欧州委員会、社会アジェンダ案公表
―社会政策の方向示す

カテゴリー:労働法・働くルール労使関係

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  • 国別労働トピック:2008年8月

欧州委員会は7月、今後の社会政策の方向性に関する新たな「社会アジェンダ」案を公表した。社会経済環境の変化への対応のため、雇用機会の創出、教育・技能訓練や医療など公的サービスへのアクセスの改善、社会的保護や差別禁止の強化など幅広い分野にわたり、関連する法制度の整備や各種施策の実施を盛り込んだ内容だ。労使団体などからは、アジェンダ案を歓迎する声とともに、内容の曖昧さや規制の過不足などについて批判的な意見も聞かれる。

機会均等・差別禁止を社会政策の軸に

社会アジェンダは、グローバリゼーションや技術革新、あるいは人口構成や就業形態の変化など多様な社会経済環境の変化に柔軟に適応するための、社会政策の5カ年の方向性を示す文書。競争力ある経済と完全雇用の達成というEUの戦略目標に対応した、社会政策の「現代化」に主眼が置かれている。2000年に初めて策定された当初は、雇用と経済発展に資するための社会政策、という色合いが強かったが、見直し作業を経た2006年の改定では、機会均等や社会統合をより前面に打ち出すとともに、ソーシャル・パートナーの参加など、より社会的な視点による政策の実施が盛り込まれた。

3期目にあたる今回のアジェンダ案は、この方向をさらに推し進めたものといえる。基本的な目標として、「完全雇用」ならびに「機会均等、社会統合の促進」を現行のアジェンダから継承しつつ、例えば雇用分野では、社会的に疎外されている人々に対する機会創出に重点を置くなど、一層のシフトがうかがえる。アジェンダ案が政策的対応を提案している領域は、(1)児童・若者対策(2)人への投資、より多くのより良質な雇用、新たな技能、(3)人の移動(4)より長生きで健康的な生活(5)貧困および社会的疎外との闘い(6)差別との闘い(7)グローバルな場における機会、アクセス及び連帯――の7領域だ。これらの領域に対応した指令案やコミュニケーション、レポートなど19本に及ぶ文書と併せて、アジェンダ案は議会に提出された。

差別禁止、労使協調、国を越えて医療サービスを受ける権利

アジェンダ案の当面の中心的な課題は、同時に議会に提出された3本の指令案からうかがうことができる。その一つは、雇用分野以外での差別禁止に関する指令案で、社会保障や医療、教育、あるいは住宅を含む財・サービスへのアクセスなどの社会的保護の領域について、宗教・信条、障害、年齢、性的志向に基づく差別を禁じる内容だ。雇用分野については、既に2000年の雇用平等指令など複数のEU指令が包括的な差別禁止を規定しており、加盟各国の国内法制化も終了している。これに、雇用分野以外の領域に関する差別禁止法制を加えて、全般的な体系を作ることが指令案の目的といえる。指令案策定のプロセスでは、一部の保守的な加盟国が宗教や性的指向を含めることに強い難色を示すなど、適用範囲をめぐって加盟国間の合意がまとまらず、議論が難航したといわれる。このため欧州委員会は、指令案の範囲を障害者に絞り、他の事項は加盟国に対する単なる「提言」として提出する方向に傾いていたが、より包括的な指令案を求める欧州議会や労働組合などからの突き上げもあり、最終的には当初の考え方に基づく内容で取りまとめられることとなった。なお、同指令案の適用範囲はEU加盟国の市民に限定されており、域外からの外国人は対象外となる。

二つ目は、欧州労使協議会指令の改正案だ。1994年に成立した欧州労使協議会指令は、複数の加盟国に1000人以上を雇用する企業に対して、労働者代表等の要請に応じて欧州レベルの労使協議会を設置し、労働者に影響を及ぼし得る事業上の変更などについて、労働者代表に対する情報提供や協議を実施することを求めるもの。現在、EU全体で約820社(1450万人の従業員に相当)が同制度を実施している。しかし実態としては、事業再編の多くが労使協議会での情報提供などを経ずに実施されていることや、また吸収合併などのケースで、欧州及び各国レベルの労使協議会の連携に関する法的規定が曖昧であるなどの問題も指摘されていた。このため、欧州委員会はEUレベルの労使団体に対して、制度改正のための協議を呼びかけていたが、強力な機能と権限を労使協議会に求める労組側と、さらなる規制強化を嫌う使用者側がともに反対の立場を示し、協議は頓挫していた(本海外労働情報2005年7月9月の記事参照)。改正案は、欧州及び各国レベルの労使協議会の役割・関係や、労働者代表が訓練を受ける権利などの明確化などを新たに盛り込んでいる。

