セブ港で港湾労働者ストライキ

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年8月

5月24日、セブ港で港湾労働者のストライキが行われ、多額の損失が出た。フィリピン労働組合会議(TUCP)に加盟している労働者連合(ALU)は、船荷の取り扱い会社、プエルトセルビシオが14人の労働者に言い渡した不法な契約の終了に抗議し、午前3時にストライキを決行した。プエルトセルビシオは、主にセブ市から漁業の島、バンタヤン島等に定期航路を持つラプラプ海運会社の船荷を取り扱っていた。

セブ港に本社を置く船舶所有者の法律顧問、ベルナデト・フロリドは90%の貨物サービスが混乱し、生鮮食料品等の腐敗しやすい貨物の荷揚げができなかったため、数百万ペソの損害がでる見込みだと語った。また、アジア各地への海運業を営業しているある会社は、24日だけで100万ペソの損害を出したという。

しかし、セブ港総務部長のアントニオ・エルミラは60%の港湾業務のみが影響を受けたと語った。またセブ港コミッショナーのパシタ・タンは、労働者側は政府の適当な代理人によって問題が解決されることを希望してはいるが、経営者側と同席することは望んでいないと語った。

セブ商工会議所の理事長であり、法律家のナルタシオ・ムンツェルトは、問題は船主には関係していないと述べた。

船主の連合は、今回の港湾全体のストライキは違法であるうえ、5月12日に両者が取り決めた「港湾業務を中断しないことを創始する」と明記した平和的協定に対する蓄しい違反行為だと決めつけた。

しかし、労働組合側の法律家のジェセリト・フェデリオは、その平和的協定は労働者がストライキを実行する事を禁止したものではないと語った。

商工会議所は、労働雇用省にストライキの仲裁を率先して行い、その争議を管轄するよう依頼した。またセブ港湾局は、運輸次官のクリソストモ・アーバンズに労働者と経営者が対立点を解決すべく対話を促進することを依頼した。

ラグエスマ労相は、ストライキ中の港湾労働者にストを中止するよう命令し、経営者側にも労働者の復帰要求を受け入れ、ストライキの前の状態に戻すよう指導した。この命令により、労働雇用省は、数百万ペソの経済的損失をもたらしている港湾争議の解決役を引き受けた形になった。

25日午前4時、ラグエスマ労相の命令を、ビサヤス地方の大統領を補佐する官僚マルセロ・ファーナン、国家調停委員会地方支部長テオトリコ・ヨソレスが受け取り、ヨソレスと労働雇用省地域労働事務所長ガドアは、午前4時30分、港湾にある労働組合の事務所にその命令を送達した。しかし、警備員は労働組合の事務所はないという理由で受け取りを拒否したため、労働雇用省の官僚はその命令を書留にて送付した。

労働組合側の弁護士セルソ・レアレスは、その命令が実行され次第、ストライキを解くことを労働雇用省に保証した。

ベルナデト・フロリド法律顧問は、状況は益々悪化しており、停泊を試みた乗組員たちは労働者に妨害されたと語った。またフロリドは、多くの船舶が港に到着しているにもかかわらず、どの船舶も出港できないため、港内が混雑することを懸念していると語った。ただトランスアジア社とコカリオング社の船舶は、ストライキの妨害を振り切って午後遅く出港し、いくつかの小さい船舶は、月曜夜ひそかに離港したと付け加えた。

25日だけで、18の船舶会社のビサヤス、ミンダナオ、マニラ便の少なくとも41の船舶が影響を受け、セブ港以外の45の港も影響を受けた。

セブ島は生鮮食料品の自給率が低く、それらをビサヤス、ミンダナオ島に大きく依存しているため消費者物価の上昇が心配されている。

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