硬直的な労働者保護法制とグローバル競争下の企業経営(2)
―インドに進出した日系企業での労使紛争処理
香川 孝三(大阪女学院大学)
7. 問題点の整理
以上のマルチ・スズキの労使紛争の経過から、いくつかの問題点を整理しておこう。
(1)マネサール工場での労組設立の承認問題
この事件のきっかけはマネサール工場の労働組合を承認するかどうかであった。経営側はグルガオン工場で結成されているMSKUに加入することを望んでいたが、マネサール工場の労働者はそれを拒否して、別の組合を結成した。MSKUはどの上部団体にも所属していないし、外部の指導者が組合運営にかかわっていない。かつてグルガオン工場にはINTUCに加盟していた労働組合があったが、解散して新たらしく企業内組合としてMSKUが組織されていた。ところがマネサール工場の労働者はMSKUを御用組合と見ていた。長い間役員選挙はなく、経営側が対応しやすい組合という評価がなされていた。経営側はMSKUの支部として結成されることを期待していたが、それをマネサール工場の労働者は拒否して、新しい組合を結成した。
組合登録はインド労働組合法によって定められている。2001年の改正(2002年9月1日施行)によって、100名または労働者の10%(ただし少なくとも7名以上)の最低組合員数で組合を結成でき、登録が可能になるが、その登録するかどうかは任意である。登録されなくても組合としての活動はできる。つまり登録されなくても違法な団体にはならない制度になっている。しかし、この事件ではハリヤナ州の組合登録官によって登録が認められないことが組合に不利に働いている。登録が認められないことによって経営側が団体交渉の相手と認めない口実に利用されている。したがって実質的に組合登録が強制される実態になっている。現段階ではMSWUは2012年7月18日の人事部長の死亡という衝撃的な事件のために組合登録が取り消されている。そこで暫定的委員会がその後の活動を実施せざるを得なくなっているのも、登録が事実上強制されていることを示している(注10)。
しかし、組合登録と使用者が当該組合を団体交渉の相手として承認することとは直接繋がっていない状況にある。インドの中央段階でも、グジャラート、マハラシュトラ、西ベンガル、アンドラ・プラデシュ、オリッサ州を除いて他の州でも組合承認に関する法律上の規定はない。マネサール工場の立地するハリヤナ州法にも組合承認の規定はない。登録された組合が承認を受けるという規定は存在しない。ハリヤナ州では組合の実力で使用者から承認を取り付けなければならない。使用者側は登録をされていないことを承認しない根拠に利用している。そこで、登録されることが承認の前提条件とされている実情が伺える。
(2)外部労組指導者の存在
組合活動を指導する役員に企業籍を持たない外部のプロがいることが、日本の企業内組合とは違っている。この点が日本企業にとっては理解しがたい点である。日本では企業内組合の役員はその企業の労働者から選ばれるのが通常である。しかし、インドでは外部者の役員が存在している。これは企業の労働者から役員が選ばれる場合もあるが、それだけでなく外部者が活躍し、指導的地位にいる場合が多い。組合員が多ければ外部の役員に報酬を支払うことができる。しかもそれらの外部者は特定の政党とつながっていたり、特定の政治家とつながっている場合がある(これを政治的組合主義と呼んでいる)(注11)。外部の役員はその力量を組合員に示さないと役員を続けることができないので、組合活動を可視化するために過激な運動になりがちな傾向になっている。2001年の改正インド労働組合法(2002年9月1日施行)は役員の3分の1か5名のうち、どちらか低い数までの部外者を認めている。企業の従業員からのみ役員を調達できない現状を考慮した結果定められた制度である。(それまでは2分の1であったが3分の1に下げられた。しかし、非組織部門の場合には2分の1まで外部者を認めている)。