三つ目は、国を越えて医療サービスを受ける権利に関する指令案で、出身国の医療制度に基づく負担により、他の加盟国での医療サービスを受けられるよう、各国制度の連携を目指すもの。これまで、個別の事例に関しては、適法性を認める判決が欧州司法裁判所から出されているものの、その法制化については、自国の医療制度に対する悪影響を懸念する各国からの反対が強かった。今回公表された指令案は、こうした懸念に配慮し、各国の裁量範囲を広げている。例えば、キャパシティを超える患者の流入を制限できるなどだ。しかし、各国の医療制度の相違から、還付制度の運用は不可能とする意見や、「富裕層向け制度」「公的医療サービスに市場原理を持ち込んでいる」といった批判など、関係者の間には同提案に対する不信感が根強く、指令案成立には長い議論と多くの修正を要するとみられている。

労使、社会政策の「現代化」を巡る思惑にズレ

経済社会環境の変化に対応した社会政策の現代化、というアジェンダ自体の目的には多くの関係者が賛同しているものの、その方向性や具体的な内容には批判も多い。

欧州レベルの労働組合である欧州労連(ETUC)は、アジェンダ案を「控えめな進展」と表現、欧州労使協議制や差別禁止法制の整備など、社会制度の改善に向けた努力を評価する一方、例えば加盟国間の人の移動に関する法制や、欧州労使協議制における労使協議会の権限強化など、分野によってはより野心的なアプローチが必要であるとして、欧州委員会に対応を求めている。ETUCは声明のなかで、このところの欧州司法裁判所による判決は、欧州統一市場という考え方を社会的基本権よりも優先している(例えば、外国人労働者に現地労働者より低い労働条件の設定を認めるなど。本海外労働情報、ドイツ2008年6月の記事を参照)と批判、政治・経済関係において社会的側面がより重視されることを求めている。

一方、同じく欧州レベルの使用者団体であるビジネス・ヨーロッパも、アジェンダの基本的な方向性には賛意を示しつつ、欧州労使協議制の改正や財・サービスへのアクセスに関する差別禁止などについては、社会経済の変化への対応を困難にし、EUが目標とする経済・雇用成長の達成を阻害すると論難している。むしろ、競争力の強化と雇用創出を重点に位置づけ、これに向けた方策としてフレキシキュリティの一層の促進を加盟各国に呼びかけるべきだ、というのが彼らの主張だ。

アジェンダ案は、欧州議会と理事会での承認を待って、早ければ2010年からの発効が予定されている。現地メディアは、左派グループを中心にアジェンダ案に賛成する議員が多いことから、議会通過の見通しは明るいとみている。

社会アジェンダ案の主な内容

  1. 児童・若者対策
    • 学校教育の質の改善に向けた各国の取り組みを支持するコミュニケーションの発表
    • 移民と教育制度の課題に関するグリーン・ペーパーの発表
    • 機会に恵まれない若者を中心とする若者向け政策の「開かれた政策協調」(注1)についてのコミュニケーションの発表
    • 児童貧困に関する総合的施策の検討
  2. 人への投資、より多くの良質な雇用、新たな技能
    • 欧州労使協議会の機能改善に関する指令案
    • 欧州グローバル化基金(EGF)の初年度の運用に関する評価報告書
    • 新たな技能ニーズの評価とその充足に向けた雇用・訓練・教育政策の提案
    • 教育訓練に関する「開かれた政策協調」の見直し
    • 多言語主義に関するコミュニケーションの発表
  3. 人の移動
    • 移民の社会権について加盟国、ソーシャル・パートナーと協議
    • 知識の移動の自由化を促進:研究者や起業家などの移動の促進、加盟国間の職業資格の相互認定に関する指令実施の徹底
  4. より長生きで健康的な生活
    • 国を越えた医療サービスに関する指令案の作成
    • 電子健康記録の加盟国間での共用に関する提言
    • 高齢化対策に関するコミュニケーションの発表、高齢者の生活の改善のためのITの利用に関する研究
    • 高齢化の公的支出への影響に関するレポート、長期的に持続可能な財政に関するコミュニケーションの発表
    • 健康における不平等に関するコミュニケーションの発表
    • 患者の安全と医療サービスの質に関するコミュニケーション案及び提言案の発表
    • 高質な医療サービスを担う医療労働力に関する緑書の発表
  5. 貧困および社会的疎外との闘い
    • 社会的サービスに関する隔年レポートの公表
    • 社会的統合に関する提言
    • 最貧層への食糧支援施策の拡充
    • IT教育やインフラの整備等によるデジタル・ディバイドの防止、貧困層の金融サービス(銀行口座の取得など)を受ける機会の保障
  6. 差別との闘い
    • 雇用分野以外の差別禁止指令案
    • ロマ人に関するEU法制のレポート
    • ジェンダー的視点の政策への反映
    • 男女均等施策ロードマップの進捗に関するレポート、実績評価と今後の戦略の策定
    • 生活と仕事の調和の促進に関する法案の検討(育児休暇などの拡充等)
    • 男女間の賃金格差の是正
    • 育児施設の増設に関する報告書の作成
    • 女性の貧困リスク率の削減に関する「開かれた政策協調」の検討
    • 起業に関する男女間の機会格差の改善
  7. グローバルな場における機会、アクセス及び連帯
    • ディーセント・ワークの推進
    • CSRの推進

参考

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