ボーイング社でホワイトカラー大規模スト

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年5月

民間航空機製造最大手ボーイング社のワシントン州シアトル地域の数工場で2000年2月9日、少なくとも1万7000人の技術者などがストに入った。同社で航空宇宙専門技術者労働組合(SPEEA)に組合費を支払っている組合員は1万2000人にすぎないため、ストは労働者の広範な支持を得ていたと考えられる。労働者はピケに参加したり、工学系大学の新卒者に対しボーイング社に職を求めないよう説得すると脅すなどの行動をとった。SPEEAは長年、経営陣にとってぎょしやすい組合で、ストライキ資金もないため本格的なストを行うと誰も予想していなかったが、ストは労使が3月17日に3カ年協約に暫定合意、3月19日に組合員がこれを投票で受け入れるまで続いた。3月20日に労働者が職場に戻るまで40日間続いたストは、ホワイトカラーが合衆国で起こしたストとしては最長で最大規模の一つである。このストで2月だけで15機以上の出荷に遅れが出ているほか、航空機の海外における補修などが滞った。

合意された協約は、技術者向け(組合によると年収2万ドル(1ドル=104.85円)から7万4000ドル)とエンジニア向け(同4万5000ドルから12万ドル)と2種類あり、技術者に初年度に4%、次の2年間に各3%の賃上げ、またエンジニアに3年間各年3%の賃上げを各労働者に保証している。この他、今後1年間で最高で2500ドルに達する出荷台数に基づく特別賞与が盛り込まれたほか、労働者の医療保険料拠出を求めないことなどが定められており、労組にとって一定の妥協であるものの、会社側が大幅に譲歩したものとなっている。

これらのホワイトカラー労働者は、1992年の1日だけの象徴的なストの他は本格的なストを行ったことはなかった。しかし今回のストだけで、同社内の強力なブルーカラー労働者の組合である国際機械工組合(IAM)と同等の交渉力を持つに至ったという評価もある。さらにAFL-CIOのジョン・スウィーニー会長が指摘するように、他の会社でホワイトカラー労働者を組織化する際に、ボーイング社でのストが先例として役立つ可能性もある。SPEEAは、同社経営陣がホワイトカラー労働者に対して強硬な態度を取ることを感じ取り、1999年10月にAFL-CIOに加盟したが、今回のストで同社内でも航空機を設計するホワイトカラーと航空機を製造するブルーカラーとの間に存在した心理的な壁もなくなりつつある。

スト参加者共通の不満は、ボーイング社の中核として長年尊重されてきたホワイトカラー技術者が、最近の経営陣から軽んじられ、社内での地位が地盤沈下している点に集中している。専門技術者はかつて経営陣とパートナーの関係にあると感じていたが、ボーイング777製造計画で同社がチームワークを強調する一方でリストラと再雇用を進めてきたこともあり、ホワイトカラー労働者は経営陣への信頼を失いつつある。特にマクドネル・ダグラス社との合併以来、経営陣は株価の動向に気をとられ専門技術者を代替可能な労働者とみなす傾向が強くなったと、スト中の専門技術者は語っている。

今回のストの前に具体的に問題となっていたのは次のような点であった。ボーイング社は、各労働者の功績に応じて報酬を上積みするために用いる金額を増額し、この金額を用いて同社がどの労働者にどの程度の昇給を与えるか決める方針を持っていた。これに対し、労働者側は史上初めてブルーカラー労組IAMが同社から得ているような、完全に保証された昇給を望んでいた。また同社は、これまで協約締結時に年収の5%に当たるボーナスを支払ってきたが、今回はそれが提示されていなかった。さらに同社は当初、健康保険料の10%を労働者が支払うように求めていた。同社はこれを撤回したが、次の協約の提示において、代わりに生命保険などの給付が削減されていた。このように組合員の間には、労働条件の大枠を変えることなく交渉や暫定協約で様々な条件を出したり引っ込めたりする経営陣に対する不満が募り、SPEEA組合員は1999年12月1日付けの4カ年暫定協約を大差で、2000年1月13日付けの3カ年暫定協約を僅差で否決する投票を行った後、ストに突入していた。

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