の土地の戸籍を持つ労働者と同じ社会保険サービスを受けることが難しい。
フレキシブルワーカー、新就業形態、農民工などの労働者は、雇用主との間に安定した労働契約を結んでいない場合がほとんどである。雇用主は、通常の従業員に対しては「中華人民共和国社会保険法」に基づき、従業員の社会保険料を支払うことが義務付けられている。つまり、通常の従業員ならば、現地の戸籍を持つかどうかにかかわらず、雇用先の勤務地で社会保険に加入できる。しかしながら、個人請負の形態をとっていたり、労働契約を明確には結ばずに働いたりしているフレキシブルワーカー、新就業形態、農民工などの労働者は、「戸籍制限」により勤務地の社会保険に加入できない。さらに、こうした労働者は流動的な働き方をしているため、戸籍のある土地と勤務地とが一致しないことが多い。そのため、勤務地で社会保険に加入したい場合、戸籍を移動させたり、追加の手続きをしたりする必要があり、手間と費用がかかる。勤務地の戸籍を持たない、いわゆる「外地人」にとって、社会保険加入のハードルは高い。
「流動人口」の増加と党・政府の対応方針
中国では多くの労働者が戸籍のある土地を離れて働く。こうした「流動人口」は近年、急速に増加している。国家統計局「第七回全国人口センサス」によれば、2020年11月の居住地と戸籍登録地が異なる「人戸分離人口」は約4億9,277万人で、そのうち、各市の区内で居住地と戸籍登録地が異なる者を除いた「流動人口」は約3億7,582万人である。また、省を超えた流動人口は約1億2,484万人、省内の流動人口は約2億5,098万人にのぼる。こうした実態から、「社会保険の加入は戸籍ではなく、就業状況に基づくべきだ」と考えられるようになってきた。地域を越えた労働力の流動性の高まりによって、全国統一の労働市場が構築されつつある中で、政府は「戸籍制限」の撤廃、就業地での社会保険の加入問題に取り組むようになった。
2024年7月18日に中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議(20期3中全会)が採択した「中国式現代化を推進し、さらなる全面的な改革の深化を進める決定」では、フレキシブルワーカー、新就業形態、農民工らの社会保障制度を整備する観点から、失業保険、労災保険、出産保険の適用範囲を拡大し、雇用(勤務)地での社会保険加入における「戸籍制限」を全面的に撤廃し、社会保障関係の移転・継続政策を改善することを提案した。続いて、中国共産党と国務院(政府)は2024年9月15日、「雇用優先戦略を実施し、高品質で十分な雇用を促進する意見」を発表し、同様に、雇用(勤務)地での社会保険加入における「戸籍制限」の全面的な撤廃を掲げた。
こうした方針を受け、国家発展改革委員会は2025年1月7日、全国統一の労働市場を整備していくための指針として「全国統一市場構築に関するガイドライン(試行)」を発表した。公共雇用サービスの充実と全国レベルの「社会保障サービスプラットフォーム」の構築を提唱。このための具体策として、勤務地での社会保険加入にあたって障壁になっていた「戸籍制限」の全面撤廃や、社会保険の移転・接続に関する政策の改善などをあげた。
また、同日には、国家医療保障局が「労働者の医療保障権益保護強化に関する通知」を発表した。これにより、勤務地の戸籍はないが、居住証を持つ者の医療保険への加入や、常住地または勤務地の戸籍を持たないフレキシブルワーカーが医療保険に加入する際の「戸籍制限」の解除を明確にした。さらに、フレキシブルワーカーが従業員医療保険に加入している場合は、育児保険の保険料を支払うことによって、育児保険のサービスを受けられるようにするなど、育児保険についても加入範囲を拡大していく。
各地の取り組み
中華全国総工会の「第九回全国労働者状況調査」によると(注1)、2023年3月時点で中国全土での職員・従業員数は約4.02億人であり、そのうち「新就業形態」の労働者は約8,400万人にのぼる。
全国の大都市などでは、フレキシブルワーカー、新就業形態、農民工などが戸籍に関係なく社会保険に加入できる政策を整備している。ただし、加入できる保険の種類は地域によって異なる。年金保険と医療保険だけでなく、失業保険や労災保険への加入を選択できるようにしている地域もある。以下、上海市、天津市、広東省、北京市におけるフレキシブルワーカー、新就業形態、農民工などの社会保険加入条件等について、近年の動向を見ていく。
上海市は2023年4月に「フレキシブルワーカーが従業員基本年金および従業員基本医療保険に加入できる条件に関する通知」を発表し、同年5月1日から施行している。この政策では、上海市の戸籍を持つ者だけでなく、他の省や市等の戸籍をもつフレキシブルワーカーも同市で社会保険に加入できるようにした。加入資格は16歳以上で、男性は60歳未満、女性は55歳未満である。さらに、自営業者、従業員を雇っていない個人事業主、企業で基本年金や医療保険に加入していないパートタイム労働者、その他のフレキシブルワーカーなどが対象となる。
天津市では、16歳以上で国家規定の法定退職年齢に達していない、フリーランスとして働く者は、戸籍に関係なく、都市企業従業員の基本年金保険に加入できるようにした。また、フレキシブルワーカー、新就業形態、農民工などが、戸籍に関係なく基本医療保険(都市部従業員基本医療保険か都市・農村部住民基本医療保険)に加入できるようにした。さらに、他地域から天津市に来た都市および農村の未就業者は、天津市の居住証など有効な証明書を持っていれば、同市の都市・農村部住民基本医療保険に加入でき、同市の戸籍をもつ者と同等の財政補助を受けることができる。
広東省では、2021年5月に施行された「フレキシブルワーカーの企業従業員基本年金保険加入方法」により、フレキシブルワーカー(①従業員を雇わない個人事業主 ②企業で基本年金保険に加入していないパートタイム労働者 ③電子商取引、ネット配車、ネット宅配、宅配物流などの新しいビジネスモデルのプラットフォームを利用して就業し、かつそのプラットフォーム企業と労働契約を結んでいない新就業形態の労働者 ④国家および同省が定めるその他のフレキシブルワーカー)に対する戸籍による保険加入制限を全面的に廃止し、他地域の戸籍を持つフレキシブルワーカーの保険加入を容易にした。また、2022年2月1日より、法定労働年齢内で広東省において就業するフレキシブルワーカーは、戸籍に関係なく、省内の勤務地で従業員基本医療保険に加入できることになった。
北京市は2021年、新就業形態の労働者を対象とした「新就業形態の健全な発展を促進するための措置」を策定した。この措置は、電子商取引やネット配車サービス、フードデリバリーなどの新業態プラットフォームで働く労働者が「全員皆社会保険加入計画」に参加するよう誘導するものである。特に、長期間北京市で働いているプラットフォーム労働者やフレキシブルワーカーが、北京市の年金、医療、失業保険に加入できる仕組みを整えようとしている。しかしながら、2024年8月現在、北京市では依然として「戸籍制限」を撤廃していない。フレキシブルワーカーが社会保険に加入するには、①北京市の戸籍を有していること、②法定の労働年齢内(16歳~法定定年退職年齢)であること、③企業で社会保険に加入していないこと、という3つの条件を満たす必要がある。
注
参考文献
- 中国政府網、国家医療保障局、人民網
2025年3月 中国の記事一覧
- 社会保険の「戸籍制限」撤廃へ ―労働の流動化、多様化を背景に
- 重点産業の技能人材育成を強化 ―上海市
関連情報
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