イタリアにおける最近10年間の労働市場改革と自由化

カテゴリー:労働法・働くルール

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  • 国別労働トピック:2006年10月

1. 最近の労働市場改革:沿革

イタリアに限らず、労働市場に関しては、ここ10年の間に法規制の根本的な見直しが進んでいる。

しかし、労働市場とこれに関連する経済的・社会的機構を規制する法的仕組みに対する不断の改革は、何も今に始まったことではない。むしろ、こうした改革は、労働法がもともと有している特徴の1つといえる。現代労働法の大家の1人であるフーゴ・ジンツハイマー(Hugo Sinzheimer)が、労働法のことを、未開拓な法というだけでなく、法の最先端と述べているのは、まさにこの点に言及したものである。その当時から状況は何ら変わっていない。労働法の最も根本的な存在意義は、今なお、労働法に「内在するものとして、新たな現実、いやむしろ、変化し続ける現実を評価するという困難な役目を、法学者に絶えず要求する性質に」(注1)あるといえる。

労働の生産および組織化の方法について、技術革新および市場のグローバル化によってもたらされた最近の急激な変化は、法的な介入の度合いを強め、その領域を拡大したといえるかもしれない。そのために、多かれ少なかれ、改革の過程は、労働法の領域に属するさまざまな事項の主だったもののすべてを包括することになったと思われる。

このことは、明らかに、労働法内部の動きや労働法の円熟過程に大きな影響を与えた。労働法は、その100年あまりの歴史の中で、法改革の推進者の役割を、団体交渉や自然の力の均衡に任せてきた。逆に、法律は、団体交渉の内容を「受入れ」、「補強」し、「拡張」するという伝統的な機能を果たすだけで、労働市場の規制においては補助的または2次的な役割を果たしていたに過ぎない。

しかし、イタリアで労働組合の求心力が失われるにつれ、伝統的に労働組合が担ってきた労働法の法源調整の機能は脅かされるようになった。労働市場の規制や作用において、その実効性の程度が弱まったのは言うまでもない。

法律や労働協約の強行規定と経済・社会的な現実との乖離は、イタリアの労働法の発展の中で常々指摘されてきたことではあるが、非正規労働(闇労働)の蔓延が示しているように、現在ではきわめて大きな問題となっている。指摘すべきは、今日のイタリアの労働市場において、4人に1人以上(実に400万人規模。国内総生産に対する割合でみると23%から27%に相当)が非正規労働者という異常な状態になっている。

非典型労働の拡大ならびに強行規定および労働協約の力の弱まりが、イタリアの労働市場に特有の傾向なのかどうかは定かではない。しかし、闇労働が欧州平均の2倍ないし3倍の勢いで蔓延しているイタリアのような状況は、他のOECD諸国ではみられない現象である。

労働関係規制の実効性が徐々に低下したことが、近年の改革の1因であったことは間違いない。国際舞台における企業の競争力の低下がとどまるところを知らないイタリアにおいて、立法者は、抵抗勢力や保守勢力からの反発があるにもかかわらず、労働市場の改革に取り組まねばならなくなっているのである。

ただし、ある評価によると(注2)、最近の法改正は、団体交渉に権限や権能を委ねてきた従来の方針をあまりに唐突に終了させ、労使や産業関係者の推進者たる役割を抑圧することになったといわれている。しかし、これは、かなり議論のある問題である。事実、こうした評価とは逆の見方、つまり、イタリアの労使は、産業構造システムや団体交渉の仕組みが変更されることによって、労働の実務が変化することを快く思っていないために、ここ数年の立法による干渉主義をもってしても、労使には影響しなかったとの見解もありうる(注3)。国レベルの主たる労働協約を分析してみれば明らかにわかることであるが、中央機関は、労働の組織や生産性(労働時間、請負制度、外注化の方法、労働者の職務や格付け、職業訓練等)の改正に関して、労働方法および生産方法における現在の変化を規律することを主たる任務としている。逆に、労使の合意に対する規制は、こうした主たる任務遂行に必要な範囲で部分的に対象となっているに過ぎない。国レベルにせよ企業レベルにせよ、多くの合意(注4)の例が示しているように、労働組合の抑止力はいまだ大きいのである。

