ワーク・ライフ・バランス:イギリス
ワーク・ライフ・バランスの政策支援と現状

イギリスでワーク・ライフ・バランスの概念が普及した経緯をみると、雇用主が経営上の理由から関心を示したことに始まったようだ。欧州一の長時間労働国といわれるイギリスだが、生産性は近隣欧州諸国に比べて低い。逆に労働者の健康が損なわれるというマイナス面の影響が指摘され、労働者に柔軟な雇用制度を提供することが合理的ではないかと考えられるようになった。加えて、近年は失業率が低水準(2003年時点で5.0%)で推移し、労働市場の逼迫から優秀な人材の確保・定着が大きな課題となっている。雇用主は人材確保のために、より魅力的な雇用環境を提供する必要に迫られた。

労働力供給側の変化も背景の一つである。女性の労働参加が進み(就業率は欧州の中でも高水準の約7割)、夫婦の働き方が変化し、共稼ぎ世帯が大きく増加した。それに伴い育児・介護責任を抱える労働者が増加した。その一方、育児中の無職の妻の中にも就業希望の者が少なくない。育児・介護を抱えながら働く労働者や、育児中の母親などの潜在的労働力をフルに活用するためには、ワーク・ライフ・バランス施策が必要だと考えられるようになった。また労働者の側でもワーク・ライフ・バランスを求める声が高まっている。労働組合会議(TUC)は活動綱領の一つとしてワーク・ライフ・バランスを掲げ、長時間労働の風土と闘うキャンペーンを展開している。

こうした様々な背景のもと、従来は大企業を中心に、いわば人材確保対策としてワーク・ライフ・バランス施策が導入されてきた。近年のブレア政権は政策上も、ワーク・ライフ・バランスの支援を中心課題の一つと位置づけるに到っている。以下ではイギリスにおけるワーク・ライフ・バランス政策(注1)と、企業における普及状況を中心に紹介する。

1. ワーク・ライフ・バランスを支援する法制度

ワーク・ライフ・バランスを支援する法制度は、出産・育児休暇、出産・育児の経済支援、労働時間関連など、幅広い範囲にわたっている(表1)。最近では2003年4月から施行されている2002年雇用法により、出産休暇が拡充(出産給付支給期間18週→26週、給付額の引き上げなど)され、また父親休暇が新たに導入されるなど、ワーク・ライフ・バランスの支援が強化された。また、6歳未満の子供をもつ親が柔軟な働き方(flexible working)を申請できる権利が新たに設けられた。

働く親が柔軟な働き方を申請する権利

柔軟な働き方とは、労働時間の変更、勤務時間帯の変更、在宅勤務のいずれかである。労働者からの要求を雇用主が断ることができるのは、業務上の理由があると認められる場合に限られる。すなわち(1)追加費用の負担、(2)顧客需要への対応能力に不利益な影響、(3)現在のスタッフの間で職務を組み直すことができない、(4)追加スタッフを雇用することができない、(5)業務の質への不利益な影響、(6)業績への不利益な影響、(7)申請した労働者が希望する就労期間では十分に職務を果たせない、(8)組織の構造的な改編の予定がある、のいずれかである。

手続きの流れとしては、まず労働者から、希望する柔軟な働き方、働き方の変更を開始する期日、世話をする子供との関係などを明らかにした文書を提出する。提出後28日以内に、雇用主と労働者との間で希望する勤務体制について話し合いがもたれる。話し合いから14日以内に、雇用主は要求の許諾について従業員に文書で通知しなくてはいけない。

