「人」を定義するということ

副主任研究員 岩脇 千裕

私はここ数年間、安定した仕事に就いていない【既卒者】と人材不足に悩む中小企業とを、お互いが幸せになれる形で結びつけるにはどうしたらよいのか、研究に取り組んできた。調査・研究にあたっては概念の定義が必要である。しかしこの【既卒者】という言葉は、はっきりとした輪郭がみえにくい。世間ではどのような人のことを【既卒者】と呼んでいるのだろうか。

企業が就業経験の全くない若者を積極的に正規雇用する機会は新卒時に限定され、その他の採用機会は欠員や新しい職務が発生した際に部分的に「即戦力」を「中途採用」することに限られる。そのため卒業時に円滑な就職ができなかった【既卒者】は、「新卒採用枠」にも「中途採用枠」にも入れず、職務遂行能力を身につける機会を得られないまま年齢を重ねてしまう。

そうした認識に基づく危機感から、リーマンショック後の2010年11月、政府は「青少年雇用機会確保指針」を改正し、「事業主が青少年の募集及び採用に当たって講ずべき措置」として、新卒採用枠の募集条件は学校等を「卒業後少なくとも三年間は」応募できるように設定し、年齢の上限を設けないこと、上限を設ける場合は青少年が広く応募できる年齢とする旨の記載を追加した。同時に、学校卒業後3年以内の【既卒者】を対象とした様々な支援施策をうちだした。

これらの一連の取り組みは、【既卒であること】の問題性を広く一般に知らしめ、新卒一括採用制をとる企業に【既卒者】へ配慮することを新たな社会規範として認識させた。その意義は大きい。しかし一方で指針には罰則規定がなく、【既卒者】を応募可としている企業が実際の選考過程で何を行っているかは不透明である。改正の本来の意図は、年齢制限の設定に関する記述からも明らかなように、若者が新卒者と比較可能な【既卒者】でいられる期間をできるだけ長くしようというものである。しかしそうした意図とは独立に、採用側が「少なくとも三年間は」という文言を「四年以上経過した場合は応募不可としてもよい」と読み替えることは十分ありうる。

人に関わる概念を定義するということは、その概念にあてはまる人の範囲を定め、それ以外の人を排除することだ。殊に政策に関連する用語の場合、支援の対象者を限定することにつながる。支援にはコストがかかる。財源が限られる中、対象者を限定することは不可避である。しかしその概念にあてはまる人だけが支援を必要としているわけではないのもまた事実である。

たとえば、かつて「フリーター」と呼ばれた若者が不安定な就業形態のまま35歳をむかえると、言葉の定義上は「フリーター」ではなくなる。しかしその置かれた状況は、むしろ年齢を重ねるほど深刻になっていく。そうした「元・フリーター」が多く存在することや、彼・彼女らを支援するための取り組みがなされていることは、世間では案外知られていない。同じようなことが【既卒者】にも起きるのではないかと危惧している。

この問題に対処する一つの方法は、ある概念の定義によって排除された人々を包摂するために新たな概念を作るというものである。「フリーター」「ニート」「ワーキングプアー」「名ばかり正社員」など、若者(に限らないが)の雇用が「問題」と認識されて以来、様々な論者によって次々と新しい概念が生み出されてきた。

たとえば、「フリーター」が注目を浴びた数年後に、その概念では包摂しきれない層を問題の俎上にあげるべく「ニート」が生み出された。非正規雇用者の困難が社会問題と認識された後、「正社員」であっても過酷な労働条件で働く人々に目を向けさせようと「名ばかり正社員」が生み出された。いずれの概念も、それまで見過ごされてきた問題を広く世に知らしめ、政府等による具体的な解決への取り組みを促すという大きな役割を果たしてきた。【既卒者】という概念を定義しようとしている私も、その末席を汚していることになる。

しかし自戒を込めていうならば、社会が複雑化し人々のライフコースが多様化せざるをえない現代社会では、ある概念から排除された人々を包摂しようと新たな概念を作っても、その概念でも包摂しきれない「支援すべき人」は必ず残る。むしろこれだけ多様な概念が多数生みだされてきたということは、従来とは異なるアプローチが必要であることの現れではないだろうか。すなわち、今までに生み出されてきた多様な概念に共通する背景をみつけだし、その解決に乗り出すことである。もちろん、一朝一夕に成し遂げられる話ではない。あらゆる領域で短期的な成果が求められる昨今の風潮では、机上の空論と片付けられてしまうかもしれない。それでも、こうした包括的なアプローチをとらない限り、あらゆる問題の元凶が絶たれることはないように思う。

(2013年11月15日掲載)