また、イタリアの改革の真の精神は、保守主義や変化への抵抗勢力の論理を克服するという点にあることも無視できない。Walter Tobagiは、1980年の著書で次のように書いている。「労働組合に帰責しうるあらゆる誤りのうち、社会の変化に対するその理解の遅れは反省に値する。労働組合は、大企業や政治の場において採決の権限を行使できたが、イタリア経済モデルの方向性を決定することはできなかったことがその証拠である。市場の自発的な力は、労働組合の硬直性を認めつつ、これを回避しようという新たな均衡点に達しているのである」(注5)。この評価は、今日にも通じるものであり、また、マルコ・ビアジによる2001年10月の白書の前提にもなっている。マルコ・ビアジは、保護を受けず権利もない人々を巻き込む闇労働や見せかけの協働労働関係(いわゆる「準従属労働」と呼ばれる偽自営業)に基づく偽善的な均衡状態を打ち砕こうと試み、その成果は、彼の名がつけられた労働市場改革法(「ビアジ改革」)に現れている。

現在生じている変化を規律しながら、広漠とした「闇経済」の領域に取り組むという必要性から、これまでの不合理な法律を改正する作業が行われた。こうした法律の大部分は、1970年代から1980年代にかけて成立したもので、有効性に乏しく非統一的である。この時代には、統一的で強固な計画に基づいて立法が制定されなかったために、法は細分化し、その結果、若年雇用から多くの再構築や再転換支援策まで、さまざまな措置がとられたにも関わらず、制度改革に対する抵抗を打開できずに失敗に終わっていたのである。しかし、こうした抵抗勢力もまた、今では市場の価値や企業側の理由の正当性を認めざるをえないところまできている。

「危機にある労働法」や「変化する労働法」が話題となったのは偶然ではない。こうした表現は、国や企業システムに負担を押し付ける消極的な財政支援政策を通じて、経済危機の社会的な影響を抑えるという緊急策の根拠となった。こうして、労働法は、制限主義と保護主義の伝統を維持せんがために、現在の激しい変化を規制するには徐々に不適切になっていったのである。

この点に関して象徴的なのは、闇経済における病理的な現象(つまり、規制の掻い潜りや社会保険料負担逃れ)を、労働法制が正面から認めようとしなかったことである。こうした病理的な現象の多くは、ある意味、労働組織化の現代的方法の先駆けであった。こうした現象は、イタリアの法制度の不適切さのために、経営体制や労働モデルを非合法な領域に追いやってしまった結果なのである。

したがって、労働市場に関して実施された最近の法改正は、雑多な法規制の重層化や、法のコーポラティズム的な硬直性、廉直な発展形態とはいいがたい偶発的な措置によって歪められた労働法を合理化しようとするこれまでの歩みとの関連性で、適切に解釈されなければならない。逆に、イタリアの労働法学者の多くがそうであるように(注6)、単純な規制緩和の観点から最近の改正を解釈することは、イタリアの労働法に生じた変化に対する発展の基本的な方向性を理解するにはあまりに不適切である。法技術としてみれば、最近の法改正は、規制緩和や市場の放任ではない。むしろ、法的な介入の割合が、ここ数年で大きく増えていることを忘れてはならない。

これに対して、最近の法改正を、正規の市場の実現を追求するもの、つまり、労働法の実効性を向上させるための取り組みであるとともに、罰則や法的インセンティブの利用などによって、法律とその規制対象である経済・社会システムとの関連性を高めるためのものとみることは、的を射ているように思われる(注7)。

実際、法規制の綻びや強行法規の実効性の低下を食い止めるという意図が、こうした改革の唯一かつ真の基本方針であり、イタリアの労働法における最近の発展は、このような方針との関係で再構成することができるのである。経済・社会構造に生じている変化のために、労働法は今や、産業の文化的価値観を共有し、(単純かつ純粋な規制緩和の推進に代わる合理的な代替策である「現代化」の計画に従って)伝統的な社会正義の目的と実効性および生産性の目的とを融合させることを要求されているのである。