柔軟な働き方の具体例としては、パートタイム労働のほか、表2のような勤務形態がある(DTI資料より)。

2.ワーク・ライフ・バランスの周知啓発

キャンペーンで事業経営上のメリットを強調

政府は2003年3月からブレア首相名で、5年を期間とする「ワーク・ライフ・バランス・キャンペーン」を展開した。その目的はワーク・ライフ・バランス施策の導入によって経営上のメリットが得られることを雇用主に示し、自主的な取り組みを促すことにあった。メリットとしては(1)労働力を最大限に活用できる、(2)社員のモラルアップ、ストレス軽減、(3)高齢者や育児、介護などのケアリングの担い手を含む、広範な人材の採用可能性、(4)常習欠勤の減少、生産性の向上、(5)優秀な社員の定着、といった点があげられた。キャンペーンでは雇用主に経済的支援を行うための「チャレンジ基金」が設置された。また、先進的な企業から構成される「ワーク・ライフ・バランスのための雇用主連盟」と連携して、好事例の収集や情報提供が集中的に行われた。

チャレンジ基金

ワーク・ライフ・バランス施策の導入のために専門のコンサルタント機関を利用する雇用主に対して、資金援助を行うために設置された。援助対象雇用主は公募・選考により決定された。雇用主は最長12カ月のワーク・ライフ・バランス施策導入プロジェクトを企画し、コンサルティング機関の支援を受けながら実行する。プロジェクトでは経費の節約、常習欠勤の減少、従業員の定着レベル、施策の利用状況等の指標を把握する。雇用主の取り組みは周知啓発のための情報として活用された。2000年10月の公募開始から約3年間で400を超える雇用主が支援を受け、支援総額は1130万ポンド(約22億円)に上った。

「ワーク・ライフ・バランスのための雇用主連盟」

大手銀行のLloyds TSBやHSBC、通信大手のBTなど22の先進的な雇用主から構成されるこの連盟の目的は、ワーク・ライフ・バランス施策のメリットを広め、取り組みを普及させること。連盟はそのウェブサイトで多様な業種・規模の好事例、法制、用語解説、困ったときの解決策、一問一答、自社がどれだけ進んで(又は遅れて)いるかを評価するためのベンチマーキング・ツールなど、幅広い情報を提供している(注2)。

3.最近の動き/ワーク・ライフ・バランス支援の新たな法案

2005年10月、DTIは「就業家族法案(Work and Families Bill)」を発表した。アラン・ジョンソンDTI相によれば、この法案は労働者の仕事と育児の両立を支援するために、雇用権や雇用主、労働者の責務に関する近代的な枠組みを創設し、事業への影響を最小化することを目指すものである。具体的には次のような施策が盛り込まれている。

  • 法定出産給付及び出産手当の支給期間を2007年4月から9カ月に延長(議会閉会時までにこれを1年とする予定)。
  • 新たな父親休暇の導入。母親が出産休暇終了前に職場復帰した場合、父親を休暇と法定給付の対象とする。
  • 柔軟な働き方の申請権を、2007年4月から介護者にも拡大。
  • 法定出産給付、出産手当等の支給に関する企業の事務処理のサポート
  • 出産休暇期間中に休暇・給付の権利を失うことなく出勤できる連絡日の導入

4.ワーク・ライフ・バランス施策はどれくらい普及しているか

(1)2002年雇用法の施行前の状況

同法の施行に先立ち、DTIは2002年12月から2003年4月にかけて雇用主1500、労働者2000人を対象とした広範な調査を行った(注3)。

休暇制度の導入状況

各種休暇制度の導入状況(雇用主調査)を表3に示す。父親休暇が法制化される前でも、文書・裁量を合わせて6割の雇用主が子供の出産時に父親に休暇を認めている。

様々な勤務形態の導入と利用状況

様々な勤務形態の導入率(雇用主調査)と、利用率(労働者調査)が表4である。パートタイム、フレックスタイムを除く導入率はいずれも1割前後。利用率が高いのはフレックスタイム、在宅勤務、学期間労働。ただし子供の有無や職種によって差がある。

