タミル・ナドゥ州チェンナイのサムスンの工場で大規模スト(2):背景と労使合意
韓国家電・電子製品大手のサムスン電子のインドの工場で2024年9月に起きたストライキの背景には、日頃から蓄積された従業員の不満がある。会社側を労働条件の改善要望に適切に対応させるためには、労働組合の結成しか手段がないと従業員が考え、ストライキに発展したとみられる。紛争の終結には州政府首相の指示のもと、労働福祉・技能開発大臣らが仲介役として重要な役割を果たし、労使合意にこぎつける形となった。
福利厚生を含む広範な労働条件改善を要求
労働者側はストライキにあたって、次に挙げる20の要求項目を会社側に提出した(注1)。
- (1) 3年間で合計3万6,000ルピーの昇給(引き上げは、2024年に70%、2025年に15%、2026年に15%の割合で配分)。
- (2) 勤続年数に応じた昇級。勤務開始年に基づいて勤続年数ごとに500ルピーを加算して支給。
- (3) 労働時間を1日7時間制とし、1日3交代勤務制に変更。週5日労働制の導入。
- (4) シフト手当の100ルピー増額(現行の150ルピーから250ルピーへ)。
- (5) 同一職務の賃金格差の解消。
- (6) 社員旅行の毎年の実施。工場の所在地から500 km以内のいずれかの場所への3 日間の旅行を会社主催で実施。この3日間に対して、従業員1人あたり1,500ルピーの手当を支給。
- (7) 7日間の臨時休暇の確実な取得。病欠休暇の日数を現行の10日から増やすこと。取得しなかった各種休暇は休暇の種類を問わず合算して取得できるようにすること。
- (8) 父親の育児休暇を現行の3日から7日に増やすこと。
- (9) 従業員の両親が亡くなった場合、葬儀のための11日間の有給休暇を付与。
- (10) 従業員の両親の葬祭費用の増額(現行の5,000ルピーから2万5,000ルピーへ)。
- (11) 従業員1人につき2人までの子どもの教育費として5万ルピーを支給。
- (12) 従業員の家族医療保険を現行の25万ルピーから50万ルピーに増額。従業員の医療費については、会社が全額負担とすること。
- (13) 従業員が勤務中に死亡した場合、遺族に1千万ルピーを支給。
- (14) 従業員が勤務中に死亡した場合、その従業員の適格相続人に無期雇用の職を提供。
- (15) 従業員が業務外の理由で死亡した場合、その家族に250万ルピーを支給。
- (16) 勤続手当の支給。勤続5年で1万ルピー、勤続10年で2万ルピー、勤続15年で3万ルピーなどを支給。
- (17) アユダ・プージャ(ヒンドゥ教の重要な祭日)の日に、各従業員に1万2,000ルピーを贈与。
- (18) 会社の年次記念日には、5,000ルピー相当の食べ物と贈り物を提供。
- (19) 年に1回、従業員が家族を職場に連れて来ることができるファミリーデーの開催。その際に食事と2,000ルピー相当のギフト券を提供。
- (20) 休日出勤に対して奨励金1,000ルピーを支給。
積もり積もった労働者の不満
労働者が今回のような争議を引き起こすきっかけとなったのは、日頃からの職場での処遇全般に対する不満の蓄積がある(注2)。
例えば、同社の就労時間は、午前8時から午後5時までの9時間労働(昼食休憩は40分)であるが、5時ちょうどに仕事を終えることはできず、帰宅の送迎バスの出発時刻(午後5時半)に間に合わせるためには、帰り支度に数分しかかけられない。また、本人の意向に沿わない形で残業をさせ、11時間の就労を強要されたと訴える従業員もいる(注3)。
年間20日の個人休暇と7日の臨時休暇を取得する権利があるが、必ずしもこれらを利用できるわけではない。家族が亡くなった際に、葬儀のための特別休暇を十分に取得できない。忌引き休暇中に上司から電話があり、「何日後に仕事に戻る予定か」と尋ねられたことに憤る従業員もいる。
