メーデーで給与引き上げを要求

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年7月

2000年5月1日の国際労働の日 (International Labor Day)に何千人もの労働者がジャカルタ市内に集まり、給与の100%引き上げなどを求めて行進した。また、インドネシア人労働者のための全国闘争(FNPBI)のもとに集結した様々な組織から集まった約1500人の労働者と学生や芸術家、全国農民組合のメンバー、靴メーカーのリーボックを解雇された労働者など、多くの人々が国会の前でデモを行った。さらに、ジャカルタ労働者組合の労働者が、タムリン通りのホテル・インドネシアからナショナル・モニュメントまで給与引き上げなどを求めて行進した。

労働者の要求項目は主に給与の引き上げであったが、それ以外には2000年5月1日を「労働の日」として定め、国民の休日とすることを求めた。スカルノ政権時代の1951年に、5月1日は「労働の日」として休日とされていたが、スハルト政権下で平日の扱いになってしまった。また、世界的な傾向である石油価格の値上がりを懸念し、燃料価格の据え置きも政府に要請している。

メーデーの動きは、スラバヤ、セマラン、バンドン、メダンといった各地方の大都市で見られた。東ジャワ州の首都スラバヤでは、プラスティック製品の製造会社PTマスピオンとタバコ製造会社のPTグダン・ガランの労働者が、現在国会で審議されている労働法案は労働者の権利を規制するものとして抗議活動を行った。

中央ジャワ州では、約150人の労働者がセマランの中心部に集まり、よりよい待遇と2000年5月1日を休日にすることを求めている。バンドンでは、FNPBIの約200人が、100%の給与引き上げと労働組合の結成の自由を求めてデモを行った。メダンでも、メダン独立労働者組合の約3000人の労働者が賃金の引き上げを求めて集会を開いた。

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