(2)法施行後の状況

2002年雇用法の施行により、人々の働き方はどう変化したのか。施行後5カ月時点で英国マネジメント協会(CIPD)が行った雇用主調査(注4)によれば、柔軟な働き方の申請数が増加したとする雇用主が約3割。また、申請の少なくとも半分は認めたとする雇用主が6割を占めていた。

次にみるのは2005年1月にDTIが行った労働者調査(注5)の結果である。

柔軟な働き方の申請・認可状況

調査時点から過去2年間に、働き方の変更を申請した者の割合は14%。子供がいる方がその割合は高く、特に小さな子供のいる母親で高い(表5)。

申請された働き方(勤務形態)は、女性はパートタイム、男性はフレックスタイムが多い(表6)。申請の81%が認められている(全面的69%、部分的12%)。

申請理由は、女性は育児や家族時間という「ファミリー」関係が圧倒的に多い。それ以外の理由は主に男性から申請されているが、一割台と少ない。(表7)。

5.ワーク・ライフ・バランスと企業の利益

ワーク・ライフ・バランス施策を導入することは企業の利益につながるのだろうか。雇用主にとっても、また政策担当者にとっても関心の深いテーマである。先述のように、DTIや「ワーク・ライフ・バランスのための雇用主連盟」は、様々な経営上のメリットを強調している。採用コストの削減や離職率の低下など、具体的な数値を示した好事例も数多く示されている。

しかし、先述のCIPDによる雇用主調査の結果をみると、フレキシブルな働き方の導入が組織の利益(生産性や定着率の向上)につながっているかどうかは、明らかな結果が出ていない(図1)。

イギリスやアメリカでは多くの研究者がこのテーマを追跡しているが、現時点で両者の因果関係は明確ではないようだ。これに対して、従業員の態度やモラルに関しては、フレキシブルな働き方の導入が良い影響を与えることが、雇用主調査の結果からも示されている(図2)。

2003年4月にフレキシブルな働き方の申請権が導入されてから、2年半余。いまのところ申請の大部分が認められ、女性が育児・介護などの家庭責任を果たすために申請するケースが多いようだ。今後申請者の範囲はどれくらい拡がるのか。様々な勤務形態をはじめとするワーク・ライフ・バランス施策は、どれくらい普及するのか。政策の効果を検証するにはもう少し時間が必要かもしれない。いずれにせよ、イギリス政府は今後もワーク・ライフ・バランスの政策支援を強化していくだろう。その動向は注視する必要がある。

    仕事と生活の両立支援に関する法制度

  • 休暇制度
    • 出産休暇
      出産休暇は通常出産休暇(OML)26週及び追加出産休暇(AML)26週、合わせて最長1年。OML中は法定出産給付(SMP)を受給できる。最初の6週は週給の90%、残りの20週は週106ポンド(週給が106ポンド未満の場合は、週給の90%)。またSMPの受給資格がない離職者は、一定の要件を満たせば出産手当(MA)を受給できる。
    • 育児休暇
      1年以上勤続する労働者は、1週単位で1年間に4週まで、子供が5才になるまでに合計13週の育児休暇(無給)を取得できる(障害をもつ子供の親は子供が18才になるまでに18週)。
    • 父親休暇
      2003年4月以降に生まれた子供の父親は、連続する1週又は2週の有給休暇が取得できる。ただし休暇の最終日が子供の誕生から8週以内でなくてはならない。休暇中はSMPと同水準の法定父親給付(SPP)を受給できる。
  • 柔軟な働き方(flexible working)の申請権
    6才未満の子供又は18才未満の障害をもつ子供の親は、柔軟な働き方(労働時間の変更、勤務時間帯の変更、在宅勤務のいずれか)を申請する権利がある。申請日までに26週以上連続して働いていることが要件。雇用主はその申し出を真剣に検討する義務がある。

