[委託調査員特別報告]
労働時間改革 ―パラダイム・シフト

カテゴリー:非正規雇用労働条件・就業環境

スウェーデンの記事一覧

  • 国別労働トピック:2005年4月

ビリエル・ヴィクルンド
労働政策研究・研修機構委託調査員
スウェーデン労働生活研究所コンサルタント

はじめに

私はスウェーデンの小都市インショーン(Insjon)に拠点を置く日系企業、トーモクヒュースAB(Tomoku Hus AB)を訪問した。トーモクヒュース社は日本市場向けに年間2000戸の木造家屋を生産している。同社の博多昭夫社長が語ったところによると、スウェーデンの住宅生産工場における欠勤率は、病欠、休暇、育児休暇、組合活動、組合交渉、労働時間銀行への投資などを合わせて18~20%だが、一方日本の欠勤率は3%となっている。スウェーデンの数値はあまりにも高く、日本の数値は非常に低いと言えよう。

博多氏は、スウェーデンの職場では自己裁量権が強く、監督者も指揮官も存在しないため、労働時間短縮の必然性が存在すると語っている。もっとも博多氏自身は、工場に多くの人員を配置して日本のように厳格な管理・監督体制を敷くことを希望しており、これによって製品の品質が向上すると考えている。だが、博多氏は、職場生活と家庭生活を調和させたスウェーデン式のライフスタイルを羨ましくも感じている。「子供たちがまだ小さかった頃、私は家に寝に帰るだけで、翌日また職場に戻るという生活だった。我が社で働く社員は、子供たちを保育園に迎えにいった後、サッカー場やアイスホッケー・リンクに連れて行って遊んでやるか、練習をみてやっている。私には子供と遊んだ覚えがほとんどない。」(博多氏)

博多氏が言う欠勤率20%の大部分は傷病休暇である。研究者および政治家の中には、労働者が労働時間短縮の方法として傷病休暇を利用しており、政府は傷病手当を現在の賃金の80%から65%に引き下げることでこのような慣習を断固として停止させなければならないと主張する者がいる。しかしここでは、この問題についてあまり触れないこととする。

スウェーデンの労働時間政策のその他の側面については、労働組合と社会民主党が、フランスの空想的社会主義者チャールズ・フーリエの言葉をいくつか借りて主張を唱えていると言えば充分だろう。つまり、フーリエの著作「ユートピア」では、遊びと仕事の間に、明確な境界は存在しない。

背景

第二次世界大戦後の最初の20年間で、所定労働時間が48時間から40時間に短縮された。また年次有給休暇日数も1週間から4週間に延長され、現在は5週間となっている。これらはすべて法定年休である。同時に残業も縮小される方向にあり、平均残業時間は現在週1時間程度となっている。

しかし週40時間労働達成後は、法的規制の進展がほとんど見られない。ブルーカラー労働者を組織するスウェーデン労働総同盟(LO)は、総会で 週30時間労働の長期目標達成を確認した。特に社会党に属する女性の間で週30時間労働(1日6時間労働)を唱える者が多かった。しかし最近になってこの構想が理想的すぎるとの考え方が広まっている。2004年のLO総会では、「近い将来1日6時間労働を達成することは困難だ」とされた。一方使用者側はしばしば賃上げを伴わない労働時間の延長を要求し、経済学者や政治家は人口的背景から既存社員が長時間働かざるを得ない状況を指摘している。したがって労働組合は労働協約交渉において、週40時間労働の維持及び勤務スケジュールの若干の変更を要求するという姿勢に転じざるを得なかった。

1970年代初めより、労働時間法制に関して一連の全国委員会が開催され、法改正にかかわる問題点を浮き彫りにしてきた。異なる政党および議会メンバーの政治主導により、全国委員会の見解を参考にしつつ、徐々に内容が緩和されてきたが、今回政府はこれまで委員会報告に基づく措置を講じていない。したがって、近い将来法的規制を通じた労働時間短縮が進展する可能性は低いであろう。

しかし立法措置や団体交渉を通じた他分野での改革が、引き続き労働時間問題にも影響を与えていくと考えられる。法規制を通じた労働時間の短縮は恐らく政治的に不可能であり、また実際には非生産的である。しかし、国家レベルでの法律制定、団体交渉や職場における交渉などを通じた選択的な改革によって、子供を持つ労働者、女性、若年者および高齢者が恩恵を蒙る可能性が高い。同時に労働組合は、自動車会社および航空会社などの多国籍企業による脅威、すなわち労働時間延長の失敗は労働力の安い国への事業移転を意味するとの企業側の脅しに対抗していくことが予想される。しかし使用者側が、労働力需要が多いときにはそれを満たし、少ない場合は労働時間を短縮することができるよう、組合は交渉に臨み、勤務スケジュールに柔軟性を持たせる姿勢を示すと考えられる。賃金交渉などの協議はスウェーデンの職場では常に実施されている。

