硬直化した戸籍制度に対する規制緩和

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年6月

戸籍制度がもたらした都市・農村の二元社会

1949年の新中国成立まで、中国の人口移動は相対的に自由であった。1958年に全国人民代表大会常務委員会が「戸籍登記条例」を発布してから、都市戸籍と農村戸籍はそれぞれ固定化した身分となり、法定の隔離制度が施行されてきた。このような都市・農村の二元的社会構造は、工業化を実現するために、農業から原始的な蓄積を図るという当時の国家戦略と大きく関連している。しかし、人口の移動を制限する戸籍管理制度は、今日になって既に中国経済の持続的発展を制約するマイナス要因になっている。例えば、現在の中国の1人当りのGDPは700ドルでしかないにもかかわらず、既に生産過剰の買い手市場に直面している。その原因の一つは、富が都市部に高度に集中し、金を持つ都市人口の消費が飽和に達しているが、農村人口はまだ貧しい状態に置かれたままだということである。均衡のとれた発展を図るためには、単に投資拡大に依存するだけではなく、生産要素の自由移動、即ち人材、労働力、知識や技術の自由移動が不可欠であり、戸籍などの人の移動を制限する諸政策の規制緩和も急務となっている。

流動人口の増加

改革開放時代になってから、戸籍制度にも弛みが出始め、都市部に多くの農村からの出稼ぎ労働者が転入してきた。戸籍規制による二元化社会が存在するために、都市部と農村部の間では所得や生活水準に大きな格差があり、1994年の都市部と農村部の所得格差は2.86対1となっている。このような格差はさらに拡大傾向にある。豊かな東の沿海地域、と相対的に貧しい西の内陸部でも、大きな格差が生まれている。1994年の統計では、同じ農民でも東部地域と西部地域の収入格差は166対100であった。豊かさと就労のチャンスを求めて、多くの出稼ぎ労働者は東部地域へ、都市へと流入してきた。1993年、このような流動人口は6450万人、1996年は8200万人、さらに2000年になると1.5億人になると見込まれている。

改革開放前の中国は計画経済の下で、都市部では実質的に職場による日常生活の必需品とサービスの供給制度が施行されており、第3次産業は疎かになっていた。改革開放後、第3次産業は大いに発展してきたが、その中で日常生活は不可欠でありながら、いわゆる3K(キケン、キツイ、キタナイ)に属する底辺の労働を担っているのは、農村からの出稼ぎ労働者である。彼らは多くの場合、都市部の私企業、個人経営者に雇われ、都市の労働者より比較的に低い収入で働かされている。出稼ぎ労働者の就労には、1人が先に定着してからまたその親戚や友人を呼んでくる、といった血縁、地縁によって結ばれるグループ就労が多い。彼らは都市の人々がつきたくない比較的に底辺の仕事に従事しているため、現状では都市人口との間に雇用の競合関係を形成しているとはいいがたい。

人口の移動は、農民だけに限らない。北京、上海、広州、深川などの沿海都市では、多くの頭脳労働者が他の都市から転入して、商社、企業、マスコミ、出版業などに就業している。彼らは戸籍を取得しなければ、親族と別居することを余儀なくされ、年に何回も里帰りしなければならない。外資系企業は、従来の国家による人事労働システムに入っていないため、これまでも大量の出稼ぎ労働者を雇い入れていた。このように、都市部で仕事をしているが都市戸籍を得ていない人口が実質的に多数存在している。こうした人々の戸籍問題の解決は大きな課題になっている。

戸籍制度の規制緩和

中国の戸籍管理もようやく規制緩和の兆しを見せ始めた。1998年7月30日、中国国務院は、小都市の戸籍管理制度の改革に関する公安部の実験案を批准した。農村戸籍を持つ、いわゆる農村人口に属する人たちは、小都市で長らく就業し居住していれば、都市常住戸籍を申請することができるようになった。この実験案によると、戸籍は農村にあるが、小都市に固定した住所があり、満2年間居住しており、かつ次の条件を満たす者が都市常住戸籍を申請できる。(1)農村から都市に入り、就労し、もしくは第2次、第3次産業で起業する者、(2)小都市の企業、団体、その他の機関に招聘された管理者、専門技術者、(3)小都市で職場の配分によらない市場価格の住宅を購入した者、もしくは合法的に自ら建設した住宅を持つ者。

1998年8月に、国務院は公安部の意見を批准する形で、戸籍管理に関する公文書を公布した。その中に盛り込まれた規制緩和の内容は、(1)新生児が父母のどちらの戸籍に入籍するかは基本的に自由選択できる、(2)夫婦別居の場合、配偶者の所在都市に一定期間居住していれば、本人の意思でその都市の戸籍を取得できる、(3)子女と同じ戸籍所在地に居住していない高齢者(男性60歳以上、女性55歳以上)の場合、その子女が親の居住都市の戸籍を取得できる、(4)転勤などの原因により家族と離れる者が元の居住地に戻る意思がある場合、優先的に解決すべきである、などがある。最も注目されるのは、都市部で投資したり、事業を起こしたり、もしくは住宅を購入する人、およびその直系親族が、都市にて安定した住所があり、安定した職業若しくは収入があり、一定の期間居住している場合、当該都市の戸籍を取得することが認められるととの規定である。

大都市のケース

大学卒業の時点で北京に就職できなければ、これまでは地方戸籍の人にとって北京で働くチャンスがあっても北京戸籍を取得することは至難なことであった。しかし、一方で北京市には、マイクロソフト、モトローラ、富士通、松下のような多国籍企業が多数進出しており、人材に対する需要が年々増え、戸籍管理の緩和を求める声も上がってきた。最近、北京市は「多国籍企業の地域総括本部を北京へ誘致することに関する規定」を公布し、多国籍誘致のため、地方の人が北京戸籍を取得する道を開いた。この規定によれば、(1)北京市内に地域本部、経営センターを持つ多国籍企業、およびその付属研究機関に、継続して5年以上勤めており、(2)その後も当該企業と雇用契約を継続し、(3)4年制大学卒業以上の学歴を有し、北京で不足している高級専門技術者や管理者である、という条件を満たした地方出身者は、主管部門の批准を経て、北京戸籍を取得できるようになった。

広州市では、1998年2月から、指定範囲内で建築面積が50平方メートル以上の商品住宅を購入し、かつそれに入居した住宅財産権所有者本人およびその親族が、入居してから半年後に正式の広州市戸籍に準ずる「ブルーマーク戸籍」を申請することができるとの規定を発表した。「ブルーマーク」戸籍とはいえ、子供の教育から本人の就労や社会保障まで、すべてが地元の住民と同じ処遇を受けられる。上海市でも1998年11月から、他の地域からきた人が上海市内で10万元から35万元の住宅を購入すれば、上海市に戸籍を転入できるという新しい制度をスタートさせた。上海市公安局の戸籍管理部門によると、上海市の戸籍を申請できる者としては、(1)上海市に100万元以上の投資を行う者、(2)一定の金額の商品住宅を購入した者、(3)国家機関に招聘された特殊技能を有する者、となっている。本人が取得した戸籍を家族が受け継ぐこともできる。

中国の戸籍制度の規制緩和は、段階的に進展するものと見られている。国土が広大なため、各地の事情はかなり異なる。具体的な政策は各地域が実情に基づいて策定することになっている。ただ、就業圧力の大きい都市においては、すぐには規制を大幅に弛めることがないと見られている。しかし、全体的には戸籍制度が人の移動をより促す方向に向かって変わっていくであろう。

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