欧州委員会が2024年の労働市場と賃金動向に関する年次報告書を公表
欧州委員会は2024年12月19日、EU、ユーロ圏、加盟国の最近の労働市場と賃金動向に関する年次報告書「欧州の労働市場と賃金動向2024年版」を公表した。同報告書は、一般的な労働市場の状況、賃金と労働費用の動向、高齢者の労働力参加の3章構成で詳細な分析を行っている。このうち、賃金に焦点を当てた第2章「EUと加盟国における賃金と労働費用の動向」の概要について紹介する。
名目賃金の伸びは鈍化、実質賃金の伸びは緩やかに回復
EUの雇用者一人当たりの名目報酬上昇率は2022年の4.9%に続き、2023年は過去最高の6.1%に達した(図表1)。2024年第1四半期の上昇率は前年比5.6%であったが、インフレ率の低下と経済減速を背景に、2024年第2四半期は5.0%に低下した。ユーロ圏の賃金の伸びも緩やかになり、2023年第1~第2四半期の前年比約5.5%から、2024年第2四半期は4.3%に低下した。
欧州委員会の「2024年秋の欧州経済予測」(注1)によると、雇用者1人当たりの名目報酬は2024年に4.8%、2025年に3.5%の伸びが見込まれる。これは2013年から2019年の平均である約1.8%を大きく上回るが、インフレ率の減速と弱い経済状況の影響で2023年の6.1%を下回っている。
図表:雇用者一人当たりの名目報酬、年変化率
注1:雇用者一人当たりの名目報酬は、雇用者の総報酬を雇用者数で割って算出される。
注2:AT(Austria)、BE(Belgium)、BG(Bulgaria)、CY(Cyprus)、CZ(Czechia)、DK(Denmark)、DE(Germany)、EA(Euro area)、EE(Estonia)、EL(Greece)、ES(Spain)、EU(European Union)、FI(Finland)、FR(France)、HR(Croatia)、HU(Hungary)、IE(Ireland)、IT(Italy)、LT(Lithuania)、LU(Luxembourg)、LV(Latvia)、MT(Malta)、NL(Netherlands)、PL(Poland)、PT(Portugal)、RO(Romania)、SE(Sweden)、SI(Slovenia)、SK(Slovakia)
出所:European Commission(2024)”Labour market and wage developments in Europe - Annual review 2024”
EUの実質賃金上昇率は2022年にマイナス3.9%と大幅に下落し、2023年もマイナス0.4%となった後、2023年後半にプラスに転じ、2024年第2四半期は前年同期比2.4%に達した(図表2)。「2024年秋の欧州経済予測」によると、EUの実質賃金は2023年全体で0.2%減少し、2024年全体では2.3%上昇すると予想される。これはインフレ率の低下と名目賃金の緩やかな伸びによるものである。実質賃金の伸びは、ベルギーを除くすべての加盟国で2024年はプラスになると予想されるが、パンデミック前の1.1%の水準を下回る可能性があり、加盟国間でも大きな差が見られる。
図表2:雇用者一人当たりの実質賃金、年変化率
注1:実質賃金は、消費者物価指数をデフレーターとして計算
注2:Q2は第2四半期
注3:国名コードは図表1注2参照。
出所:同上
2021年末以降の購買力低下を補う賃金要求が勢いを増しており、交渉賃金(注2)の力強い伸びがこうした賃金動向の主な原動力となっている。2023年初頭以降、ユーロ圏の交渉賃金の伸びは2000年代以降の伸び率を大幅に上回り(図表3)、2024年第3四半期は過去最高の5.4%(年率)を記録した。ユーロ圏の求人募集における賃金の伸び率(新規雇用労働者の賃金の伸び率)は2024年に大幅に減少し、交渉賃金の伸びを下回っている。
図表3:ユーロ圏における交渉賃金と求人広告における賃金の伸び率 (単位:%)
出所:同上
低賃金労働者・中所得層の脆弱性が増加し、労働分配率は依然停滞
2021年末以降の実質賃金の大幅な減少は、主にエネルギー価格と食料価格の高騰に起因する高いインフレ率を反映しており、低・中所得世帯に大きな悪影響を及ぼした。支援策と賃金上昇にもかかわらず、2022年から2023年にかけて低・中所得世帯の購買力は低下した。
経済的苦境を訴える労働者の割合(注3)は大幅に増加し、2023年2月に15.5%を記録した。これは2022年1月より5ポイント高く、COVID-19のパンデミック前の時期より3ポイント以上高い。その後、実質賃金が2023年後半に再び上昇し始めたにもかかわらず、2024年8月は13.7%と高水準で安定している。
法定最低賃金の引き上げは、ほとんどの加盟国で最低賃金労働者の購買力の低下をほぼ相殺した。2022年1月から2024年7月までの間に、法定最低賃金は、それが適用されるすべての加盟国において名目ベースで10%以上増加した。実質ベースでは、8カ国で10%以上、6カ国で4~10%増加したが、フランスでは1.3%、チェコとスロバキアでは3%以上減少した(図表4)。最低賃金の動向は、深刻な労働力不足と関連しており、低賃金労働者の多い部門で時間当たり賃金が上昇する一因となった。2022~2023年の高インフレ期には、卸売・小売業、運輸業、宿泊・飲食サービス業、建設業などの低賃金部門で比較的高い伸び率を示した。