外部の指導者は上部団体の役員であることが多い。マルチ・スズキではグルガオン工場のMSKUはどの上部団体にも所属していない。企業でヒヤリングをすると、経営側は組合そのものがないことを望む傾向にあるが、それは結社の自由を侵害することになるので、次の策として上部団体には加盟しない企業内組合を望んでいる。これは組合のナショナル・センターの影響の低下と独立組合の増加をもたらしている。つまり、企業内での活動に集中する組合が増加していることを意味する。MSKUはそのような組合である。これに対して、マネサール工場のMSWUは上部団体としてAITUCに加盟し、その指導を受けている。経営側は外部勢力が入ることで組合が過激な活動をおこなうのではないかと恐れを抱く。この事件では、AITUCと関係するインド共産党より過激な左派であるインド共産党(毛沢東主義派)が関わっていたのではないかという疑いさえ囁かれた。しかし、州政府の発表では、この証拠がみいだせなかった。今後のインドの組合組織化の動向を知る上では、この事件は貴重な素材を提供してきた事例と言えよう。
さらに、MSWUは正規労働者によって組織された組合であって、請負労働者は加入していない。しかし、MSWUは請負労働者の処遇にも関心を持って運動している。これはなぜか。インドでは地縁、血縁、カーストによる繋がりが強く、正規労働者と請負労働者間に跨る人的繋がりが、正規労働者と請負労働者の利害の対立よりも強く存在するからではないかと思われる。マルチ・スズキは優良企業なので、ぜひともそこで働きたいと思っている者が多く、親類縁者が入社すればそのつてでなんとかそこで働こうとする傾向が強い。その結果、正規労働者ではなく非正規労働者として働く場合もでてくるからである。そのために企業側は同じ地域からの出身者で固まることをおそれて、あえて様々な地域の出身者から採用しようとしているのも、そのためである。
(3)製造部門での請負雇用の増大
インド自動車工場で請負労働者を間接部門で雇用しはじめたのは1990年代の後半からであった。社員食堂や敷地内の庭園の管理、清掃などに雇用されていた。それが組立ラインのような製造部門にも請負労働者を雇用しはじめたのは2000年代であった。請負労働者が多く雇用されているのは、企業間競争を勝ち抜くために人件費をできる限り少なくするためである。さらにインドでは解雇や人員整理が法律上難しい状況にあるために、景気の変動に対応するために容易に調節できる人材が不可欠であり、そのために請負労働者やパートタイマー、臨時労働者が雇用されている。
レイオフ、経済的理由による解雇(整理整理)、事業所閉鎖について労働争議法によって規制がなされている。その25F条によると、年平均100人以上雇用する事業所、月間の平均労働者50人以上で年間平均100人未満の事業所、月間50人未満の事業所または季節性や断続性のある事業所の3種類に分けて規制をしている(注12)。最初の類型の場合には、3か月前の予告と労働行政当局の許可を得る必要がある。政府の許可が必要になったのは1976年改正に基づくが、その時は300人以上の事業所が対象であったが、1982年の改正で100人以上に下げられた。この許可を得るには時間を必要とし、容易に許可を得られないとされている。そのために正規労働者を減らして、請負労働者やパートターマー、臨時工を増加させて、雇用調整をやりやすくする方法が選択されている。
そこで労働争議法を改正して労働市場の硬直性を緩和すべきであるという議論が経営側から出されている(注13)。日本でも解雇や人員整理が難しいために、非正規労働者を雇用せざるを得ないので、解雇規制を緩和すべきであるという議論があるが、それと同じである。しかし、インドでも解雇や人員整理の規制緩和には組合が反対しており、実現はしていない。解雇されてしまうと容易に再就職先を見つけることが困難であり、フォーマル・セクターからインフォーマル・セクターに移動せざるをえなくなるからである。
マルチ・スズキでは組立ラインには直接雇用する労働者が従事し、請負業者からの請負労働者の雇用を直接雇用に切り替え、最終的には正規労働者を8割、請負労働者を2割にもっていくという計画を発表している。
(4)労働者の不満要素 正規と請負の格差問題
これまでマルチ・スズキは管理職と労働者が同じ食堂を利用すること、同じ制服を着ていることなどの日本の労務管理方式を導入してきた(注14)。しかし、それだけでは労使協調関係を維持することが困難であることを示している。この事件が発生した大きな要因は、労働者の間に不満が溜まっていたためではないかと思われる。その不満点をいくつか上げておこう。
