オブリ雇用相が辞任、新任はギグー氏

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2001年1月

シラク大統領は、10月18日の週定例閣議が始まる前に、首相の提案に基づいて、エリザベート・ギグー氏の雇用・連帯相就任を発表した。これは、前任のオブリ氏がリール市長選へ立候補するために辞任したことにともなう措置である。

オブリ氏は辞任に先立ち、「まだ手続き上の小さな問題が残っているとはいえ、協議によって失業保険に関する成果がもたらされた」ことを喜ぶとともに、「基本的な問題は解決していると思われるので、私はこの件で心おきなく職務を去ることができる」と述べた。失業保険新協定は、新任のギグー雇用相によって承認されることになるが、オブリ氏は「重要なのは、労使共同運営を危機に曝さずに問題を解決できたことであり、危機をつくり出さないために、失業者の権利に反すると思われた内容を受け入れなかったことである」と語った。

ジョスパン首相は、1997年に就任してからこれで8回目の内閣改造となる。オブリ氏は、政府のナンバー2として首相を支えるとともに、雇用対策では週35時間制を導入するなど、強力な指導力を発揮し、実際にも失業率を低下させて目に見える成果を挙げてきた。しかし、一方でそのために、企業や使用者との関係を悪化させることになった。国民議会で野党側の議員が前雇用相の在任中の職務内容を批判すると、首相は、次のように3年5カ月にわたって閣僚を務めたオブリ氏の功績を讃えた。「オブリ氏は手柄ばかりではなかったとしても、80万人の失業者を減少させ、全員を対象とした健康保険制度を実施し、賃金を引き下げないばかりか、購買力を若干引き上げて、半数以上の労働者のために週35時間制を導入し、給付に手をつけず、保険料も引き上げずに社会保障財政を均衡させたのである」。

オブリ氏のリール市長選出馬による辞任は、就任当初からの約束であり、金銭疑惑が浮上したストロスカーン蔵相や、コルシカ問題で首相と対立したシュベーヌマン内相の辞任とは性質が異なるが、数々の実績を上げてきた中核閣僚を失うことは、ジョスパン政権に少なからざる影響を与えるものと思われる。

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