2.「トレウ法」と「ビアジ改革」の分岐点

こうした方向性をもって1990年代に実施された改革(つまり、公務員の労働関係の「民間化・私法化(privatizzazione)」、職業紹介制度改革および雇用促進策であるいわゆる「トレウ法」(1997年6月24日法律196号〔雇用促進法〕))は、新たな立法期間(選挙から解散までの議会の存続期間)の開始によって、再び見直されることとなった。新立法期間の下では、従前の基本方針は受け継ぎつつも、それまでの法改正とは異なる傾向や、これとの断絶の要素ももっている。この点、憲法第5編を改正した2001年10月18日憲法的法律3号に触れないわけにはいかない。この法律は、「労働の保護と安全」に関する国と州との権限の配分という多義的な法的枠組みの中ではあるが、第14立法期間(2001年5月30日から2006年4月27日まで)の中で成立した労働市場に関する規制のかなりの部分に影響を与えた。しかし、この場合も、2005年憲法裁判所判決50号が確認しているように、その変更点は事実的なものというよりは見かけ上のものである(注8)。

とくに、最近の措置は、国際協力の要請、すなわち、国の統治権の枠外で生じている動向との関係で保護主義的な制度を見直し、こうした試みの中で労働法の基礎を現代化するという、より複雑な提案に応えようとしている。

しかし、1997年の「トレウ法」は、「もともとの政府提案と、労働組合の合意、そして議会によって承認された法と、段階を経るにつれ生じた変化」(注9)が示しているように、転換点としては部分的なものにすぎなかった。ベルルスコーニ政府が予告した野心的な改革方針(2001年10月の労働市場に関する白書の中で述べられていたもの)もまた、2003年2月14日法律30号〔雇用および労働市場に関する政府への委任〕とその実施法の中に部分的に取り入れられたにすぎない、

他の法規制分野と同様に、法的枠組みの中に取り入れられた修正の多くは、正規就業率を引き上げ、労働市場の非効率性を克服し、労働の質と生産性を向上させるという目的の点から採用されたものである(雇用に関する欧州戦略も同じ目的をもっている)。また、労働組合からは非常に強い反発を受けたが、根本的に変化した経済・社会の枠組の中で、労働者の保護という要請と企業の実効性および競争力の要請とを合致させるために、より適切と考えられる新たな法的技術の探求とその試験的運用も試みられた。

しかし、大きな議論になっているのは、現在の労働市場改革が、(その目的は上記で示したとおりだが)その結果の点で、文字通りの自由化政策と評価できるか否かという点である。

「トレウ法」も「ビアジ法」も、かなり性質が異なり、場合によっては何ら共通点のない法政策上の方針、政治文化および司法の伝統が必然的にぶつかり合い、絡み合うようになった変換期を体現するものである。これらの措置の多くに構造上の同質性を見出そうとするあらゆる試みが、失敗に終わったようにみえる。しかし、改革の過程自体は、現時点では、最終段階にまで到達したとはいえないという考え方は、受け入れることができるものである。

労働法典たる労働憲章を制定するという(1996年5月9日から2001年5月29日までの第13立法期間や、2002年7月5日協定のいわゆる「イタリア協定」(注10)で主張された)労働市場改革の野心的な提案を捨象しても、「ビアジ法」が構想した方針は、少なくとも、社会的緩衝措置や雇用促進規制の見直しを前提としていたが、これらはいまだ達成されていない。また、法的な枠組みの中に導入された改正点の具体的な履行については、産業別および企業別の団体交渉による阻止権限によって著しく遅れている。

各法律、とくに「トレウ法」と「ビアジ法」における統一的な政策方針を見出すのは容易でなく、また、総合的な評価を下そうとすることにはもっと疑義が多い。こうした評価の作業は、第13立法期間と第14立法期間との多くの連続性を適切に評価し、再び整理するための解釈を受け入れなければ、難しいであろう。この2つの立法期間は、良くみれば、1970年代末から1980年代初めにかけての立法上の変革の成熟であり、また完結なのである。

3.労働規制における「自由化政策」という言葉の曖昧さ

最近の労働市場改革を過去との基本的な連続性をもつものとして位置づけた場合、その連続性を否定したときに技巧的に導かれる「従来のような細分化された規定との断絶」という要素を強調する解釈上の再構成は、明らかに根拠を欠くため排除できる。

こうした観点からとくに象徴的なのは、近年の法的措置を、取り返しの付かない技術的な欠陥というだけでなく、憲法に含まれる価値や原則を故意に無視しており、憲法の侵害とまで繰り返し主張する解釈である。実際これは、とくに最近に実施された法的措置(有期労働規制の見直し、新労働時間制度、労働市場に関する根本規定の改革、労働時間を弾力化した労働類型の規制等)に対する批判の多くに共通するものである。

