域内の他国労働者の権利保護へ体制強化を
―欧州委、指令案を採択
欧州委員会は4月、EU域内の他国で働く労働者の権利保護の枠組みを整備する指令案を採択した。出身国を理由とした雇用や賃金の差別は禁止されているにもかかわらず、各国の法制度や慣行には差別や障壁が依然として存在しているとして、新たな指令案は、権利保護の有効な実施体制の整備を加盟国に求めている。
各国に依然として差別や障壁
加盟国労働者の域内における移動の自由は、欧州連合の機能に関する条約によって保障されたEU市民の基本的な権利であり、雇用、報酬、その他労働条件に関して出身国を理由に差別されない権利を保障するとともに、正当化できない障壁を排除すべきことが定められている。またEU基本権憲章は、全てのEU市民に域内での求職、就労、事業設立及びサービス提供の自由を認めている。さらに、労働者の移動の自由に関する規則(注1)は、他の加盟国からの労働者に権利が保障されるべき具体的な領域として、雇用へのアクセス、労働条件、社会的および税制上の扶助・優遇、職業訓練へのアクセス、労働組合への加入、住宅、子供の教育へのアクセスを挙げている。欧州委によれば、他の加盟国で働く労働者(自営業者等を除く)は2012年に660万人、域内の人口の3.1%を数える(図表)(注2)。
図表:加盟国間の労働移動の状況(2012年、千人)
注:自営業者及び国境を越えて通勤する者を除く。なお、ブルガリア、リトアニア、ルーマニアについては他国からの労働者数は不明。またマルタに関する他国での労働者数は、サンプル数が小さいためデータの信頼性が低い。
こうした法整備にもかかわらず、欧州委には差別的な慣行や障壁に関する多くの申し立てがあるという。例えば、異なる採用条件や、特定の職位に関する出身国要件、実行上異なる労働条件(報酬、キャリア展望、等級など)、奨学金などの社会的扶助・優遇制度の適用に際して、自国民に有利な条件の設定(例えば当該国での居住を要件とするなど)、他国での職業経験(特に公共部門)や他国で取得された職業資格を適切に考慮しない(あるいは自国労働者とは異なる形で考慮する)――など。また、他国で就労する際の権利が十分に周知されていないことも、労働者の自由な移動の障壁になっていると欧州委はみている(注3)。
欧州委が今回採択した指令案(注4)は、域内の労働者やその家族の権利保護の適切な実施とその手段に関する加盟国共通の枠組みを設置することを目的としている。具体的には、以下の諸点について加盟各国に取り組みを要請する内容となっている。
- 域内からの労働者の権利について労働者自身および雇用主に情報提供、支援、アドバイスを行う専門のアクセス・ポイントを設置
- 権利侵害の是正に関する適切な手段(裁判または裁判外の制度を含む)を整備
- 労働組合、NGOあるいはその他の組織が、差別を受けた労働者の代理として行政もしくは司法手続きを行うことを認める
- その他、労働者や雇用主に対する情報提供の促進
欧州委は、域内における労働者の移動を円滑化することは、労働者自身だけではなく域内経済の利益にもなるとしている。受入国の企業は人材不足を補うことができ、また受入国経済は彼らが働くことで追加的な生産やサービスを実現できる。また送出国も、自国に留まっていれば失業する労働者が仕事を得て、家族を養うことができ、さらに就業を通じてスキルや経験を向上させ、自国に帰る際にはこれを持ち帰ることができるなど、多様な利益を挙げている。一方、移民の流入が受入国の雇用を奪うというエビデンスはなく、むしろ複数国で経済の拡大に寄与したと分析されているとして、労働者の移動の経済的な利益を強調している。
労働者の自由な移動をめぐる摩擦
労働者の移動の自由に関してはこれと並行して、雇用主によって一時的に他の加盟国に派遣される海外派遣労働者(posted worker)をめぐる議論がある。EU法はこうした労働者について、現地労働者との間の平等な取り扱い(現地の労働法制の適用、地域あるいは職種・業種の全ての企業に適用される労働協約等の適用による労働条件の保障など)を義務付けているが、2004年の旧東欧諸国EU加盟以降、低賃金の海外派遣労働者の増加が問題となるに至った。背景には、労働協約の全般的な適用が制度化されていない国では企業毎の協約締結が基本となることから、他の加盟国の企業が派遣した労働者に関して、送出し企業に労働協約の締結やこれに基づく労働条件の遵守等を義務付けられないという問題があった。適用範囲が限定的な協約や最低賃金の順守を義務付けることは、域内での開業やサービス提供の自由に反しており、公正な競争を阻害するというのがその理由だ(注5)。
このため2012年3月には、海外派遣労働者の権利保護に関する実施体制の整備を各国に求める指令案と、こうした状況における団体行動権に関する規則案が欧州委によって採択された。うち後者の規則案は、ストライキを含む団体行動の実施の権利を、EU法が保障する基本権として改めて認めたうえで、他の加盟国における開業やサービス提供の自由とのバランスに配慮し、目的に対する適合性や相応性に照らして是非を判断すべきことを確認する内容だ。しかし、団体行動権の強化を求めていたEUレベルの労組や、逆に新たな法規制に反対する使用者団体のほか、争議に関する権利は加盟国レベルで判断されるべきであるとする各国議会からも支持を得られなかった。このため、欧州委は2012年9月に同規則の廃案を決めた(前者の指令案については、引き続き審議が行われている)。
