中小国有企業の民営化
―ある国有企業のケース

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年6月

中国政府は、国有企業改革を進める中で、1990年代の後半に二つの政策に踏み切った。一つは「抓大放小(大をつかまえ小をはなす)」政策であり、もう一つは「株式制の導入」である。「抓大放小」について言えば、総数10万を超す国有企業のうち、国の経済中枢や軍需産業に属する1000社ほどの大手国有基幹企業には特別な資金援助やメインバンク制を集中的に実施し、国有制を維持したままでその活性化を図る。他方、それ以外の国有企業は市場の荒海に放り出して民営化させる。具体的には、破産、売却、吸収合併などのドラスティックな民営化となる。しかし、国有企業の多くは膨大な債務を抱えており、特に債務が資産を超過する企業は買い手がつかず民営化が思うように進まないことが多い。

こうした中で、各地域はさまざまに民営化を進めている。安徽省亳州市では、国有企業の有効資産部分を民営企業に売却することを通じて新たな民営化の実験に乗りだし、企業再生と労働者の雇用維持に成功し、大きな話題を呼んだ。

国有制のままでの改革はすでに限界

安徽省亳州市酒造工場は、1958年に設立された中型国有企業である。1999年7月に、同市内の民営企業「白酒グループ」は、委託経営、買収、破産と合併という複合的な手法で、酒造工場の2388万元(1元=12.87円)の国有資産を買収し、民営化を果たした。

民営化以前の酒造工場は、実質的な資産負債率がすでに172%に達していた。酒造工場は、市の財政に1200万元の財政損失と1900万元の税収損失を与えており、融資した銀行にも200万元の利子損を与えた。しかし、民営化によって、市の財政は税金収入で1000万元に近い利益を獲得し、銀行にとっても1033万元の焦げ付き債権が良性融資となって生き返った。

民営化以前の酒造工場は、これまで、他の国有企業と同じような改革を行い、工場長責任制から、従業員による経営者の民主評価、株式制、従業員選挙による工場長の任免などを一通り経験してきたが、国有制を維持したままの改革はすでに限界にきていた。同工場の元工場長は、1993年に15万元近くの企業資金を横領し、汚職罪に問われ、逃亡して現在も行方不明である。市政府が派遣した市の財政局の党組織責任者は、前任工場長の汚職調査グループの責任者を務めた後、工場長の後任として任命されたが、その後、2年間にわたり、虚偽の利益を報告し、3000万元の経営欠損を出したため、責任を問われて、辞任に追い込まれた。

この時市当局は、酒造工場再建の思案に暮れていた。まず、市の財政による救済は不可能である。辞任した前工場長は、個人のコネクションを使い、市の財政の担保を得て、省の財政から1000万元を借り入れていたが、この借金を肩代わりするため、市の財政は大変な危機に陥り、全市の賃金が2カ月も滞る羽目になった。酒造工場の負債率は172%であり、他の企業による合併も考えられない。最後の手段として企業破産はあるが、破産が市の財政と銀行に与える損失は大きい。前工場長は株式制導入という名目で従業員から1人7000元を強制的に徴収していたため、破産は労働者に仕事を失わせるだけでなく、大きな金銭的な損失も与え、社会的安定をも脅かしかねない。

有効資産の売却による民営化

市当局が対応に苦慮している時期に、同市の民営企業である白酒グループの経営者の支訓民氏が、酒造工場の買収に興味を示した。これをきっかけに亳州市当局は新たな改革に乗り出した。まず、酒造工場の資産整理を行い、生産活動とは無関係社会サービス部門を分離させ、有効な資産を洗い出し、さらに、財政、銀行、従業員及び社会に対する企業の債務を整理区分した。

この清算を通じて、2388万元が有効資産として認定されたが、そのうちの1355万元は市政府所有で、1033万元が銀行所有であると明確化された。その他の数百万元の財政貸付金、1900万元の未払税金、200万元の未払利子は、無効資産とみなされ破産対象として処理された。社会や従業員に対する債務は、すべて政府が肩代わり返済した。このような資産整理を通じて、民営化の道が開かれた。