しかし、よく見れば、最も議論の多い最近の法的措置(つまり、労働市場に関する「ビアジ改革」)の評価に限っても、かかる法的措置と、伝統的なマクロ経済から着想を得たネオリベラル主義とを結びつけるこうしたイデオロギー的な批判を支持すべき要素はない。もし、こうした批判が正当なら、イタリアの労働市場は、産業革命の幕開け当時のように、市場の荒波に翻弄されるままに捨て置かれることになるだろう。しかし、このように断言することは、少なくとも形式的には、労働の需要と供給との合致の力学や労働関係の管理、そしてなによりも、解雇規制を守るという(法律上および労働協約上の)厳格な制限を看過している。「ビアジ改革」は、(いわゆる「労働党の精神(anima laburista)」をさほど評価しない傾向はあるにしても)現行の組合法や労働法の根本的制度を変更するものではない。したがって、こうした批判は当たらないといえよう。

あとは、イギリスでサッチャー政権やメージャー政権が行ったようなネオリベラル的な政策と20世紀末以降のイタリアにおける法的措置とを、冷静かつ科学的な最低限の厳密さをもって比較すれば十分であろう。これによって、「ビアジ法」後も、自由市場の自動制御能力に委ねるとか、労働関係の規制を国の措置に任せることに反対するといった個人主義的なイデオロギーが追求されることはなかったことが理解されよう。

むしろ実際は、イタリアの労働市場改革を、文字通りの自由化政策と断言することはできない。というのも、自由化という言葉は、各労働者の契約上の権力を、自由市場のひずみとの関係で調整することを目的とした「労働法」と呼ばれる自立的で特殊な規制の誕生および発展の基礎にある根拠自体に真っ向から対立し、明らかに否定的な意味をもつものだからである。また、自由化政策は、少なくともイタリアの現在までの経験では、法規制の現代化や適正化の措置に属するものだったはずである。しかし、労働力の利用における硬直性が見直されるにつれて、自由化政策は、文字通りの規制緩和に不当に関連させられるようになり、その結果、弱い立場の契約者の基本的な権利を保護するという要請の合理性は看過され、イタリアの競争力に重点が起かれるようになったのである。

しかし、今や決定的で明白となった規制緩和や労働市場の弾力化という傾向を、自由契約への回帰や市場の自主規制能力を中心に据えたネオリベラル政策と混同することはできない。一方、最近の法的措置を、技術的・政策的に不可避の限界を超えて、有機的かつ統一的な枠組みの中で、労働市場と労使関係制度の発展を達成しようという試みとして理解することはできよう。

実際、労働法の強化に対する労働市場に関する「ビアジ改革」の影響をみても、ここ数年、とくに「トレウ法」では生じなかった量的・質的な過去との断絶の要素を、ビアジ改革もまた有していない。少なくとも、2002年7月5日協定(いわゆる「イタリア協定」)がビアジ改革を支持したことからすれば、イタリアの労使制度の伝統に照らして、ビアジ改革に手続き上の欠点を認めることはできないのである。

過去との基本的な連続性を確認する意味で、政府と労使とによる1983年1月の労働市場規制に関する協定(いわゆる「スコッティ規約(protocollo Scotti)」)について検討しよう。この協定によって、旧来の公的職業紹介規制は大きな変革を受けると同時に、有期労働契約の利用の余地が広がり、訓練労働契約やパートタイム労働といった弾力的な労働類型が新たに認められている。また、1993年7月の規約(いわゆる「ジューニ規約(protocollo Giugni)」)では、若年雇用の促進や労働市場の再活性化、雇用危機の管理を目的とする労働政策として、一連の構造的措置および景気促進措置がとられている。さらに、「トレウ法」への契機となった1996年9月の協定では、いわゆる派遣労働が導入されたほか、訓練指導見習労働(いわゆる実習)の承認、弾力的な労働時間で遂行する労働契約の見直し、有期契約利用に関する規制の緩和、および、職業紹介事業の民間への解放などが定められた。