1つは現場で働く請負労働者と正規労働者の賃金や福利厚生の格差が大きく存在し、請負労働者の不満が溜まっていた(注15)。インドの経済発展によって車を購入できる中産階層が増えてきているが、車の生産に従事している労働者はまだ車を購入できる状況にないことへの不満が蓄積している。
正規労働者の場合、賃金額は平均月17000―18000ルピーであったが、請負労働者は月6000-7000ルピー(2012年)であった。同様な仕事をしていても2-3倍も正規労働者の賃金が高い。請負労働者の賃金は請負業者から支払われるが、請負料金から手数料(平均8%)やマルチ・スズキという優良企業で働くにあたって業者に支払わざるをえない謝礼を控除されるし、さらに請負労働者は日給であり、月に15-25日働くだけなので、低額とならざるをえない。福利厚生についても請負業者から請負労働者に提供されるものであるが、正規労働者に提供されるものと比較すれば乏しい内容になっている(注16)。
2つ目は賃金額への不満があったのではないかと思われる。マルチ・スズキは市場の半分近くを占める販売実績をもっているが、一方インフレ率が高く、賃上げ率がそれを下回っていることから、生活への不安があったのではないかと思われる。農村から出稼ぎに来ている者はアパートを借りてルームシェアをして生活しているが、工場進出ラッシュのためにグルガオン地区の土地が値上がりし、家賃も上昇している。正規労働者にとっても生活の不安を持っているし、請負労働者も家賃の負担が大きくなっている。会社側は社員寮を建設することを検討しているが、それはもちろん正規労働者のための寮である。
グルガオン工場では2012年9月に、4月にさかのぼってそれから3年間、正規労働者に対して平均賃金1か月1万8000ルピーを支払うという協定が締結された。基本給は1か月平均1万4800ルピーであり、通勤手当が1200ルピー、物価手当を含む諸手当が月1000ルピー増加して2000ルピー、さらに最大12日間の医療休暇が認められた。これは団体交渉によって合意がえられ、協定をハリヤナ州労働省職員の前で署名がなされた(注17)。経営側はマネサール工場でも同じ協定を締結することを考えていたと思われる。
日本の労働者と比べて、インドの労働者は自分の賃金へのこだわりが強く、他の労働者の賃金と比べて正当な額となっているかにきわめて敏感である。お互いに賃金表を見せ合い、他の労働者との比較をおこなっている。日本では見せ合うことはめったにない。自分の働きと見合った賃金額であるかどうかに強い関心を持っている。したがって、賃金格差がある場合には企業側はその根拠を示さなければならない。その根拠への苦情が示される場合がある。
3つ目は仕事のやり方への不満があったのではないか。たえず生産性の向上を求められ、それをストレスと感じていたのではないかと思われる。農村からグルガオンに出稼ぎにきている労働者が多く、規律を持って働くことに慣れていないことと、アセンブリー・ラインで働く場合、流れ作業で時間に追われて仕事をすることを余儀なくされるが、それが大きなストレスとなっている。正規労働者の賃金にも奨励給はストレスになっており仕事のミスをすれば大幅にカットされることが大きなプレッシャーになっている。
(5)政府の大きな役割
労使紛争解決に果たす政府の役割が、この事件を通じて大きいことが分かる。ハリヤナ州はデリーやニューデリーの郊外に位置し、工業地帯として豊かな州に変貌している。グルガオンに工業団地を設けて企業を誘致している。マルチ・スズキのグルガオン工場はその誘致した企業の中でもっとも成功した事例である。