従業員の業績評価は、上司の裁量でAからEのカテゴリーに分類されるが、多くは何ら説明もなく不当に「E」の評価を受け、毎年の昇給が最低の1,000ルピー程度になることを不服に思う従業員も少なくない。
さらに、工場内での上司の態度に不満を抱く者もいる。従業員全員は氏名を記載したIDカードを制服に着用しているが、勤続年数が長い従業員に対しても、直属上司の韓国人エンジニアは決して名前で呼びかけることはなく、日常的に「エイ」という声しかかけられず、人として敬意を払ってほしいと感じている。
始業時間に遅刻するとペナルティとして生産ラインから外され、1時間立たされて晒し者扱いにされ、屈辱的だと嘆く従業員もいる。
CITUによると、労働者は製造工程内で時間的なノルマが課されており、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの各製品の各自の工程で10~15秒以内に仕上げるよう圧力をかけられており、4~5時間連続で休みなく働き、危険な環境で就労している(注4)。これに対して会社側は、すべての法律と規制を遵守していると主張している。従業員はベルトコンベアを流れる製品に、担当する部品を組み付ける作業をしており、指摘されている時間内で製品を完成させることを求めてはいないと反論。また、従業員は規則に従って適切な休憩を取っており、4時間連続で働かされているという主張も否定している。
これら様々な不満が積もり、組合の結成は労働者の要望に対する使用者の真摯な対応を求めるために不可欠な手段だとしている。CITUがサムスンの労働者を支援するきっかけになったのは、以前、職場改善の要望を出したテレビ事業部門の従業員が、専門知識のないエアコン事業部門に異動させられ、上司からの質問に対応するために何時間もの間、部屋に一人で待たされたことを不服とした事例があったからだとしている。その従業員は休暇の取得を上司から拒否され、残業を強要され、同僚から孤立した状態に追い込まれたという。CITUは、サムスンの労働者にとって、このストライキは労組結成の問題というよりも、労働者としての基本的権利の問題だと強調している(注5)。
州政府の仲介による和解交渉
ストは1カ月以上続いたが、10月初旬から州政府が仲介する形で「調整会議」が行われた。タミル・ナドゥ州のスターリン首相が、公共事業大臣、中小零細企業大臣、労働福祉・技能開発大臣、産業大臣に対してストライキをできるだけ早く解決するよう指示したことにより実現した会議である。10月9日の調整会議で、会社側は賃金の引き上げなどの労働条件の改善については同意したが、労働組合の登録の承認については受け入れなかったため、会議は不調に終り、争点として残された(注6)。
10月15日に改めて調整会議が行われ、会社側はいくつかの譲歩に同意し和解合意書が提出された。この合意書に同社労働者の一部が署名した(注7)。
ただ、この調整会議への出席と合意文書の署名には、CITUやSIWUのメンバーは参加しておらず、先に挙げた労働者委員会と会社側が合意文書に署名したものだった。
この時点でCITUは最終合意できたとは認めていなかったが、翌日のSIWUとの総会での決議を経て最終決定される予定だとした上で、政府と会社側が示した提案は、主要な要求をすべて満たしているとの見方を示した(注8)。CITUは調整会議の翌日にSIWU加入の労働者と総会を開き、この労使合意への同意の可否を組合員に問い、合意を得る決議がなされた(注9)。そして1カ月以上続いたストライキは、10月16日に労使双方が労働福祉・技能開発省の提示した助言を受け入れるかたちで終結を決定し(注10)、労働者は翌17日に職場復帰した(注11)。
会社側と「労働者委員会」の合意内容は以下の通りである(注12)。
- (1) 2024年10月から2025年3月まで毎月5,000ルピーの「生産性安定化インセンティブ」を提供(これは2025-26年度の年次賃金上昇と合わせて考慮される).
