失業の増加に無策なラファラン政府

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年12月

雇用統計はますます暗さを増しているが、この先の見通しも決して楽観的にはなれない。景気回復の足どりは鈍いので、雇用創出は停滞し、失業者数は今後も増加傾向をたどると思われる。フランスの失業は4年間続いた減少の時代の後で、大きな転換点を迎えている。国民も政治家たちも最終的に失業との闘いに勝利すると信じることができた幸せな時代に、人々の目は徐々に失業よりも治安などの他の社会問題に向けられていった。シラク大統領は選挙運動期間中に、「失業問題は存在するが、もはや最優先課題ではない」と述べていたほどだ。任期の5年のあいだに年平均3%の国内総生産成長率が実現されれば、ジョスパン政府と同様に雇用の拡大が継続されると期待しているのだろう。1997年から2002年のジョスパン時代には、150万人の雇用が創出されて、失業者数は312万人から239万人に減少した。

大統領はもっと注意深くあるべきだったかもしれない。実際のところ、失業は減少傾向が終わり、2001年5月にはわずかながら増加していた。それから17カ月が経過した。選挙で右派が勝利し、エコノミストたちのシナリオも夏前は楽観的だった。年末にはフランスの景気回復が見込まれ、2003年には3%の経済成長が予測されていた。したがって、ラファラン首相が選択した政策の中には失業増への対策が盛り込まれなかった。政府は若年者雇用に関する措置を骨抜きにし、時間外労働への依存を容易にすることによって、週35時間制を放棄しようと試みている。また、最低賃金(SMIC)を3年間で17%引き上げて一本化を図るが、この増加分は企業が負担する社会保険料の引き下げで埋め合わされていない。

ところが、バカンス開けにはさまざまな悪い数字が発表された。夏前の予測とは反対に、景気の回復は難しそうだ。今年の成長率は1.4%を超えそうもないし、2003年も2.4%がせいぜいといったところだ。当然、失業の増加が予測されるが、政府は何ら手を打ちそうもない。ジョスパン政権が失業削減のために活用したどのメカニズムもあてにすることはできない。景気の回復もなく、30万人の雇用を創出したと考えられている「ワークシェアリング(時短)」政策もなく、「労働コストの引き下げによって雇用構造の改善を図る」政策(1993年にバラデュール首相が主導)もない。

ただし、首相は人口統計の推移に救われている。労働市場で若年人口が少なくなり、高齢者が数多く引退に向かう。1990年代の労働人口は毎年16万人ずつ増え続けたが、その数字は引退世代が参入世代より多くなる2006年に12万5000人へ減少する。それからは、労働人口が減少し、失業の自動的な減少がもたらされる。これは大きな恩典だ。

しかし、それまでに、各種の数字が悪化し、失業の恐怖に襲われる暗黒の時代を到来させる可能性もある。人口の推移が影響を緩和するとしても、経済がそれを悪化させる可能性があるだけに、リスクは差し迫っている。その前の2年間では50万人の雇用が創出されているのに、2001年には22万人しか純雇用が創出されなかった。この格差は経済成長率の違いによって説明される(1999年の3.2%、2000年の3.8%に対して、1.8%)。しかし、それだけではない。2002年には、成長率がほぼ同じである(1.4%)にもかかわらず、国立統計経済研究所(INSEE)の予測によるとわずか10万人の雇用しか創出されない見込みだからだ。雇用の豊かな成長の時代は明らかに終わったのである。これから、国が公務員を削減しなければならない時代(ラファラン政府はまだ躊躇っているが)へ、そして利潤率回復の緊急性が企業に「ボルトを締めさせる」時代へとはいっていく。

政府の最初の意思決定を問題にするのはこのような背景があるからだ。大盤振る舞いでシラク候補の公約を守るという点を除くと、ラファラン政府の経済・社会政策には統一性が欠けていると指摘されている。おそらくはそうなのだろう。しかし、その方針の一端は透けて見える。1983年以来フランスが続けてきた緊縮政策と縁を切ろうというのだ。シラク大統領は予算赤字を無視しており、一般賃上げの必要性を説くブロンデルFO書記長と同意見であるかのようだ。この方針は企業を生産性上昇に向かわせる(長期的には必要だが)にはメリットがあるかもしれない。しかし、国立職業紹介所(ANPE)の前の失業者にとっては、行列の長さが伸びることを意味する。

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