州レベルでの争議調整機関があり、本件でも労働争議法に基づく調停をおこなってきている。労働争議法では企業内での苦情処理委員会、実情調査のため委員会、調停官による調停手続、調停委員会による調停手続、権利紛争の仲裁を担当する労働裁判所、利益紛争の仲裁を担当する産業審判所、全国的に重要な争議や複数の州にまたがる紛争の仲裁を担当する全国審判所、さらに特定の仲裁人に委任する任意仲裁手続を定めている。調停官によって紛争が両当事者の合意によって協定が締結されて解決されるが、それができない場合は政府によって仲裁に付託されて処理される。そこでは仲裁裁定が出され、両当事者はそれに拘束される。判決の執行手続によって協定や裁定は強制される(注18)。しかし、せっかく調停によって合意に達し協定が結ばれても、それが順守されないで、また紛争が生じている場合がある。そこで州首相が直接あっせんに乗り出して政治的に解決することがある。
しかし、2005年の州議員選挙で州首相についたブーピンドラ・フーダは国民会議派に属するが、今回の事件の対応をみる限り企業側の立場にたっている。国民会議派はINTUCという組合の全国組織とつながっているが、労使協調路線を堅持する組合である。マネサール工場で組織されたMSWUは国民会議派とは対抗するインド共産党とつながる組合であったことが、より企業よりの対応になったものと思われる。特に暴力的行為がなされた本件では、州警察当局も組合を弾圧する対応にならざるをえなかった。
2009年7月、タミールナド州で現代自動車の労使紛争に州首相であったM・カルナニディ(ドラビダ進歩同盟党首)が仲介に乗り出した。67名の請負労働者の解雇に対して正規労働者が抗議して35名の復職を勝ち取った事件に州首相ガかかわった。さらにグジャラート州首相のナレンドラ・モディは労使紛争の仲介に乗り出すことを表明して、工場の誘致にのりだしており、マルチ・スズキも2012年6月にグジャラート州メーサナ地区への進出を決定し、2015年操業を目指している。このグジュラート州への進出は同州のモディ首相の積極的な誘致があったが、今回の労使紛争が影響を与えたことは間違いない。
(6)周辺工場の労働者の意識
マルチ・スズキのグルガオン工場の組合や労働者の動きや、グルガオンやその周辺の組合の動きはどうであったであろうか。マネサール工場の立地する工業団地には多くの自動車関連工場が存在するし、グルガオン地区にも自動車部品工場が多く操業している。それらの組合が同情ストをおこなったり、MSWUを支援するためのデモ行進に参加している。マルチ・スズキの労働条件は周辺の自動車関連工場の労働者の労働条件に影響を与えるので、無関心ではいられないであろう。しかし、請負労働者にとっては、それに参加する層とスト破りの役割を担ってスト中の工場に雇用される層も存在しており、利害が一様ではないと思われる。
(7)日本の労組、国際労組の動き
国際的労働組合組織や日本の労働組合とのかかわりが見られたことが注目される。
自動車労組の国際組織である国際金属労連はマルチ・スズキでの紛争の状況を報道し、経営側に誠意をもって話し合うことを求めていた。日本のIMF・JCや自動車総連、さらにスズキ労組も同様の要請をおこない、仲介の努力をおこなった。産業別組織は個別企業と利害関係が深くないために、比較的に第三者的立場で行動できるので、争議の解決に参加しやすい。日本の企業内組合は進出した先の組合との日常的な交流があまりないのが現状であり、争議に係わることは少ないのが通例である。
(8)進出企業のリスクとしての争議
労働争議がインド進出へのリスクとなることが明確となったといえよう。統計によれば、ストライキは1960―1980年代に多く、1990年代以降激変している。2003年以降年間200-250件にまで減少している。しかし、今回のマルチ・スズキの争議は新たに紛争が再燃してきている兆候と見られている。請負労働者は若者が多く、その若者の間に労働組合運動が盛り上がってきている。さらに労働争議が激化して暴力的行為が見られた。その最たる事例が企業幹部の死亡である。マルチ・スズキの事例だけでなく、たとえば、2008年9月のスイス企業のOC Oerlikon社の子会社であるGraziano社、2009年9月のPricol社で企業幹部の殺人が起きている。これは投資環境としては望ましくない状況であるが、インドへ進出する場合には労使紛争への対応を覚悟でおこなうべきであろう。