労働法の伝統的なモデルとの明らかな隔たりを有するこれらの措置すべてが、ネオリベラル主義の枠組に位置づけられないのならば、最近の法制度改革もまたそのように評価することはできないだろう。事実、現在生じている変化(つまり、闇労働や非公式の労働領域の拡大、新技術の利用による生産過程の変化および組織の革新、ならびに、市場のグローバル化や国際化、第3次産業の勃興等)との関係で労働者保護の制度を合理化するという論理の点では、これらの法的措置も「ビアジ改革」も同じなのである。

4.規制緩和、再規制および分権化

したがって、最近の法改正は、少なくとも、厳格かつ否定的な意味での自由化とは性質の異なるものである。これと同様に、労働法の破壊や憲法上の根本的価値の解体を招くものでもない。

労働市場の規制に関しては、規制緩和の概念に文字通り適合する措置と、再規制化(つまり再定式化)ないしは法源の分権化の措置とを区別する方法で、法制度の発展を分析する方が有用である。これは、最善の検討方法であり、最近の法改正に対する当惑を生じさせるものでもない。Matteo Dell’Olioが指摘するように、「法律家に求められるべき態度とは、無用な『間違い探し』ではなく、現行法をできるだけ合理的かつ適切な方法で解釈、適用することである」(注11)。

4-1.労働市場の組織化および規制ならびに労使相互主義に対する支援

文字通りの規制緩和は、労働市場の組織化および規制に関して間違いなく生じている。しかしこれは、1980年代から起こっていた動きであり、また、職業紹介事業の公的占有原則が克服された1990年代後半には正式に認められていたものといえよう。ただし、労働の需要と供給の合致に関する厳格な公的制度が、完全に機能していなかったことも事実である。そのために、同制度改革が、より厳密な意味での再定式化の意味を持てたということにも注意が必要である(雇用および競争法に関するEU政策や、憲法第5編の改革で生じた国と州との権限配分の改正の影響もある)。

実際、労働の需要と供給の合致に関する制度のことを、無条件の自由化や純粋な規制緩和政策と評価することは難しいと思われる。というのも、イタリアの制度では、他の多くのヨーロッパ諸国の法制度と異なり、厳格な形式的・実質的要件を満たしたうえで行政上の認可を受けていなければ、労働市場への民間事業者の参入が現在でも禁止されているためである。むしろ、「行政の役割」の考え方から「サービス」の理念への転換を伴う労働市場の円滑化とは、形式面において厳格で、実践面では実効性を欠く制限的な仕組みを保護するよりは、民間経済の社会的目的を高めることを唯一の目的としているのである。要するに、法的措置の目的は、労働法の実効性を保護し、補完性や透明性、実効性の原則を遵守した労働市場を創設することであって、規制なき自由化ではない。

労働市場の再規制化や再定式化の観点から民間事業者の認可制度と並んで非常に重要なのは、州の承認制度である。これは、既存の資源の最適化という論理に基づいて、公的主体と民間事業者の積極的な協同関係を構築するために、補完的・分権的労働サービス網(労働の需要と供給の合致、長期失業の予防、社会的弱者の労働への組込みの促進、労働者の地域的移動に対する支援等)の地域での実施を目指すものである。

同様に、労働市場の共同規制や共同管理制度と解される労使相互主義(bilateralita)に対する法的支援も、地域制度の観点に含めることができる。実際、これまでの経験を比較してみれば、労使自身が総括的ないし部分的な共同運営を実施した場合には、労働市場に関する積極策や所得支援制度が、実効性が大きく高まったことがわかっている。それだけでなく、労使相互主義の理論は、地域の発展や質の高い正規雇用の促進にとって有用な協働ないし協同労使関係モデルの現れである。労使相互主義は、労働組合の闘争を否定することも、労働組合の役割を変更することもなく、むしろ、協約上の意図、つまり、人材の有効活用という観点や労働関係の発展方針にしたがって、協約を決定するという意図を実現するのに有用な仕組みである。

4-2.外注化の過程および外部労働市場の利用

労働関係の仲介や外注化に関する規制についても、同様の議論が当てはまると考える。実際、1960年10月23日法律1369号〔労務における仲介および仲立ちの禁止ならびに事業およびサービス請負における労働力の利用に関する新規制〕の廃止(派遣労働に関する1997年法律196号(トレウ法)1条ないし11条の廃止も)は、少なくとも立法者の意図としては、旧式の強行規定のままでは、実効性が低下すると同時に、新たな労働モデルおよび生産モデルに十分に対応できなくなっていた同領域を改革するという点にあった。