亳州市政府及び銀行側が白酒グループと結んだ契約として、政府所有の1355万元のうち、100万元は政府投資の国有株として民営化後の企業に投資する。その目的の一つは、国による保障意識が依然強い労働者に一定の配慮を示すことであり、もう一つは、元国有企業労働者の配置に対する監督権の行使である。残りのうち600万元は市の財政に現金返済し、さらに700万元は政府が企業を経営する失敗の責任として、従業員と社会に対する債務返済に使われた。銀行所有の1033万元は、民営化した最初の3カ月間は企業の再建を引き受けた白酒グループに委託管理するが、企業が正常な経営状態を取り戻した後、貸付金とする。白酒グループ側も一定の譲歩を示し、ある程度の損失を分担し、特に従業員の引き受けと再配置を約束した。

民営化に対する労働者の心理的な動揺を配慮して、市当局は買収などの言葉を使わず、「委託管理」と公表したにもかかわらず、労働者からは大変な抵抗と反対があった。特に工場の管理者層は、民営企業に買収されるなら、絶対に仕事に協力しないと息巻いた。市政府とともに資産清算に参加した白酒グループのメンバーが、最初に工場から退去せざるをえない一幕もあった。

民営化後に生産効率は5倍向上

1999年7月1日、支訓民氏は白酒グループの管理者を連れて工場に入り、民間経営者による新たな企業経営がスタートした。支訓民氏はまず、従業員全員を集めて、企業再生への決意とビジョンを説明し、従業員の理解と協力を得るための意思疎通に努めた。白酒グループから派遣されてきた新任の工場長は、率先してトイレや倉庫の清掃にはげみ、企業に対する熱意を身をもって示した。特に労働者の再配置の際に、新しい経営陣は一切のコネ人事を拒否し、1人も身内を入れないため、コネ人事や収賄が多い国有時代の経営者と比較して労働者は、徐々に新しい経営陣に対する信頼感を培うようになった。

白酒グループは、工場にわずか3名の経営管理者を派遣しているだけにもかかわらず、民営化後の企業再建は順調に進んでいた。まず人員再配置が行われ、かつての157名の間接人員を、わずか8名に絞り込んだ。さらに出来高に応じる業績給が導入され、月額で5000元の高収入を得る者が現われる一方、基本給も全額もらえない者もおり、業績による給料格差が開いた。新しい労働管理制度の導入によって、工場の労働生産性は驚くほど向上し、現場では、民営化されてわずか1カ月後に、生産効率が5倍も上がったところも出た。 民営化された酒造工場は、その後3カ月の間に、すべての借金を返済し、300名の従業員を1人も解雇せずに、組織と人員の再編成を行った。従業員に対する給料の支給遅れは一度もなく、従業員1人当たりの収入は民営化前より約200元増加した。

民営化に対する評価

民営化で喜んでいるのは労働者だけではない。民営化されてから酒造工場は、再び銀行利子と税金の滞納を起こさなかった。これまで工場に融資してきた亳州市工商銀行は、民営化で200万元の損失を余儀なくされたものの、国有時代にすでに焦げ付いていた工場の債務が再び良性融資に変ったことは、大きな朗報である。市の財政は民営化で1200万元の損失を蒙ったとはいえ、これまで毎年100万元の税金を支払いながら、500万元の欠損を出しつづけてきた工場が、民営化によって、今後年間500万元の税収を期待できるようになった。これ以上に注目されているのは、これまで政府側を悩まし続けてきた「政企分離」、つまり行政管理と企業経営の分離の問題が、民営化によって一気に解決できたことである。

しかし、亳州市の試みに対してすべての人が賛成しているわけではなく、民間経営者による国有企業の買収に際しても、透明度や公平性などの問題が今後議論されるべきである。ところで、当の民間経営者である支訓民氏はインタビューの際に、民営化の決断の遅さに対して怒りを表わした。1993年に元工場長の汚職が発覚した後、工場は長期にわたり、同じ失敗を繰り返した。企業が破産に追い込まれるまで抜本的な対策を避けて体制の延命を図りつづけたことに対する民間企業家の憤懣とも言えよう。

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