労使紛争にあたって企業側が生産を妨害しないという誓約書に署名を労働者に求めている事例が多い。マルチ・スズキでは就業規則25条(3)に同様な規定を定めている。このことが労働者のストライキ権を奪うものではないことを言うまでもない。しかし、誓約書に署名しない労働者を雇用しないという取り扱いを企業側がおこなっている。その根拠は就業規則であり、それが1946年産業雇用(就業規則)法に基づき州労働省の認証を受けていることを上げている。
これはどのような効果を持っているのであろうか。労働争議法第5別表(不当労働行為)8条では、「労働者が職場復帰をする前提として、合法なストライキをおこなっている労働者に良き行為誓約書に署名を求めることは使用者の不当労働行為とする」という規定が1982年の改正で挿入されて、1984年8月21日から施行されている。この規定から違法なストライキを実施している労働者には誓約書に署名を求めることができるが、合法なストライキをおこなっている労働者には署名を求めることができないことになる。ストライキの合法・違法の判断は最終的に裁判所が決めることであり、その前に署名を求めることは使用者の不当労働行為となるかもしれないことを覚悟で使用者は労働者に署名を求めることになる。不当労働行為と判断されれば使用者は6か月未満の禁固、または1000ルピー未満の罰金、または両方が課せられるというリスクを負うことになる。
したがって、就業規則の規定は平常時において怠業やサボタージュによる企業の生産を妨害することを禁止することは有効であるが、ひとたび組合がストライキ決議をしてストライキに入った場合には、その規定は効力を持たなくなると考えられる。
(9)日系自動車会社でのストの共通点
インドでは自動車会社での労働争議がこれまで目立っているが、中でもインドに進出した日本の自動車会社での労働争議やストライキが目に付く。それらの事例とマルチ・スズキの事例とは共通点が多い(注19)。
過去において、ホンダ、トヨタでも労使紛争からストライキが起こっている。ホンダは2005年、二輪車を製造しているホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社で労使紛争がおきた。2001年5月の生産開始以来、労使協議会で労使のコミュ二ケーションを図ってきたが、2004年末ごろから組合結成の要求がうまれ、2005年2月に上部団体をAITUCとする組合登録の申請がなされた。この登録は5月末に認められた。経営側は4月に組合指導者4名を解雇、さらに問題行動のある50名を停職処分に付した。この解雇と停職処分の撤回を求めてストライキに入り、1000名あまりの労働者がグルガオン市内の公園でデモをおこない警察と衝突し、700名あまりが負傷し、70名が逮捕された。企業の中でデモをおこなったのではないので、生産設備には影響がなかった。さらに組合ヒーロー・ホンダと同じ賃金を求めたのに対して経営側が拒否したために、ストライキがおきた。ハリヤナ州首相の仲介によって30%の賃上げで紛争が収まった。ところが6月27日に経営側がロック・アウトを宣言し、「生産を阻害しないという善行誓約書」に署名する者だけを職場復帰させた。これに反発した組合はロック・アウトの違法性を主張して、解雇や停職処分の撤回を要求した。労働争議法上の争議調整機関では解決できず、ソニア・ガンジー国民会議派総裁、シン首相やハリヤナ州首相の斡旋で合意が成立して、解決した。この争議に関して、当時の榎泰邦駐インド大使が「海外からの直接投資にとってマイナスであり、日本のビジネスにとってもマイナスである」として注意を換気した。
さらに、2009年6月から同社で賃金値上げをめぐる紛争がおきた。8月からは組合が怠業によって生産を低下させ、通常の半分近くに下げた。3か月に及ぶ争議が10月になって賃金協定の締結によって終了した。それまで最低給与が月2900ルピーであったが、4400ルピーに上がった。さらに正規労働者には業績連動型賞与が加わり、1台製造されるごとに4ルピーが加算されることになった。
2001年6月に、バンガロールに立地するトヨタ・キルロスカ・モーター社(日本のトヨタの資本が89%)でストライキがおきた。試用期間中の労働者の待遇をめぐる紛争からストライキが6月4日から12日までの間おこなわれた。生産能力が10分の1まで低下した。さらに2002年1-2月にもストライキはおきている。
