失業率が10%を下回る

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年8月

国際労働機関(ILO)の基準に基づいた失業率は、2000年4月に9.8%と、象徴的なラインである10%を下回った。この1桁台の数字は、3周年を祝ったジョスパン政権が待ちに待っていたものだと言えるだろう。失業率が10%を初めて超えたのは1984年であるが、1991年――この年オブリ氏は労相を務めていた――以降は一貫してこの水準を上回っていた。

ところが、10年後に失業曲線は反転し、完全雇用への復帰を予測する意見が飛び出すまでになった。2000年5月31日にオブリ雇用相が発表した最新の統計によると、4月の失業者数は前月よりも7万6900人減少して237万1300人であった。年間では16.7%の減少となる。これらの数字は、季節的な現象を考慮するために来月部分的に訂正される可能性もあるが、傾向ははっきりとしている。年初来、国立職業紹介所(ANPE)の登録者数は、平均すると毎月5万3000人ずつ減少している。短時間働くことができた求職者を加えると、失業者全体の数字は、年間では14.4%減少し、287万5400人となる。1997年6月以降、失業者数は76万6000人減少した一方、100万人以上の雇用が創出されている。

このすばらしい結果は、手柄争いに火をつけた。経営側は、2000年5月29日に独自の集計で失業率が10%を切ったと発表し、それを自らの功績だと主張した。フランス企業運動(MEDEF)、中小企業総連盟(CGPME)、そして手工業者職業連盟(UPA)は共同コミュニケの中で、「この類いまれな成果は、フランスの企業とその労働者の活力によってもたらされた」と自賛した。経営側によると、この失業率低下は、「ユーロのプラスの効果とユーロ=ドルの交換レートの動きによってもたらされた欧州と世界の景気の拡大の中で実現した」という。言葉を換えると、政府は大したことをしていないということになる。

これは、オブリ雇用相の意見とは異なる。雇用相は、企業が果たした役割を認めながらも、週35時間制、若年者雇用、そして社会的排斥対策法の効果が大きいと判断している。さもなければ、「経済成長は同じ水準にとどまっているのに、この数カ月ほどの間に加速した失業の減少をどのように説明できるのか」と強調する。雇用相はさらに、もう1つのデータを取り上げる。すなわち、失業の減少幅は、ドイツ(6カ月間で0.8%)、オランダ(0.3%)、イタリア(0.1%)、英国(0.1%)、米国(0.2%)と比較しても、フランス(1.2%)の方が大きかった。

若年失業者や長期失業者など、すべてのカテゴリーの求職者が、労働市場の改善から恩恵を受けている。資格を持つブルーカラーは、年間で求職登録者数を30%近く減少させた。同様に管理職も9%減少させた。とは言え、不平等も拡大した。例えば、失業率がどの地域でも等しく低下しているわけではない。ラングドック=ルシヨンやミディ=ピレネーよりも、フランシュ・コンテ、アルザス、ペイ・ド・ラ・ロワールなどの方が、低下幅が大きかった。リムーザンの場合、求人数が年間で何と16.8%も減少している。また、身分が不安定な労働者、超長期失業者、社会復帰最低所得などのソーシャルミニマムの受給者もまだ、景気の回復から十分な恩恵を受けていない。したがって今後は、失業者全体への対策よりも、一部の一層厳しい状況にある人たちを対象とした対策が必要になってくるだろう。

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