営業譲渡の現象や、複雑化する企業組織内部における他の経済主体の従業員の構造的利用を容易にしようという試みは、実に多くの学説から批判的評価を受けてきた(注12)。しかし、繰り返しになるが、こうした批判は、明確なネオリベラル的発想をもつ生産システムの組織化モデル、すなわち、請負等に対する既存の法的制限を撤廃しようとするモデルに関して当てはまるに過ぎない。

イデオロギー色が薄く、現実の法規制をより注意深く観察している学説が正当にも認めているように、労働の外注化や仲介現象を十分に規制することができなかった古い規制の廃止は、「実質として規制緩和の機能をもつものではなく、当該問題全体の規制の見直しにとって唯一の要件だった」(注13)のである。

従来の制度は、「トレウ法」によって例外的にのみ緩和されていたとはいえ、労働者の利益を欺いたり侵害したりする意図(あるいは潜在的意図)がない場合でも、労働力を間接的に利用するあらゆる形態を禁止していた。現在の制度は、こうした硬直的な制度から、企業の組織化の理論により適合的な法的枠組へと転換されたものである。労働者の保護のために、労働関係の仲介が原則禁止であることには変わりない。ただし、いまや、不法なサービス請負を正規化するプロセスが始動したために、制度全体がより実効的になっている。

請負や営業譲渡に関する規制も同様に、企業パフォーマンスの改善のほかに、労働の安定化の向上をも目的として変更されている。このように、企業が合法的に外部市場を利用する可能性は高まった。その結果、変化に対応することによってこそ人的資源を維持し発展させることができるという確信から、労働の組織化モデルを根本的に見直すこともできるようになっている。

各企業および各生産部門における多様な移行費用(決定コストや実験費、管理費、改良費等)に照らせば、労働供給は、有期労働の場合と単純に同視することができなくなっている。むしろ、2003年9月10日委任立法276号〔2003年2月14日法律30号に定める雇用および労働市場改革に関する委任の実施〕の枠組みの中では、労働供給は、雇用の弾力化だけでなく、生産組織(および行政)の現代化にも特化した契約類型と考えられる。

4-3.人材、労働類型の弾力化、組織の革新および使用者の権限

訓練を内容とする労働契約や、いわゆる非典型労働契約および労働時間を弾力化する契約類型に対する措置もまた、人材の発展および組織の革新の観点から解釈することができる。

この点について中心となるのは、有期労働契約規制に関する近年の法改正である。1997年の「トレウ法」後のこうした法改正によって、イタリアの労働市場の現代化が実現されている。実際、1970年EC指令99号をイタリア国内法に取り込んだ2001年9月6日委任立法368号にはさまざまな議論があるが、同法の立法者の意図は、ここでもまた、矛盾を孕む細分化された法的枠組を再規制・再定式化するという点にある。旧来の法に関してみれば、1962年4月18日法律230号〔有期労働契約に関する規制〕があまりに厳格な規制を定めていたために、もともとは例外とされていたものが、時を経るにつれて「原則的な規制」のようになってしまっていたのである。これに対して、近年の法改正の主眼は、有期労働契約を「期間の定めのない労働の下に位置づけるのではなく、むしろ、これに代替(ないし競合)するモデル」(注14)として認める点にある。

2001年委任立法368号の用いた期限付き契約に関する規制方法は、非常に革新的である。実際、同法は次のように評価されている。「その発想は、非常に革新的で、より簡潔であると同時に、詐欺的な行動による法規制の回避を招きにくい。法律ないし労働協約によって限定列挙された(詭弁的な解釈の対象になりがちな)事項以外の有期契約による採用を禁止するよりは、極めて合理的で、ヨーロッパの他の法制度でも採用されている方式が選択されたのである」。つまり、同法の認めた方法とは、使用者が、事前に定めた期限付き契約で従業員を採用することを認めつつ、当該有期労働契約の利用が、技術上の理由、生産上の理由、組織上の理由または労働者の代替という理由による場合であることが要求され、こうした理由を、採用の際に書面で労働者に渡す義務を使用者に課すというものである。

