AFTA、ASEAN自由貿易地域の開始と受け入れ態勢の不十分さに各分野で危機感

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年3月

2002年1月からアセアン自由貿易地域(AFTA)の経過措置として、加盟国は関税を0~5%まで引き下げ、さらに最恵国待遇の下で非関税障壁を取り除く努力をしなくてはならない。先に、2001年11月6日ASEANは中国とも10年以内のFTA締結で合意しており、モノとヒトの移動が活発になるであろうAFTAの始動に対して、インドネシア国内の各分野の専門家らが「準備が不十分である」と危惧している。

AFTAとは

AFTA(ASEAN Free Trade Agreement)は1992年夏のASEAN第4回首脳会議の際に、ASEAN域内で関税や数量制限といった貿易障壁を撤廃することにより、世界市場向けの製品生産拠点としての域内の競争力を強化するために結成された。ASEAN主要6カ国、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイ、ブルネイは2003年1月1日までに主要品目の関税を0~5%に引き下げなくてはならない。最終的には、2010年までにすべての輸出関税を撤廃する予定だ(新規加盟メンバーであるベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーは2015年まで)。

インドネシアはAFTAの要求している7286の関税引き下げ品目のうち、90%は引き下げを達成している。そのため、2002年中にも残りの10%の関税引き下げに向けての努力をしていく方針。

政府の危惧

ブディ産業貿易相は2001年12月25日、現地紙ジャカルタポストのインタビューで「AFTAの開始によって、輸出製品が国内の原料・部品を40%以上使用されていれば低輸出税を享受できる。そのためには、それを証明するDドキュメントを添付する必要があるが、多くの企業がその書類の存在を知らない。またDドキュメントを作成しても、政府の認可がなければそれが認められない。これらの重要な情報を各企業に早急に知らせる必要がある」とコメントしている。

AFTA開始のファンファーレはなかった

しかし、EUのユーロの流通と同時期に開始されたAFTAは、インドネシア国内では特に大きな予告もなく開始されたといっても過言ではない。開始直前の2001年12月の年末には、現地紙でも、「ファンファーレなしのAFTA開始」、「AFTAの開始準備に無知な企業」といった見出しが多く見られた。

実際にインドネシア商工会議所(Kadin)は、80の経営者協会を対象にした調査によって、製品の27%がAFTAで競争できるだけの準備が進んでいないということを明らかにしている。輸出製品の具体的な品目は、コーヒー、鉄、パイプ、砂糖、米、工業機械、電化製品、アルミホイル、ケーブル、石油・ガス製品、塗装用品などである。

ソイKadin上級顧問は、インドネシアの製品競争力が弱い一つの要因として、多くの原材料を輸入品に依存している体制を指摘している。また、高い付加価値税(VAT)や国内製品対する高い水準の奢侈税など、政府側の税制に対する対処が適切ではないと主張した。

Kadinは、AFTAの実施にどう対処・準備すべきかという会議の場を地元の企業や経営者協会に対して提供してきたということだ。

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