ドイツの「脱原発」――事実はどうなのか
3月11日の震災、その直後に津波による甚大な被害、そしてわずかな時を経て福島第一原子力発電所の事故が、全世界レベルでトップニュースになったことは、当の日本人でなくとも、多くの人の記憶に鮮明に焼き付いていることだろう(たとえそれがテレビやネットの映像であったとしても)。
日本の被災と原発事故に対して、ドイツ人はただならぬ関心を抱いた。とくに他国の原発事故を受けて、自国の政策を急旋回させたという点では、先進各国の中でも稀な存在であることは疑いようがない。ドイツ政府の広報・情報サイトである"Regierung Online"(直訳すれば"政府オンライン")の左上のトピックメニューは、未だ(5月13日時点)、トップに「日本とその先("Folge"を少し意訳している)」であり、続く「エネルギーコンセプト」「欧州とユーロ」「将来の政策パッケージ」より先に位置している。
福島原発事故を受けて起こった様々な事象、たとえば既存の原発に対する政府の措置、ドイツ全土で25万人が集まったデモ、バーデン・ヴュルテンベルク(BW)州など三州での州議会選挙での緑の党の躍進(BW州では同党が第一党となり州首相のポストを押さえた)、メルケル首相の「脱原発」路線への急速な転回などは、日本の新聞でも報じられているのでここでは詳しく触れない。詳細な事態の推移は、たとえば元ハンデルスブラット紙東京支局長A・ガンドウ氏の記事(『週刊東洋経済』4.30-5.7号84頁/同誌オンライン記事はこちら)で確認できる(本稿締切後の5月17日には渡辺富久子「【ドイツ】脱原発が加速」[国立国会図書館『外国の立法』247-2号所載]も公表された)。
さて、ここで逆に気になるのは、ドイツの動きに対する日本の反応である。福島の原発事故の帰趨が未だ定かでない状況下で、日本が迅速にエネルギー政策の論議を進めるのは、現実的に困難であるとは思うが、論壇ではすでに二方向の反応が出ているようだ。一方の例は、「ドイツの政策転換への決断は重い」「脱原発へのドイツの挑戦を日本は大いに参考にしたい」とする論調(朝日新聞4月20日付社説<世論が動かしたドイツ>)に代表される評価派、他方は、「放射能問題に極めて神経質な国内世論が背景にあるが、エネルギー供給体制の切り替えは簡単にはいかず、浮足立つ印象も否めない」とする記事(日本経済新聞電子版4月24日付<「脱原発」で緑に染まるドイツ政治>)のような懐疑派、である。それぞれの主張を構成する素材をみていくと、ともに納得できる部分があるが、残念ながらここでは検証を重ねる余裕がない(5月22日には、東京/中日新聞同日付社説「週のはじめに考える 20年後を想う危機感」でドイツの状況を解説するなど、注目がさらに広まっている)。
ここでは、コラムという場の制約上、詳細な材料に踏み込めず恐縮なのだが、少しでも論議の足しにすべく、そもそものドイツにおける政策の経緯と、国民の意識についてだけでも、そのポイントを紹介しておきたい。
第一は、「脱原発」(Atomausstieg)政策について。ドイツでは、社民党(SPD)と緑の党の連立による第一次シュレーダー政権(1998~2002)下で連立協定に基づく脱原発政策の検討が進められ、02年に通称「脱原発法」が成立、原発の運転期間を32年間とすること(結果、2022年までに停止)や新規原発(商用)の建設禁止などが定められた。その後、この政策はキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)とSPDの大連立下の第一次メルケル政権では維持されたが、09年秋にCDU/CSUと自由民主党(FDP)の連立による第二次メルケル政権が発足すると、新たな連立協定に基づく原発の運転期間延長が検討され、10年秋に、これまでの予定期間プラス平均12年の運転期間延長を盛り込んだ法律が議決された。ここで重要な点は、新法は「運転期間延長」が柱なのであって、長期的な「脱原発」理念を覆すものではないということである。そもそも、09年の連立協定は「原子力は再生可能エネルギーによって信頼性を以て代替されることが可能となるまでの過渡的エネルギーである」「原子力法における新規建設の禁止は維持される」としており、法案化時点の与党内の争点も主に延長期間の長さであった。これらの経緯および法案の内容については、日本語の資料でも確認できる(山口和人「ドイツの脱原発政策のゆくえ」 [国立国会図書館『外国の立法』244号所載]、「原子力発電所の稼働期間、平均12年延長へ―連立与党内で合意―(ドイツ)」[JETRO『通商弘報』2010年9月10日付])。
第二は、「脱原発」についての世論の動向である。ドイツにおける各種の世論調査では、「脱原発」政策について根強い支持がある。代表的なものとして、第一公共放送(ARD)が調査機関インフラテスト・ディアマップに委託し定期的に実施しているDeutschland TREND(ドイツ・トレンド、政党支持とその時々のトピックが調査項目の中心)では、3月14日実施の特別調査で、「脱原発」について71%が「賛成」、24%が「反対」と答えている。この調査では過去に同じ問いを何度も聞いており、01年3月に「賛成」67%・「反対」29%だったのが、07~09年初頭にかけて(原発とCO2削減の効果が注目された時期)の何回かの調査では「賛成」50%台・「反対」40%台で推移し、運転期間延長が議論の的となっていた10年8月には「賛成」62%・「反対」32%となり、昨秋の時点においても、多くは長期の延長を望んでいなかったことがわかる。
このような状況を土台に、福島の事故がさらにドイツ国民の危機感を喚起し、たとえば同調査の先月4月分では、政府が福島の事故を契機に停止させた70年代建造の8基の原発について、「8基とも停止措置を続けるべき」とする回答が67%にのぼった。また、同月分では、「電力料金の値上げを緩和することを期待し原発の運転期間延長を容認する」ことについて「賛成」が30%だったのに対し「反対」が68%にのぼるなど、原発のメリットとされる諸要素を考慮してもなお、世論は「脱原発」を支持した。メルケル首相はこの流れ受けて、昨秋制定した法律を見直すことを表明し、現在その内容が検討されているというわけである。
過去を振り返れば、10年秋の原発運転期間延長の決定と同時期に、再生可能エネルギーの普及を軸とする2050年までを視野に入れた「エネルギー大綱」が策定され、「脱原発」を実現に導く施策も、ドイツではこの10年以上、継続的に進められている。一方、本年春の「運転期間延長」から「短縮」への急旋回については、今後6月までに具体的な内容が法制化されるスケジュールが呈示されている。この意思決定の迅速さに、筆者は当初感覚的に戸惑いすら覚えたが、よくよく考えてみれば、そのベースには長期戦略に基づく継続的な取組と議論の積み重ねがあるということなのだろう。最後に、労働に関していえば、短期・中期的に予想される原発からの転換によるエネルギーコスト増がもたらす雇用の下押し圧力と、中長期にみた再生可能エネルギーの雇用増のインパクトが、今後実際にどのような結果となっていくのかも大いに気になっているところである。
(2011年5月25日掲載)