教員給与引き上げスト、一応の決着

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年7月

2000年4月10日、西ジャワのボゴール州において、インドネシア教師連合(PGRI)の教師3000人が、給与の300%引き上げと教師の福利厚生向上を求め、センプール・スポーツセンターからボゴール立法議会まで行進した。その後デモの参加者は7000人以上になり、3日間以上抗議活動が行われた。2000年4月1日より公務員給与が引き上げられたことに伴って、教員も15~30%の給与引き上げと9万ルピア(約12米ドル)(100ルピア=1.25円)から14万ルピアの諸手当の支給が認められたが、これでは生活するのに十分ではないと訴えている。

ジョグジャカルタ近郊のバントゥルにおいても4月11日、約1000人の小学校教諭が、100%の給与引き上げと上級公務員の給与引き上げの撤回を求めてストライキを行った。

このような動きに対してアクバル・タンジュン国会議長は、教育の質向上のためにも教員の給与は大幅に引き上げるべきであるとコメントし、教員の雇用に関する1992年法の改正を検討していることを明らかにした。

4月12日に入ると、ジャカルタ市内でも、2000人以上の教員が首相官邸に集い、給与引き上げを求めデモを行った。4月14日には、バリ州のデンパサールでPGRIのメンバーである何百人もの教員が、100%の給与引き上げと300~400%の諸手当の引き上げ、福利厚生制度の向上を求めて、静かなデモを行った。同日セマランでもデモが行われ、バンドンでは教員養成校であるペンディディカンインドネシア大学(UPI)の学生も、運動に参加した。4月16日には南スラウェシのマカサール周辺で2000~3000人の教員が、西ヌサテンガラでは3万人の教員がストライキを実施した。4月18日には、西ジャカルタ州の教員約1万人が首都ジャカルタに集まり、200%の諸手当引き上げでは不十分だと抗議し、給与が引き上げられない場合には5月2日の国民教育デーにもデモを行うことを明らかにした。そして、4月20日には中央カリマンタンと東カリマンタンで、25日には北スマトラでもデモが行われ、全国規模で運動が広がっていった。

このようなストライキの背景には、インドネシアに170万人存在するとされている教員の給与が、公務員の中でも最も低い水準にある現状がある。例えば、タンゲランの女性教員(勤務年数9年)の月額給与は16万5000ルピア(約22米ドル)で、タンゲラン地域の月額最低賃金よりも低い水準になっている。中央ジャワの男性教員(勤務年数17年)は月額50万ルピア(約68米ドル)、勤務年数30年の男性教員は80万ルピア(約100米ドル)となっている。GNPに占める教育予算の割合もわずか1.4%(先進諸国は6%以上、日本は14%<1998年度>)で、政府の教育に対する姿勢が窺えよう。

国連児童基金(Unicef)のジャカルタ事務所は2000年4月17日と20日、ストライキが子供たちの教育を受ける権利に影響を与えてはいけないと注意を促した。このままストライキが続いた場合、子供が教育を受ける権利に関する国連条約に違反する恐れがあることを付け加えた。

最終的に政府は、教員の諸手当を2000年6月1日から150%引き上げることを5月3日に決定した。これを受けて、PGRIのムハンマド議長は、要求額を満たしていないことへの不満を表し、この決定は教師という職業の重要性を政府が理解していないことを表しているとし、来年も給与引き上げを交渉していくとともに、今後も教員の福利厚生の向上に向けて努力していくと述べた。

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