「全国生活賃金」導入と雇用主の対応

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  • 国別労働トピック:2016年3月

政府が低賃金対策として掲げる全国生活賃金の4月の導入を前に、雇用主への影響やその対応についてシンクタンクが調査結果をまとめた。小売業やホスピタリティ業など、低賃金労働者の多い業種を中心に、雇用主は人件費の増加を予想しており、生産性向上や賃金以外の人件費コストの抑制、あるいは価格転嫁などによる対応を検討しているとみられる。

対応策は生産性向上や労働時間の調整など

全国生活賃金(National Living Wage)は、昨年7月の緊急予算の公表に合わせて、政府が導入の方針を示したものだ。既存の全国最低賃金制度において、25歳以上層に適用する加算制度を設けるという内容で、いわゆる生活賃金(注1)とは異なる。4月の導入にあたっては、成人向け最低賃金額の時給6.70ポンドに50ペンスが加算される(注2)。なお、同じく成人向け額の対象である21~24歳の労働者については、雇用への影響を理由に対象から除外されている。

シンクタンクのCIPDとResolution Foundationは2月、同制度の導入により想定される人件費への影響の有無や対応方法などについて、雇用主(注3)を対象に実施した調査結果をレポートにまとめた。人件費の増加を予想している雇用主は全体の約半数(54%)(注4)で、組織規模別には従業員250人未満の小規模組織で45%、これを超える中規模以上組織で62%(注5)。また業種別には、卸売・小売業(79%)、ホスピタリティ業(77%)、保健・介護業(68%)などで比率が高い(注6)

人件費の増加への対応としては、「効率性の改善/生産性の向上」(30%)が最も多く、次いで「より低い利益/コスト増を吸収」(22%)、「時間外手当/一時金の削減」(16%)、「価格の引き上げ」(15%)など(図表1参照)。効率性・生産性の向上による対応を予定している組織の比率は中規模以上企業で相対的に高く(小規模25%、中規模以上32%)、「価格の引き上げ」と回答した雇用主は小規模組織で高い(小規模24%、中規模以上10%)。

このほか、15%の組織が「整理解雇・採用抑制を通じた人員削減」を行うと回答しており、中規模以上組織でこの傾向が強い(小規模10%、中規模以上17%)。また公共部門の雇用主は、人員削減を行うとの回答比率が民間部門に比して高い(公共部門21%、民間13%)(注7)。また、今回の加算制度の対象とならない24歳以下の労働者やアプレンティスの採用を挙げる雇用主も少数に留まる。

報告書は、全国生活賃金の導入による人件費の増加分を効率性や生産性の向上によって賄うことは、少なくとも短期的には難しいとみており(注8)、当面はコスト増の吸収が標準的な方策となると推測している。また、人員削減あるいは引き上げの対象外となる労働者(24歳以下・アプレンティスなど)といった回答の比率が小さい点については、雇用主がこれらの方策は根本的な解決にならないと考えているとみており、むしろ短期的には新規採用の抑制を通じた人員調整の可能性を指摘している。

図表1:全国生活賃金の導入に伴う対応(組織規模別、%)
図表1:画像

  • 注:全国生活賃金により人件費の増加が予想されると回答した561組織を100%として、各対応手法ごとに、実施すると回答した組織の比率をみたもの。
  • 出所:CIPD and Resolution Foundation (2016) "Weighing up the wage floor: Employer responses to the National Living Wage"

全国生活賃金の対象となる労働者を多く抱える小売業では、制度導入に先立って賃上げの動きがみられる。例えば、小売業大手のLidlMorrisonsは時間当たり8.20ポンド、Aldiは8.40ポンドへの引き上げを決めているほか、複数の大手企業が法定額を上回る賃金額への引き上げの方針を示している。こうした企業では、コスト増を相殺する手法として、従業員割引や一時金の廃止、あるいは休憩時間を無給とするなどの方策が検討されている、と現地メディアは報じている(注9)

一方、小売業の業界団体であるBRCは3月、小売業の展望に関する報告書(注10)の中で、全国生活賃金や2017年に導入予定のアプレンティスシップ(見習い訓練)負担金などの負担増により、小売業では2025年までに90万人の雇用が失われると試算している。報告書は、相対的に生産性や賃金水準の高い雇用が失われずに残ることで、平均的な雇用の質は向上するとみており、全国生活賃金の導入も基本的に支持する立場だ。ただし、制度導入の影響は、相対的に困窮している地域や、小規模事業主、また失業後に新たな雇用に就きにくい層に最も大きくなる可能性を指摘、雇用主の税負担の軽減や履行確保体制の強化などによる対応の必要性を主張している。

なお、シンクタンクのIFSは、全国生活賃金の導入は一部の低所得世帯の所得水準を顕著に引き上げるものの、貧困指標の改善や所得格差の是正に関する効果はごくわずかなものにとどまる、とみている(注11)。引き上げ幅がさほど大きくないことに加えて、対象となる最低賃金労働者の多くは必ずしも低所得世帯に属していないとみられること(より所得の高い配偶者がいる、など)が理由だ。

フルタイム労働でも生活水準の維持が困難

貧困問題を扱うジョセフ・ローンツリー財団は、2月に公表した報告書(注12)の中で、最低限の生活水準の維持に要する「最低所得基準」(Minimum Income Standard)(注13)を下回る層がここ数年急速に増加しており、近年の景気回復や就業者数の増加が生活水準の改善に寄与していないとの見方を示している。

これによれば、最低所得基準未満の所得水準の世帯比率は、2008年度から2013年度までの間に21%から28%に増加した(図表2)。世帯構成別には、一人親世帯で顕著に比率が高いほか、単身世帯や子供を持つカップル世帯でも平均を上回っている。これには、賃金水準の低下以外にも、生活費の上昇や社会保障給付の削減などが影響しており、時期によって影響を受けた世帯タイプも異なるとみられる(注14)

報告書は、近年の就業率の改善に伴うフルタイム労働者を含む世帯の増加は、最低所得基準未満世帯の減少につながっていないと分析している。例えば、フルタイム労働者の一人親世帯に占める基準未満世帯の比率はこの間26%から41%に上昇している。同様に、子供を持つカップル世帯のうち双方ともフルタイム労働者の場合で5%から12%に、フルタイム労働者と非就労者の場合は38%から51%に、やはり比率が上昇しているという。景気拡大や雇用の好調は、こうした世帯の経済的な安定につながっておらず、もはやフルタイムで働くだけでは貧困への転落を防げない状況にある、と報告書は述べている。また、4月の全国生活賃金の導入は、実質ベースでの賃金増加を通じて所得水準の引き上げに寄与しうるとして歓迎しつつも、並行して実施される低所得世帯向けの支援策の削減による影響を懸念している。

図表2:最低所得基準未満の所得水準の世帯比率(世帯構成別)
図表2:画像

  • 出所:Joseph Rowntree Foundation (2016) "Households below a Minimum Income Standard: 2008/09 to 2013/14"

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