壁を壊したあと

研究員 前浦 穂高

当機構にお世話になるまでの3年間、私は私立大学で助教をしていた。その大学には教職員組合があり、教員と職員が同じ組合に加入している。助教は教員の一員であり、組合員資格を持つ。しかし私は組合に加入しなかった。同僚に「労使関係をやっているのに、なぜ組合に入らないのか」と何度も聞かれたが、加入する気は全く無かった。

簡潔に言えば、有期契約の助教(任期3年、更新なし)と正社員である教職員との利害調整は困難だと考えていたからである。今でも私は、その考えに間違いはなかったと思うが、最近になって、当時の私は利己的過ぎたかもしれないと考えるようになった。そう考えるきっかけを与えてくれたのは、中村圭介氏が書いた『壁を壊す』である。

本書では、2つの「壁」の存在が指摘されている。1つは、組合が「非正規労働者は組合を嫌っている(必要としていない)と思うこと」、もう1つは、非正規労働者は「組合が必要だと思いながらも、組合に積極的に加入していないこと」である。筆者は、労働組合に加入する意味もメリットも感じていない非正規労働者に対して、加入を説得する組合の姿を描きながら1)、その「壁」を壊す(組織化を進める)必要性を主張する。

私にとって最も印象的であったのは、ケンウッド・ジオビットの事例である。同社の組合は、全労働者数の7割を占める非正規労働者の組織化を決定し、準備委員会を設立する2)。準備委員6人のうち、5人は非正規労働者である。組織化の対象は、携帯ショップに勤務する契約社員(若い女性)である。彼女らに開店1時間前に集まってもらい、準備委員(非正規労働者)が、労働組合とは何か、組織化によるメリットを説明した。ショップの契約社員からは、「組合費でブランドのバックや財布が買える」とか「ただでさえも年収が少ないのに、年間でこれだけ取られて、いったいどんな見返りがあるのか」という素朴な質問が出された。組合費が月収の2%とすると、非正規労働者の平均月収は17万円程であるから、組合費は毎月3千~4千円程度、年間で4万円ほどになる。

これらの疑問に対して、準備委員は契約社員を納得させる回答ができたわけではなかったが、始業時間が間近に迫ると、契約社員は組合に加入する。組合についての理解が深まったとは思えない契約社員たちが加入したのは、同じ立場の非正規労働者が有給を取得し、店舗に赴き、懸命さと誠実さを持って説得したことが、彼女たちの信頼を生んだからと考えるほかはないと筆者は説明する。

非正規労働者が組合に加入することによって、彼(彼女)らの労働条件は整備され、組合は代表性の危機と集団的発言メカニズムの危機を克服することができた3)。ただし「壁」を壊せば、全ての問題を解決できるわけではない。

非正規労働者を組織化すれば、組合は正社員に加え、非正規労働者の声も吸い上げ、両者の利害を一致させて、労働者全体を代表して発言し続けなくてはならなくなるからである。組合にとって、非正規労働者の組織化は、数の上で労使関係を安定させる一方で、組合活動の質的側面(正社員と非正規労働者との利害調整など)が問われることでもある。「壁」を壊したあとの労使関係を安定させるためには、一体何が必要なのか4)。この点について明らかにする必要がある。

非正規労働者の組織化は、今後の集団的労使関係のありようを模索する際にも、非正規労働者の労働条件を整備する上でも重要なテーマである。このテーマが注目されるということは、発言機構としての労働組合の存在意義と真価が問われることを意味する。2014年度から取り組む非正規労働者の組織化のプロジェクトを通じて、私は組合の本気の姿を描きたいと考えている。

脚注

  1. そのプロセスについては、中村(2009)の第3・4章を、また各事例の詳細な分析については、連合総研編(2009)を参照されたい。
    21世紀の日本の労働組合活動に関する調査研究Ⅰ「非正規労働者の組織化」調査報告書(連合総研)
  2. 中村(2009)が取り上げる事例は、企業や事業所単位で見ると、非正規労働者比率(全従業員に占める非正規労働者の割合)が高い。組織の非正規労働者比率が高くなければ、組合は組織化に取り組まないのであれば、多様な労働者に発言機会を確保する方策を考える場合、組合による組織化とは別の道を考えなくてはならなくなる。なお今後の集団的労使関係のありようを模索したものとして、労働政策研究・研修機構編(2013)をあげておく。
    様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会報告書(JILPT・2013年7月30日)
  3. 非正規労働者が企業もしくは事業所の多数派である場合、①組合に加入する、もしくは②組合に加入せず、非正規労働者が新しい組合を結成するか、自分たちで過半数代表者を選出するかのいずれかによって、発言することができる。後者(②)の場合、正社員組合は、ライバルユニオンを抱えるか、少数派組合に転落することになり、その結果として、現在の労使関係を維持することは困難となるだけでなく、組合の発言力が低下する。代表性の危機と集団的発言メカニズムの危機とは、非正規労働者の増加によって、こうした事態を招き兼ねない状況を指す。
  4. 「従業員代表制実態調査研究プロジェクト」(担当:呉主任研究員)では、組合結成で大きな成果をあげているオルガナイザーをお招きし、新規に組合を結成する方法やコツなどについて、お話をうかがっている。そのお話のなかでは、組合を結成した後に、失敗に終わるケースがあることが指摘されている。正社員組合が非正規労働者の組織化に取り組む場合でも、組織化後に労使関係が安定しないケースもあると考えられる。

参考文献

  • 中村圭介(2009)『壁を壊す』教育文化協会.
  • 連合総合生活開発研究所編(2009)『「非正規労働者の組織化」調査報告書』.
  • 労働政策研究・研修機構編(2013)『様々な雇用形態にある者を含む労働者全体の意見集約のための集団的労使関係法制に関する研究会報告書』.

(2014年6月27日掲載)