しかし、少なくとも有期労働契約を認める実質的な要件についてみれば、有期労働契約の無条件の自由化を認めるといった、文字通りの発想の転換ということは難しいように思われる。1962年法律230号の文言と新規定の文言とを比較すれば明らかであるように、2001年委任立法368号による新たな仕組みは、より最近の制度の発展に比べて、それほど急進的なものではない。

これを裏付けるのが、労働協約のほかには、判例の解釈である。判例は、従来の方針と同様の立場をとり、その解釈は、「新しいものではあるが、これは、単に表面的な修正とならないようにとの配慮からであろう」と評されている(注15)。これまでの法律の発展に関して、有期労働契約を労働法の分極を惹き起こす類型として評価してきた学説もまた、2001年委任立法368号による改革を「自由化の否定」と解する傾向がある(注16)。

2001年委任立法368号によって導入された規制方法によって、イタリアの法制度が、有期労働契約規制に対する脱法行為対策という当初の立場に回帰し、1962年法律230号に関する解釈の衰退を招いた雇用の硬直性を惹き起こすようなあらゆる選択肢を排除していることは事実である。実際、1962年法律230号は、労働法の根本を保護する正当性とは無関係に、労働力を弾力的に運用する際の制限や要件を課していた。

したがって、「ビアジ法」の先駆けとなった2001年の改革は、労働契約に期限をつける使用者の権限ないし自由裁量権を抑制しつつ、有期労働に対する伝統的な偏見を克服することを目的とするものといえる。この場合、有期労働契約の利用になんらの制限を課さないというわけではなく、技術上の理由、生産上の理由、組織上の理由または労働者の代替という理由によって正当化されるべきだという立場なのである。

これを労働の保護方法という点からみれば、組織上および管理運営上の一定の選択に関する合理性および合法性について、使用者にその立証責任を課すということである。この方法は、従属性をもたない連携的継続的協働労働関係という争いの多い領域に関して、「ビアジ法」が定めたことと同様である。「ビアジ法」は、連携的継続的協働労働関係を「プロジェクト労働」と命名し、脱法行為対策という点から、労務提供方法を事前に明確にする義務を当事者に課している。判例が明らかにしたように(注17)、プロジェクト労働は、新たな契約類型ではなく、民事訴訟法典409条3項にいう連携的継続的協働労働の遂行方法である。つまり、簡単に言えば、プロジェクト労働の利用を、純粋な独立労働(自営業)形態に限るために、いくつかの防衛的・罰則的制限が導入されたのである。

非正規労働は、連携的継続的協働労働としてしばしば遂行され、労働コストの抑制方法として機能する他の代替策の採用を大きく妨げている。こうしたグレーゾーンの労務遂行形態と対峙するという目的から、従属労働の領域にも同時に、法的措置が実施されている。これによって、弾力的な独立労働契約形態の不当利用に代わる有効な仕組みを実現するのである。この場合、従属労働に関する法的措置とは、労働時間規制に対する措置や弾力的労働時間の契約類型の利用領域の見直し、契約上の規制の決定における両当事者の実質的意思を保護するための認証制度の導入、監視・監督制度の改革、訓練を内容とする労働契約(見習労働、訓練労働契約および組入れ契約)の見直しなどである。なお、最後に挙げた訓練を内容とする労働契約は、生涯学習の目的に沿った実効的な訓練の過程を実現すると同時に、訓練と経済的インセンティブを混同した労働類型の多くが、不当に利用されているイタリアの状況を抑制するためのものである。

最近の法律の傾向について、これを労働法制の保護を歪めるものと断定することは難しいように思われる。最近の改革は、生産上の実効性と社会的正当性との均衡点が明確になるように制限を課しているのである。

こうして、使用者の権限を完全な制限下に置くというのではなく、合法性を認める際の形式的ないし実質的要件や、労働組合の対抗力といった外部的な制限に留め、これ以外は、企業の選択に対する法的なコントロールを行わないことが再確認された。法的不安定さを緩和し、企業の選択の合法性に対する制限的コントロールを通じて、判決の既判力の統一性を確保し、少なくとも判決の予見可能性に対してより現実的な形で敬意を払うべきというのがその理由である。