2006年にも労使紛争がおきた。CITUに加盟するトヨタ・キルロスカル自動車従業員組合の役員を含む15名を2004年2月に非行を理由に停職処分に付し、この件が労使関係裁判所にかけられた。そこで解決する前の2006年1月5日、会社はこの15名のうち3名を解雇した。しかし、この解雇は労働争議法33条(1)(b)に違反しているという主張をした組合は解雇に反対するために1月6日にストライキに入った(従業員2358名のうち1550名が組合員であった)。このストが労働争議法の14日の予告期間なくおこなわれたのは違法であるとして、会社は1月8日無期限のロック・アウトを宣言した。バンガロールの他の組合も「バンガロール統一労働組合フォーラム」を結成して、トヨタの従業員組合を支援した。会社は1月20日、善行誓約書に署名すれば職場復帰を認めることを組合員に通知したが、それに反対の組合員が山猫ストをおこなった。州政府はこのストを禁止し、解雇やストライキ、ロック・アウトの合法か違法かの紛争を労働裁判所の仲裁に付託した。組合は職場復帰を決定したが、善行誓約書への署名は拒否した。1月21日に会社はロック・アウトを解除したが、それでもストライキを継続した1300名あまりが逮捕された。その後会社と組合の話し合いで、善行誓約書の一部を改正して従業員が署名をすることで合意が成立して生産が再開された。このときも日本大使がインドへの直接投資への悪影響がある旨の発言をした。
このように労使紛争に伴って経営側が関係者を解雇や停職処分として、労組はそれに対してストライキを起こす、さらに経営側はロック・アウトを宣言して善行誓約書への署名を要求するといった共通点が伺える。
8. まとめ
インドのストライキ件数をみると、1980年代、1990年代と比較して2000年代が急激に減少している。件数だけを見れば組合の力が弱まったように見える。一方ロック・アウト件数を見ると1980年代、1990年代、2000年代とほとんど変化がない。ということは組合の力が低下傾向にあるのに対して、経営側が相対的に力を維持強化してきたことを示している(注20)。経済の自由化やグローバル経済が進展したことによって、ネルー元首相の指導の下で構築された社会主義的社会での労働者保護重視の政策のための規制重視から、労働生産性向上によって国際競争を勝ち抜くために規制緩和を求める動きが強まっている。この2つの動きがせめぎ合っている状況にある。前者は組合のナショナル・センター側の立場であり、後者は経営側の立場である。後者の立場が強くなってきていることに危機感を持っているナショナル・センターの1つであるAITUCがMSWUを通じて力を誇示したのが本争議である。自動車産業の中で大企業であり、インドで最も売れている小型車を生産しているマルチ・スズキでの労働争議やストライキは大きく報道されて、労働組合運動の影響力を強める効果をもたらしたと言えよう。特に非正規労働者である請負労働者を引きつけている。
これに対して、経営側はハリヤナ州当局の支援を受けて労働争議に対抗しており、生産を維持するために生産にマイナスをもたらす労働者の解雇や停職処分を繰り返している。それに対して組合が抗議のために労働争議をおこすというパターンが見られる。州政府の調停官や首相などの仲介によって妥協が生まれて、一部の解雇や停職処分の取り消しによって解決している。さらに、3年ごとの賃金改訂をめぐる問題、正規労働者と請負労働者との労働条件の格差問題から労働争議やストライキが生じている。これらも企業内での当事者間の団体交渉より州の調停や首相の政治的判断による介入によって処理されているのが現状である。
注
- インドの組合の推定組織率は1980年で2.5%、1989年で4.3%、2002年で6.3%となっている。現在は6-8%ぐらいであろうと推測されている。これはナショナル・センターの組合員数を政府が確認をして出した数字をもとに算出している。したがって組合なしの企業が多く存在している。Pong-Sul Ahn, “The Growth and Decline of Political Unionism in India-The need for a Paradigm Shift (PDF:604.9KB)”, International Labour Organization, 2010, p.12を参照。
