フォード社、世界で3万5000人削減を発表

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年3月

フォード社は2002年1月11日、北米5工場の閉鎖、北米での2万2000人を含む(ホワイトカラー5千人を含む)世界で3万5000人の削減を発表した。5工場のうち、3工場は2003年ないし2004年までに閉鎖、ミシガン州ディアボーン工場はできるだけ早く閉鎖、ミズーリ州ヘーゼルウッド工場の閉鎖日程は未定である。北米での生産能力は16%削減される。

これに先立ちフォード社は2001年12月3日、ホワイトカラー労働者の401Kプランに従業員の積立1ドルごとに同社が行っていた60セントの拠出を中止すると発表した。また同社は2200人の上級管理職の昇給を凍結し、一部のホワイトカラー従業員と退職者の医療保険の自己負担額を引き上げると発表していた。

ビッグスリーの中でも急速に業績が悪化しているフォードは、2年前には売上を伸ばしマーケットシェア1位のゼネラル・モーターズ(GM)に迫る勢いであった。しかし2001年には、米国でのマーケットシェアが低下して19%となり、一時はGMを上回ると評価されていた品質面でもリコールなどの影響で世界大手ブランドの中で7位(最下位)と他社から引き離された。フォード社は様々な戦略の見直しを迫られている。

フォード社の不振の背景には、慢性的な過剰設備(北米での過剰生産能力は約30%)、ファイアストン社のタイヤを用いたエクスプローラーの転覆事故などによるブランドイメージの低下などがある。製造においては、同じ工場で複数の車種を製造しているGM、日本各社、フォード社ヨーロッパ工場とは対照的に、エクスプローラーなどの人気車種を大量生産することにフォード社の強みがあった。しかし最近では消費者の嗜好が素早く変化し、大量生産を前提とした製造方法が非効率になりつつある。2001年に新車種を投入するリスクを避け、既存車種の改善に力を入れたものの消費者の反応は良くなく値引き率を上げざるを得なかった。さらにフォード社が得意とするSUV(スポーツ・ユーティリティ・ヴィークル)やピックアップ・トラックなどの車種にGMや日本企業が競合製品を投入する動きは止まりそうもない。1月11日、同社はリンカーン・コンチネンタルなど4車種を製造停止し20の新車種を売り出すと発表した。

フォードは、90年代後半に金融部門であるフォード・クレジットの規模拡大を進めた。他社の車や中古車を購入する消費者へのローンも提供したため、次第に返済能力が低い債務者が増加していたが、同時多発テロはこの傾向に拍車をかけた。同時多発テロ以降、GMが利子率ゼロで自動車ローンを組むキャンペーンを始めたのに対抗し、フォード、クライスラー両社が追随した。現金などの流動資産を多く保有するGMに比べ、フォード・クライスラー両社は、このキャンペーンによる利益減が大きかったことに加え、このキャンペーンにより返済能力が低い消費者の比率が上昇したことで、フォード社は2001年第4四半期の損失を悪化させた。

UAW(全米自動車労組)は1999年の労使交渉で米大手3社から年3%の賃上げなど高い賃金、手当を獲得した。また米国3社はアジア系あるいはヨーロッパ系の自動車会社とは異なり多くの退職者がいるため、退職者への医療費負担や企業年金給付負担も重い。しかし、米大手3社の収益改善を最も困難にしているのは、米国が経済危機に陥らない限り工場閉鎖を禁止するという規定である。フォード社は2003年9月の協約期限まで、労働者を一時解雇できるが基本給の95%を保障しなければならない。UAWは、労働コスト削減のために現4年協約を米大手3社と再交渉するつもりはないとしている。

米大手3社の中で唯一2001年に利益を出したGMは、フォード社のリストラをシェア拡大の好機ととらえている。2002年初めから2002ドルの割り引きキャンペーンを行い、デザインの変更などで部品調達コスト削減を目指す。同社は、北米で引退する従業員の人員補充を控えることで人員削減を進め、従業員の生産性向上に努める。GMは、設備投資を2001年の80億ドルから71億ドルに減らすものの、新モデルの開発のための投資は減少しないとしている。

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