5.今後の見通し

「ビアジ法」や労働市場改革に関する最近の措置の評価は、現状では時期尚早である。しかし、とくに「出口」面における弾力的規制(つまり、解雇規制)および社会的緩衝措置に関して、今後数年間で、重要な法的措置が実施されると予測することはできよう。

「ビアジ改革」、有期労働規制の見直しおよび「トレウ法」に関する議論は、よくみれば、労働法の現代化という真の分岐点に立ち向かい、労働者に対する保護の過重領域と保護の欠缺領域との間で生じた不均衡を徐々に縮小していくことが、現在のイタリアにおいて文化的にいまだ困難であることの現れである。早急に立ち向かうべき問題は、インサイダーとアウトサイダーとの対立を克服して、「ビアジ法」が部分的にしか達成し得なかった保護を総合的に再調整し、同時に、非典型労働契約、非正規労働契約および闇労働の蔓延の原因や結果に包括的に対処していくことである。

最近の改革は、労働市場を無条件に自由化するものではなく、労働憲章、つまり、公務員や大企業の労働者だけでなく、すべての労働者のための基本権の法典化によって、保護を再定義し、過重に保護された者と不安定雇用の労働者との2極化を克服するための必要条件であったといえる。

労働法の本来の発想を受け継ぎつつ、企業制度の発展を支えていくために、労働法は、EU判例や憲法判例と足並みをそろえつつ、広い意味での労働活動に含まれるあらゆる契約類型を労働法の一般的な適用領域に含めることで、独立労働者(自営業者)と従属労働者(被用者)という伝統的な区別を克服していかねばならないだろう。実際、他者のためになる経済的価値をもつあらゆる労働形態を包含することは、過去10年間に実施されたいくつかの労働法改革の提案および労働憲章の理念に共通していた見方によれば、保護の段階化への第1歩なのである。

要するに、問題は、民法典1322条2項にいう独立労働契約、従属労働契約、組合契約または非典型労働契約といった契約の定義を捨象して、あらゆる労働関係に適用しうる一般的な保護の核心を見出すことである。こうした広く無差別な労働の概念に認めるべき保護とは、たとえば、意見表明の自由、労働者の尊厳の保護、組合活動の自由、差別禁止、労働安全衛生、生涯訓練に対する権利、プライバシーの保護、就労サービスの利用、正当報酬に対する権利などである。逆に、これ以外の保護は、いくつかの基準に基づいて、段階的に適用すべきであろう。この基準については、従属性が、排他的ではないにしろ識別のための要素であり続ける可能性はある。この場合、従属性とは、(1)経済的な依存性の程度(注文主が1人かどうか)、(2)労務の継続期間(たとえば、少なくとも2年以上同じ使用者のもとで労務を継続的に提供したあらゆる労働者については、労働憲章18条にいう労働ポストの現実の安定性を認めるなど)、(3)使用者の類型(公的主体か民間主体か第3セクターかといった使用者の性質、または、企業の規模や組織の形態によって判断する)、(4)採用に対する積極策およびインセンティブ規定に照らした場合の、労働者の主観的または客観的状態(たとえば、当該労働者が、長期失業者や障害者、移民、いまだ労働経験のない者、高失業率ないし低就業率の地域に住む者であるか等)、(5)契約から導かれる労務遂行の方法(たとえば、指揮命令に服するか否か、労務提供の継続性はどの程度かなど)、活動の類型(訓練に代替する労働か、専門性は高いかなど)または契約の目的(労働市場への組入れまたは再組入れを目的としたものか、公的に有用か等)、(6)労働協約や労使相互機関の定めるその他の要素から判断される。

「ビアジ法」に始まる労働法の発展によって、労働関係の保護のほかに、市場における保護制度の構築も進んでいる。たとえば、実効的な就業サービス、労使相互機関、労働者の訓練に対する権利の規定、社会的緩衝制度およびインセンティブ制度の改革、外部労働市場の規制、組入れ措置などである。

したがって、近い将来、労働法の学説の再構成が必要となるかもしれない理念が、保護の段階化である。実際、2001年10月の労働市場に関する白書が提案したことは、概ね裁量に委ねられない保護、つまり、労働協約等の枠組みの中で当事者が左右しうる部分もある保護の中から、文字通りの不可侵権が何かを見極めることなのである。

出典

  • 当機構委託調査員レポート

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