- (2) 従業員の福利厚生のため、労働環境を改善する具体的な措置の実施を最優先に位置づける。
- (3) 従業員が勤務中に死亡した場合、遺族に10万ルピーの追加的な即時援助を提供。
- (4) エアコン付き送迎バスの運行を現行の5路線から来年までに全108路線に拡大。
- (5) 従業員の家族を招待するイベントの回数を年間4回から6回に増やす。各イベントでは、参加した家族に約2,000ルピー相当のギフトを提供。
- (6) コンプレッサー棟内に新たな医務室を開設。
- (7) カフェテリアメニューの多様化を図るとともに、食事手当を増額。
- (8) 製造棟内の休憩室およびトイレを改修。さらに、生産ライン内の古いロッカーを交換。
- (9) 建物間の歩行による移動の必要性を認識し、建物間に屋根を設置。
- (10) 労働者が取得できる休暇日数を増やす。
- (11) 出産時の24ドル分のギフトカード支給(注13)。
また、併せて次の事項についても労使双方で確認した。労働者は全員職場に戻ること、ストライキに参加したことを理由とする不当な取り扱いをしないこと、違法ストライキに参加した労働者に対する処分を行わないこと(注14)、職場復帰した労働者は経営陣に協力すること、経営陣の利害を損なうような行為をしないこと(注15)、である。
労働組合承認に関しては、合意文書では触れられていないが、州政府が組合の登録を支持すると表明し(注16)、これによりCITUはすべてのストライキ活動を停止することに同意した。また、マドラス高等裁判所で係争中のため(注17)、双方は司法の判断を待つことに合意した(注18)。
ストライキは37日間にわたって実施されたため、その損失は約1億ドルにのぼるとされている(注19)。しかも、タミル・ナドゥ州政府にとって都合の悪い時期に行われた。というのは、スターリン州首相が9月にアメリカを訪れ、同州が世界の投資家にとって有望な地域だと売り込み、一連の投資契約に署名したところ(注20)に大規模の長期ストライキが発生したからである。州政府が仲介に乗り出した背景の一つに、こうした投資に対する不安を払拭したいという思惑もあるとみられる。
注
- Samsung workers’ protest enters second month: What are the demands of the union?
Korah Abraham, Sukanya Shaji, The News Minute, October 12, 2024.(本文へ)
- Samsung workers in Sriperumbudur continue strike, call for recognition of union and self-respect
, Nirupama Viswanathan, New Indian Express, September 23, 2024.(本文へ)
- Protesting Samsung workers to approach court if police prohibits their strike, says Tamil Nadu Trade Union Secy
, Economic Times, September 23, 2024.(本文へ)
- Why hundreds of Samsung workers are protesting in India
, Cherylann Mollan, BBC News, Mumbai, September 19, 2024.(本文へ)
- Why Samsung workers’ labour strike near Chennai has entered its second month
, Arun Janardhanan, Chennai, Indian Express, October 11, 2024.(本文へ)
- Samsung employees strike: Government announces withdrawal of strike; union says final decision on October 16
, The Hindu, October 15, 2024.(本文へ)
- 前掲注1参照。(本文へ)
- 37-day strike by workers at Samsung's Sriperumbudur unit finally ends
, Shine Jacob, Chennai, Business Standard. October 16, 2024.(本文へ)
- 前掲注8参照。(本文へ)
- 前掲注6参照。(本文へ)
- Samsung employees end over month-long strike
, Vaitheeswaran B, Times of India, October 16, 2024.(本文へ)
- 前掲注1参照。(本文へ)
- Samsung India workers reject settlement offer as strike enters 2nd month
, Economic Times, October 9, 2024.(本文へ)
- ストライキの合法・違法については、インド連邦法の労働争議法第22~24条に規定されている。例えば、調停手続き中と調停手続き終了後7日以内に行う場合、労働裁判所、産業審判所、全国審判所での仲裁手続き中と仲裁手続き終了後2カ月以内に行う場合、任意仲裁手続きや任意仲裁手続き終了後2カ月以内に行う場合、調停や仲裁裁定上で紛争対象になっている事項が有効な期間中に行う場合である。ただ、労働に関する法令は連邦政府と州政府の共管になっているため、州法で定めた規定が適用される場合もある。また、違法かつ不当なストライキと合法かつ不当なストライキの判断はケースごとの態様によって司法等の場で判断される。座り込みやピケッティングもケースによっては不当と判断される場合もある(香川孝三(2016)「第6章 労使関係」『インドの労働・雇用・社会』労働政策研究・研修機構、206~209頁、香川孝三(2011)「インドにおける ストライキ中の賃金問題」『労働法がめざすべきもの』(渡辺章先生古希記念論文集)信山社、97~125頁等を参照)。(本文へ)
- 前掲注6参照。(本文へ)
- 前掲注8参照。(本文へ)
- 前掲注6参照。(本文へ)
- 前掲注8参照。(本文へ)
- Suffered loss of $100 million due to workers’ strike, Samsung tells Madras High Court
, The Hindu, October 22, 2024.(本文へ)
- 前掲注5参照。(本文へ)
(ウェブサイト最終閲覧:2024年11月25日)
参考レート
- 1インドルピー(INR)=1.83円(2024年11月26日現在 みずほ銀行ウェブサイト
)
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