3つの理論と逐語くん

副主任研究員 榧野 潤

私たちは、キャリア・カウンセリングの研究や研修のためのツールとして、「逐語くん」(正式名称:職業相談・職業紹介逐語記録作成・解析システム)を開発しました。今回、その背景となる理論の一つとして、キャリア・コンストラクション理論をご紹介します。

なお、キャリア・コンストラクション理論は 2002年にサビカス(Savickas,M.L.)が提唱した新しい理論であり、多くの読者の皆様が初めて耳にする言葉かもしれません。

まずは、キャリア・カウンセリングの理論の歴史を代表する 3人のキャリア・カウンセラーのストーリーをモチーフに、このキャリア・コンストラクション理論の性格を説明し、その後で私の研究を紹介することにしましょう。

(このコラムでいう「キャリア」とは、組織や制度上の職務ルートを指すのではなく、個人が、経験したり、感じたり、サビカス流に言えば、表現することも含めた働き方や、広く言えば、生き方のことを指します。)

1.3人のストーリー

クライエントが、今、勤めている会社を辞めるかどうかで悩み、キャリア・カウンセリングを受けに来ました。

まずは、最も硬派の考え方をするキャリア・カウンセラー“ハカル”さんの登場です。ハカルさんはまず相談者の特徴を明らかにしようとします。「明らかにする」とは、全体の中で、その人がどこに位置づけられるのかを“客観的”に示すことです。

その手順ですが、まずハカルさんはその人の特徴を測ります。例えば、コミュニケーション能力ならば、「相手の話をじっくり聞くことができるか」といったコミュニケーション行動に関することを聞き、「できる」ならば 1点、「できない」ならば 0点というように得点化します。

ついで、その得点が、同じ年齢の同性とか、同じ職種というように属性を限定し、そのグループにおけるその人の能力面での位置づけを明らかにします。まぁ、偏差値のようなものです。そして、過去に同レベルの偏差値の人が転職をしてどのような職業についているのか、といったことを調べます。

さて、仮にグループの分析により、標準偏差値が 70点以上の人は年収 1,000万円以上で転職してる割合が 7割などの結果が出たとし、このようなデータを活用し、客観的に転職の際に求められる能力要件と、クライエントの持っている能力とのマッチングを検討していきます。

これに対し、軟派な考え方をするのが “キクオ”さんです。キクオさんの考えはこうです。「測ることは大切だけど、人は変わるのだから、ある一時点で測ってマッチングするというのはどうだろうか?」。

さらに彼はこう続けます。「転職をするかしないかを決めるのは、クライエント本人。だから、クライエントが転職についてどのように考え、思っているかが大切」。「自分のキャリアのことは自分がよく知っている。だから自分で決断するのだ」。

キクオさんのカウンセリングは、とにかくクライエントの話を“聴く”(「聞く」じゃありませんよ)ようにすることであり、クライエントは話すことにより、自分自身のキャリアのストーリやテーマに“気づく”ことができるという考えです。確かに、キクオさんのクライエントは話をしているうちに、自分自身で決断できるようになるようです。

ただし、このようなキクオさんのキャリア・カウンセリングに対しては、次のような批判があります。「自分の思いや考えだけで実際の転職につながるのだろうか?」といった具合にです。もちろん、キクオさんはこの批判に一生懸命、反論します。「クライエントは思い込みだけじゃなく、ちゃんと現実も見ています」。しかし、今いち説得力がありません。

そこで“ヤリトリ”さんの登場です。ヤリトリさんはキクオさんの弟子筋にあたる人であり、最近になって、キクオさんから独立したばかりのキャリア・カウンセラーです。

ヤリトリさんはキクオさんに寄せられる批判をよく見てきました。そこでヤリトリさんは考えたのです。キクオさんの考えをもっと徹底させてはどうかと。軟派でも「超」軟派を目指したのです。

彼は主観や客観なんて区別がないと考えます。すべてが主観なのだと。じゃあ、なにが現実なのでしょう。彼は、他者に主観を表現し、お互いがその主観を共有することにより、現実そのものでなく、現実像をつくるのだと考えました。

ヤリトリさんは、クライエントが自分自身やキャリアについて語ることを促します。ヤリトリさんにとって、主観、客観の区別は意味がなく、表現すること、そのものがキャリア形成と考えるからです。こうやって、キャリア・カウンセラーであるヤリトリさんは、クライエントとともにクライエントの現実像と向き合うことになります。

それと同時に、ヤリトリさんはキクオさんのようにただ「聴く」ことだけをするわけではありません。キャリア・カウンセラーとしてのヤリトリさんの考えを話すなど、積極的にクライエントのキャリアについて話し合おうとします。

また、ヤリトリさんはコンピューターなどの情報機器も積極的に活用します。情報と情報が結びついて、新たな情報が創造されることを重視するからです。

2.逐語くんの役割

このハカルさん、キクオさん、そしてヤリトリさんは、職業相談研究の理論家である、パーソンズ(Parsons,F.)、スーパー(Super,D.E.)、サビカスの人物像を例えています。

ハカルさんことパーソンズは特性・因子理論の始祖であり、この考え方は約 100年前から存在します。キクオさんことスーパーは 50年ほど昔に職業発達理論を提唱しました。ヤリトリさんであるサビカスは 10年ほど昔に、スーパーの職業発達理論に構築主義のアプローチを取り入れ、キャリア・コンストラクション理論へと発展させました。

サビカスはスーパーの考え方を現代風にアレンジしたと言えるでしょう。変化の激しい現代にあっては、キャリア・カウンセラーがクライエントのキャリアを予測して、マッチングすることは困難です。それよりも、クライエントと一緒になって、クライエントの現実像に向き合い、さらに現実像をつくる(=CONSTRUCT)ことが大切だと考えます。

この現実像のなかで彼が重視するのがキャリアというストーリーです。私たちは、自分自身について、過去があるから現在があり、現在があるから未来があるというストーリーとともに生きています。そのストーリーによって、私たちは、自分自身の働く意味を理解し、そして、他者に自分自身がどういう存在なのかを知らせることができます。そして、このストーリーは、クライエントとキャリア・カウンセラーとの間の主として言葉によるやりとりによってつくられるのです。

では、どのようにして、ストーリーはつくられるのでしょうか。サビカスは言います。キャリア・カウンセリングのプロセスを明らかにする研究が必要だと。そう、言葉のやりとりを分析するツールが必要なのです。それが、私たちが開発したツールである「職業相談・職業紹介逐語記録作成・解析システム」、通称「逐語くん」です。

なお、「逐語くん」こと、「職業相談・職業紹介逐語記録作成・解析システム」を活用した研究は、労働政策研究・研修機構ホームページのプロジェクト研究の成果「中高年求職者の職業相談」のところに掲載されていますので(http://www.jil.go.jp/institute/project/series/2007/08/prs8_08.pdf )、是非ともお読みください。

( 2007年 7月 13日掲載)