人口的背景

GDP成長率の低下、家計消費および政府支出の減少の結果として、1人あたり労働時間数は、実労働時間が人口増加ペースと歩調を合わせた場合よりも低下すると予想される。このような状況は一般的な政府財政をも圧迫する。政府および議会が目指す2006年~2010年の黒字達成目標の平均2%を、恒久増税または2006年度の支出削減で達成しようとすると、100億スウェーデン・クローネ(SEK)を調達する必要がある。

もっとも、労働時間の減少傾向は労働力供給の増加および賃金体系の改善によって対応可能である。このような取組みは、外国人労働者の活用、疾病の減少、定年延長、効果的学習による若年層の就業促進などの方策をより良く組み合わせることで強化されるだろう。

次の10年間で、110万人のスウェーデン人が65歳の退職年齢を迎え、65歳以上が全人口の20%を占めると予想されている。その間労働力人口は増加しない。新たな状況の一般的な説明は、より少数の市民が増加し続ける1940年代生まれの退職者の「山」を支えなければならない、というものである。しかし、これには統計の読み違いがある。1940年代生まれの世代は、公的年金に貯蓄しており、80代まで引退生活を健康で過ごすと予想される。地方政府による高齢者介護が必要とされるのは、1920年代生まれの非常に少ない集団である。今後10年間で、退職者は課税対象の私的年金の貯蓄を取り崩し、それによって公的財政に貢献すると予想される。

10~20年の短期予測において、公的財政は人口統計の変化によるマイナスの影響を受けない一方、労働市場が対処せざるを得ない状況を作り出す。現在失業率は8%(顕在失業率5%および職業訓練参加者3%)であるが、失業者が自動的に退職者の職に就けるわけではない。起こり得る事態は、生産性が向上し、新たに労働者を雇い入れなくとも、現在と同等またはそれ以上の生産高を挙げることが出来るようになることである。最近の研究によると、過去数年間、外注化の進展により見過ごされてきた工業生産技術の平凡な改善に、生産性向上の大きな潜在力がある。もう一つの予想される事態は、市場の状況によって生産が単純に減少し、使用者が退職者の補充を行わないことである。

持続的な生産性向上は、歓迎すべきことである。それは勤労者の福祉を増進するが、仕事の数を減少させるものであってはならない。公的財政は、最後には、納税者や消費者の数に依存する。短期予測では、退職間近の教員、介護士、看護士、看護士助手を数多く抱える地方政府の教育や介護の分野でより人手が必要とされる。バームランド県においては、3分の1の看護士助手、25%の医師、20%の公認看護士が、2013年以前に引退する。状況はほとんどの地域において同様である。地方から移住してくる若者によって、ストックホルムでは状況が異なる。より積極的で効果的な労働市場政策によって、労働力供給を増加させなければならない。雇用センターと医療保険事務所の連携強化、早期退職の抑制、早期の傷病者治療、移民の早期社会統合、例えば福祉政策におけるいわゆる「雇用ライン」への集中などを通じて、労働力供給が増加し、公的財政は改善するであろう。もう一つの、労働力供給に影響を与え、悲観的な人口統計予測を覆す、これまで知られていなかった要因は、欧州労働市場の自由化である。自由化によって、バルト海諸国やポーランドなどのEU新規加盟国の高い教育を受けた若年労働者がスウェーデンに職を求めてくることが予想される。

OECDは、「高齢化と雇用政策」と題する報告書でスウェーデンに関し、「2030年までにほぼ4人に1人が65歳以上となるだろう」というより悲観的な長期の人口統計予測を発表している。これは公的支出を増大させる圧力となる一方で、激しい労働力不足と経済成長率の低下を引き起こすとOECDは予測している。OECDは、唯一の対処法として、長期に渡って続いてきた早期退職慣行の是正を挙げている。確かに、OECDは、スウェーデンがこの問題に対処するための重要な施策として、1999年に導入された公的年金制度の改革において、負担と給付に強い関連を持たせ、61歳以降も継続して働く労働者がより多く年金を受給できるようにした点を認識している。加えて、税制は、家族や家計の所得ではなく、個人の勤労所得に基づくものとなっている。

しかし、労働力供給の増加に関するOECDの勧告は、傷病手当、失業手当を減少させ、労働市場の柔軟化(雇用保障の低下)および非正規雇用の増加による一般的な自由市場経済政策であった。労働組合寄りの現社会民主党政権は、このような勧告には耳を傾けていない。我々は、30年のうちに学術書において、いずれが正しかったかを知ることとなる。