図表4:法定最低賃金を定めている加盟国における最低賃金の推移
注:国名コードは図表1注2参照。
出所:同上
労働分配率(注4)は、2000年の63.6%から2017年は62.3%まで低下し、2019年は62.8%とわずかに上昇した。COVID-19の流行期にはさらに増加し、2020年は63.3%であった。これは、企業による労働力の囲い込みと政府が採用した雇用維持スキームによるものである。しかし、雇用維持スキームが徐々になくなり、実質賃金が減少したため、労働分配率は2022年に61.6%まで低下した。これと並行して、EU(および大半の加盟国)の企業利益率はパンデミック前の水準を上回っており、2019年の45.5%に対し、2023年第1四半期から2024年第1四半期の平均は46.2%に達した。今後、実質賃金の緩やかな回復により、2024年の労働分配率は62.5%に回復し、2025年は安定的に推移すると見込まれるが、ほとんどの加盟国において、労働分配率は依然として2019年の水準を若干下回ると予測される。
スキルアップやイノベーションによる生産性向上が重要
報告書は、中長期的に賃上げ余地を拡大するためには、他の先進国と比べたEUの生産性上昇率を高める必要があると指摘する。コスト競争力の指標としてよく用いられる名目報酬と生産性の比率である単位労働コスト(ULC)(注5)は、EU、英国、米国で同程度のペース(約15~17%)で上昇しているが、名目賃金と生産性の上昇率はEUの方が低い。2019年~2023年の生産性上昇率は、米国が6.4%、英国が1.4%であるのに対し、EUは0.7%にとどまっている。一方、2019年~2023年の名目報酬上昇率は、米国が20.5%、英国が19.2%であるのに対し、EUは15.9%であった。生産性の強化は、EUにおいて持続的に賃金を押し上げる余地をさらにもたらす可能性があるとしている。
報告書また、賃金上昇はスキルアップやイノベーションのインセンティブとなり、生産性を促進すると指摘する。特定のスキルに報いる賃金プレミアムの存在は、雇用者のスキルアップを動機付け、それによって生産性を高めることができる。さらに、最低賃金の引き上げは、低賃金労働者の労働生産性を高める。企業レベルでも、賃金の上昇は、競争力を維持するために、より迅速な技術変化とイノベーション、ひいては生産性の向上を促す。賃上げ圧力は、企業に対して、価格の引き下げではなく、製品やサービスの質といった非価格的側面によって競争力を向上させるインセンティブを与えるとしている。
持続可能な賃金上昇を実現するための政策対応
報告書は、グリーンおよびデジタル転換への適応を促進し、生産性の伸びを加速させ、それによって賃金上昇の余地を増やすためには、構造的措置を適切に組み合わせる必要があると指摘する。賃金設定に関する団体交渉の強化は、生産性向上のより公平な分配に貢献し、実質賃金を引き上げる主要な手段となり得る。部門や産業レベルの賃金設定交渉において労働者と企業の利益の均衡を図ることは、生産性の向上と利益の公正な分配を支援することにも役立つ。さらに、社会対話は公正な労働条件、訓練機会、失業給付、積極的労働市場政策の設計をバランスよく支援することができる。
適正最低賃金に関するEU指令(注6)は、労働者の最低賃金保護の権利への効果的なアクセスを強化する。適正最低賃金指令は、加盟国に対し、団体交渉の対象範囲を拡大すること、また、対象範囲が80%未満の加盟国には団体交渉を可能にする条件の枠組みを提供し、団体交渉の対象範囲を段階的に拡大するための行動計画を策定することを義務付けている。
報告書は、労働者がより良い仕事と収入を得る機会を獲得するためには、よく設計された教育・技能政策が一層重要であると指摘する。生産性の向上を通じて賃金上昇の余地を拡大させる政策には、労働者のスキルアップとリスキリング、OJTに伴う生涯学習の強化、教育・訓練カリキュラムと企業ニーズの結びつき強化が含まれる。労働者の再配置とマッチングを支援し、労働者が新たに習得した技能により適した企業に転職しやすくするためには、効果的な公共雇用サービス、移転可能な社会保障と訓練の権利などが鍵となる。さらに、弱者を含めたデジタル・スキルの向上は、労働者がグリーンおよびデジタル転換の恩恵を十分に享受するために不可欠であるとしている。
注
- 欧州委員会サイト
参照(本文へ)
- 社会的パートナー間の賃金交渉の直接の成果を表す。新たに交渉された賃金と以前に合意された賃金の両方が含まれる。原則として、ボーナス、時間外労働、その他団体交渉に関連しない個人補償は除外される。(本文へ)
- 欧州委員会の「企業および消費者調査」では、経済的苦境を意味する「財政難」について、現在の支出を賄うために貯蓄を取り崩すか、借金をする必要があることと定義している。(本文へ)
- 労働分配率は、雇用者1人当たりの名目GDPに対する雇用者1人当たりの総報酬の比率として計算される。(本文へ)
- 名目報酬と生産性の比率で、コスト競争力の尺度として一般的に使用されている。(本文へ)
- JILPT国別労働トピック「適正な最低賃金に関する指令が成立」(EU:2022年10月)参照(本文へ)
参考資料
- European Commission(2024) ”Labour market and wage developments in Europe - Annual review 2024
”
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