また現在、2007年にEUに加盟したルーマニアおよびブルガリアからの労働者に対する就労制限の設置が移行措置として加盟国に認められているが、これが2013年末で廃止となることに伴い、両国からの移民の急増が一部の加盟国で懸念されている。ドイツやイギリスなど、2004年以降の新規加盟国から多くの労働者などを受け入れている9カ国は、「社会保障ツーリズム」(他国のより整った社会保障給付や医療などの制度を目当てとした移民)の横行を懸念、6月の司法・内務担当相理事会で議題とするよう欧州委に要請した(注6)。しかし、欧州委は各国の主張には根拠となるデータが欠けているとして態度を保留、また現行のEU法でも、他の加盟国での社会的扶助に関する権利は就労または永住権の保有が前提であり、対応策は講じられていると述べている(注7)。
景気状況も両国からの労働者の受け入れに関する摩擦要因となっている。移行措置の最終的な期限である2013年末に先立って、既に多くの加盟国が両国からの労働者の就労自由化に踏み切っているが、その一つであるスペインは2011年、景気低迷に伴う雇用状況の急速な悪化をうけて、数年来多数を受け入れていたルーマニアからの労働者に対する就労許可制の再導入(新規入国者に適用)を欧州委に申請(注8)、欧州委はこれを認めた。当初の期限は2012年末までであったが、同国の雇用状況が依然として好転しないことから、2013年末までの延長が認められている。
注
- Regulation (EU) No 492/2011 of the European Parliament and of the Council of 5 April 2011 on freedom of movement for workers within the Union
- 2012年第3四半期のデータ。なお、自営業者を含む就業者数は2012年第1四半期でおよそ950万人、また国境を越えて通勤する就業者は120万人と推計されている。
- 欧州委の2010年の調査によれば、EU市民の67%が他国で就労する際の権利について知らないと回答しており、また慣行などの障壁を理由に域内他国での就労を考えていないとする回答も15%を占めるという。
- Proposal for a Directive of the European Parliament and of the Council on measures facilitating the exercise of rights conferred on workers in the context of freedom of movement for workers(COM (2013) 236)
- 本サイト2012年5月の記事参照。欧州司法裁判所は、関連する数次の事案でこうした判断を示している。
- 例えばイギリスでは、EU市民の社会保障給付の受給や公的医療など一部の公共サービスの利用に一定の制限を設けることが検討されている。政府は直接の言及を避けているが、ルーマニア・ブルガリア労働者の急激な流入の防止策の一環とみられている。ただし、給付などの適用条件についてイギリス人と他の加盟国からの移民に異なる条件を設けることは出身国による差別と判断される可能性がある。2011年には、イギリスで低所得層向け給付(所得調査制求職者手当、所得連動制雇用・生活補助手当、住宅給付、児童給付など)を申請するEU市民に対してイギリス政府が2004年に導入した居住権テスト(求職あるいは就労・就学中、または自ら及び家族の生活を維持する資力があることが条件)について、イギリス人申請者と異なる扱いに当たるとして欧州委がこれを廃止するよう勧告していた。しかし、イギリス政府が対応を拒否したため、欧州委は2013年5月末、EU法違反として欧州司法裁判所に提訴することを決めた。
なお、BBCが2013年2月に実施した調査によれば、ルーマニア及びブルガリアの就業年齢人口の約4分の1がイギリスで仕事を探したいと考えていると回答、保守系メディアはこの結果を受けて、両国から35万人の移民労働者が流入する可能性があると報道した。ただし調査を行ったBBC自身は、多くが「確実に仕事を得られる場合」のみイギリスで就労を希望すると回答しているとして、移民労働者の流入は限定的と分析している。両国からの移民流入の規模については、政府も推計を試みているとみられるが、結果については公表されていない。 - なお、欧州委司法局が5月に公表したEU市民の権利の実施状況に関する報告書は、むしろ域内労働者の権利促進を図るべきであるとの立場から、他の加盟国で失業状態にあるEU市民が滞在先で求職活動を行い易くするため、失業給付の支給期間を現行のEU法が規定する3カ月から6カ月に延長する法改正を提案している。
- 本サイト2011年9月の記事「スペインのルーマニア人向け就労許可制度―欧州委、再導入を承認」参照。政府は同施策の導入に際して、国内に既に入国しているルーマニア人の雇用を守ることを目的の一つに挙げていた。スペインには、2012年9月時点で国内の外国人の17%にあたる91万人のルーマニア人が居住しているが、就業率は5割にとどまり、多くが失業しているという(失業率は国内平均の23%に対して36%)。
参考資料
- European Commission、EurActive、EUobserver、BBC、The Guardian ほか各ウェブサイト
関連情報
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:掲載年月からさがす > 2013年 > 5月
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:国別にさがす > EUの記事一覧
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:カテゴリー別にさがす > 外国人労働者、労働法・働くルール
- 海外労働情報 > 国別基礎情報 > EU
- 海外労働情報 > 諸外国に関する報告書:国別にさがす > EU・欧州
- 海外労働情報 > 海外リンク:国別にさがす > EU