保育サービス

1998年より「全国保育戦略」に基づき、14歳までの子供を対象とした保育サービスが地方自治体、企業、ボランティア団体との連携のもとに提供されている。2004年末までに全国で52万5000カ所の保育所が新設され、初期教育プログラムとして3~4歳児に対して週12.5時間の初期教育が無料で提供された。また2004年12月には、新たに「育児10カ年戦略」が公表され、保育サービスのさらなる拡充が打ち出された。

関連法制度

  • 労働時間規制
    1998年に整備された労働時間規制により、労働時間の上限を週48時間とすること、労働時間6時間当たりの休憩時間の設定、最低4週間の年次有給休暇の付与、夜間労働時間の上限を8時間とすることなどが規定されている。これはEUの「労働時間指令」により加盟国の国内法の整備が要請されていることを受けたものだ。ただし、労働者が個別に合意すれば週48時間を超えて働くことができるという例外規定を加盟国中唯一適用されている(オプト・アウト)。
  • パートタイム労働に関する規制
    2000年に整備されたパートタイム労働に関する規制は、パートタイム労働者が労働契約条件において、比較可能なフルタイム労働者よりも不利な扱いを受けないことを保障するものである。EUの「パートタイム労働に関する指令」を受けたものである。

資料出所:DTIほか

  • 年間労働時間契約制Annualised hours
    年間の総労働時間数を契約し、それに基づいて週の労働時間を決定する。
  • 圧縮労働時間制Compressed hours
    通常よりも短い期間内での総労働時間数を契約する。例えば週5日勤務から4日勤務に変更し、総労働時間は同じ(5日分)とする。
  • フレックス・タイムFlexitime
    勤務時間を労働者が決定する。通常は合意された一定のコアタイムを含む。働いた時間分の賃金が支給される。
  • 在宅勤務Home-working
    フルタイム契約である必要はなく、労働時間を職場と自宅とに分割してもよい。
  • ジョブ・シェアリングJob-sharing
    パートタイム契約を結んだ2人の労働者が一つのフルタイムの仕事を分担する。
  • シフト労働Shift working
    営業時間が1日8時間よりも長い雇用主向け。あらかじめ契約すれば割り増し賃金を払う必要はない。
  • 時差出勤・終業Staggered hours
    業務の開始・終業時間を人によって変える。時間帯によって必要な人員数が変動する小売業などでは都合がよい。
  • 学期間労働Term-time working
    子供の学校の休暇中は無給休暇をとることができる。
  • 期間限定労働時間短縮Reduced hours for a limited period
    連続した一定の期間(例えば6カ月)労働時間を短縮し、その後通常の時間に戻す。

資料出所:DTIほか

  • 出産休暇(注1)
    法定制度を上回る制度がある68%
  • 育児休暇
    文書で規定した制度がある45%
  • 父親休暇(注2)
    • 文書で規定した制度がある35%
      • 日数「10日」28%、「5日」25%
      • 休暇中は有給73%
    • 裁量で与えている27%
      • 日数「10日」28%、「5日」23%
      • 休暇中は有給63%

注1:調査時点の法定出産休暇はOML18週、AML29週。

注2:ここでは「子供の出産前後に父親が利用できる休暇取得制度」と定義されている。

資料出所:DTI

注1:各勤務形態が利用可能であると回答した労働者に対して、過去1年間における利用の有無を質問したもの。

注2:カッコ内は、調査時点でフルタイム社員である者のみをベースにした利用率。

注3:19歳以下の子供と同居する親に対して質問したもの。

資料出所:DTI

資料出所:DTI

注1:働き方の変更を申請した労働者全体に占める割合。

注2:*及びこれら以外の働き方については、申請数が少ないため算出不能。

資料出所:DTI

注:*はサンプル数が少ないため算出不能。

資料出所:DTI

図1

 

資料出所:CIPD

図2

出所:DTI

参考資料

  1. JILPT資料シリーズNo.8「少子化問題の現状と政策課題/ワーク・ライフ・バランスの普及拡大に向けて」

2005年12月 フォーカス: ワーク・ライフ・バランス

関連情報