- INTUCは国民会議派系、AITUCはインド共産党系、BMSはインド人民党系、UTUCは革命社会主義者党系、UTUC-LSはインド社会主義統一センター系、CITUはインド共産党(マルクス主義者)系、HMSは特定政党と関係を持たないが、社会主義政諸党を支持、TUCCは全インド前線ブロック系、AICCTUはインド共産党(マルクスーレーニン主義者)系、NFITU-DHNはジャナタ・ダル系と関わっている。Pong-Sul Ahn, 2010, p.22を参照。
- 厚生労働省大臣官房国際課海外情報室編『2011-2012年海外情勢報告』、「第1章インド(PDF:682.6KB)」37―38頁、2013年3月
- 太田仁志「インドの労働経済と労働改革のダイナミズム」内川秀二編『躍進するインド経済―光と陰』126頁―167頁、2006年
- Raja Venketaamani, “Japan Enters Indian Industry- The Maruti Suzuki Joint Venture”, Stosins Inc/Advent Books Division,1989
この文献の書評は、香川孝三『評論・社会科学』同志社大学人文学会、44号、107頁、1992
竹内幸史「インド進出30年、スズキの挫折に学ぶ教訓」、R.C.バルガバ(島田卓訳)『スズキのインド戦略』中経出版、2006年12月、56頁 - 木曽順子『インド開発のなかの労働者―都市労働市場の構造と変容』日本評論社、2003年、木曽順子『インドの経済発展と人・労働』日本評論社、2012年
- 朝日新聞「募る契約工の不満」2012年8月19日4面
- “Maruti hikes salaries of Gurgaon plant workers by Rs. 18,000 pm”(1)(2)
- 労働争議法に定める争議調整手続は裁判外紛争処理手続であるが、それ以外に労働争議を処理する方法としてパンジャブ州で始まった人民労働裁判所(Lok Labour Adalats)がある。これはコミュ二ティー・レベルにおける労働争議に有効な解決方法とされている。農業労働者に未払い賃金があるとか最低賃金を支払っていない場合に、人民労働裁判所で処理することがある。人民裁判所では労働争議事件だけでなく、土地紛争、自動車事故から生じる紛争、家族紛争、軽微な刑事事件、消費者保護をめぐる紛争、電話料金をめぐる紛争、住宅ローンをめぐる紛争、銀行への返済をめぐる紛争などを迅速簡易に和解によって処理することに利用されている。1987年法律サービス法に基づき、人民裁判所の和解によって紛争は最終的に解決し、民事裁判所の判決と同じ効力を認められている。訴訟費用は無料で弁護士なしでも訴えることができる。Anupam Kurlwal, “An Introduction to Alternative Dispute Resolution System ADR,” Central Law Publications, 2011, p.245
- 労働政策研究・研修機構「ホンダ子会社の労使紛争―その背景にあるもの」、森尻純夫「インド最前線65回 日本企業とインド労働者の現在 2005年08月」東京財団 ニュース
- 木曽順子「インド労働事情―労働市場の変化と労働運動(PDF:394KB)」『労働調査』517号24頁、2013年3月、 日本労働研究機構編『インドの人的資源管理』日本労働研究機構、1998年12月、46頁
(ホームページの最終閲覧:2013年7月30日)
参考レート
- 1インドルピー(INR)=1.47円(※みずほ銀行ウェブサイト2013年8月28日現在)
2013年8月 国別労働トピック:インド
- 硬直的な労働者保護法制とグローバル競争下の企業経営(1)
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関連情報
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