パートタイム・臨時雇用

1990年には全女性就業者の40%がパートタイム労働者であったが、2002年にはこの数値が34%に減少した。男性のパートタイム労働者は主に55歳以上の者および学生が占めている。学生ローンおよび奨学金の支給規模が住宅費および生活費の上昇に対応できていないことから、学生のパートタイム労働者が増加している。

パートタイム労働は、基本的に労働者自身の負担による労働時間の削減であり、最も弱い立場にある労働者、つまりそのほとんどを占める女性に強いられている。

1990年におけるパートタイム労働者の比率は女性が83%、男性が17%であった。2002年にはこの比率がそれぞれ77%および23%となっている。長時間パートタイム労働者数(週30時間以上労働)が減少する一方で、短時間のパートタイム労働者数は増加していない。

このように女性パートタイム労働者の比率が極めて高いことがわかる。このうち40%が公共のケア・サービスなど典型的な女性の職種に従事している。女性パートタイム労働者が数多く働いているもう一つの職種は、商業・運輸業である。男性のパートタイム労働者もほとんどがこの2業種に従事している。

教育期間の長さとパートタイム労働に従事している期間は相関関係にある。教育期間が短いほど、パートタイム労働に従事する期間も短くなっている。産業によっては、労働市場で弱い立場にあり、最低賃金の単純労働に就かざるを得ない割安なパートタイム労働者に依存している部門がある。

特に地方自治体所属のホームヘルパー、健康・病院ケア、託児所、清掃、レストラン、スーパー・マーケットのレジなどの職業がパートタイム労働者に頼っている。また男性、女性ともにパートタイム労働者は16歳~24歳の非常に若い年齢層で増加した。

1990年代には臨時雇用のパートタイム労働者数も増大した。非北欧系の従業員がこの雇用形態に典型的に見られ、また、パートタイム労働者のなかでも非北欧系労働者は最も意欲的な存在だ。

1990年には、政府の委託研究「パートタイム労働、臨時雇用および失業手当に関するデルタ・スタディ」が労働市場を分析し、パートタイム労働者および失業者に関する報告書を提出した(SOU:1999:27参照)。この報告書によって、労働大臣は労働安全衛生局(OSHA)、全国労働市場庁(AMS)、国立労働生活研究所(NIWL)に対して欧州社会基金および男女機会均等オンブズマン(JAMO)と協力して、2002年から2004年にかけてパートタイム労働者を5割削減する取組みを加速させるよう命じた。

上記のプロジェクトを推進する中で、パートタイム労働者の失業率に関して信頼に値する公表された統計が存在しないことが明らかになった。労働市場の状況により自分が望むよりも短い労働時間しか勤務できない「不完全雇用」という項目がある。失業中のパートタイム労働者数とその属性に関するデータが存在しない事実は、失業中のパートタイム労働者数がフルタイム労働者の失業者数をはるかに上回っているにもかかわらず、失業中のパートタイム労働者がフルタイム労働者の失業者ほど問題視されていないことを示している。

2002年の最大の失業者層はパートタイム女性労働者であり、次に男性のフルタイム労働者の失業者、女性のフルタイム労働者の失業者、男性パートタイム労働者と続いている。
男女機会均等の視点で考えると、男性が失業状態にある場合は「失業」と定義される一方で、女性のパートタイム労働者の失業状態は、失業とは見なされず、パートタイム就労者として見なされていることから、女性の場合基本的に「失業」状態そのものが軽視されていると想定できる。

パートタイムの労働者および失業者を組織している労働組合には、地方自治体労働者組合、小売業労働者組合、ホテル・レストラン労働者組合、建物管理労働者組合がある。これらの組合は、非自発的にパートタイム労働者として働く組合員がそれぞれ何名いるか、また失業手当を受けているパートタイム労働者数、より長時間の勤務希望者数、さらにはパートタイム失業手当給付資格を持たない組合員が何名いるかを決定してきた。パートタイム失業保険を受けるためには、過去にフルタイム労働者であった経験がなければならない。上述の組合は、LO総会で「常勤の仕事は国民の権利であり、パートタイムは選択肢である」との要求をブルーカラー労働者組合の政策として認めさせることに成功した。

1999年から2000年にかけて、デルタ・スタディの成果として、地方自治体部門では、生活費を得るためにパートタイム労働を受け入れざるを得ない労働者の数を縮小させるための大規模な取組みが実施された。2003年にはケア部門に勤める女性パートタイマーが50%減少し、時間給の臨時雇用者も26%減少した。

社会民主党政権は現在、雇用保障法の改正準備を進めている。正社員資格を得るために臨時職員として働かなければならない期間を短縮すべきであり、パートタイム失業手当給付規定を見直し、経済変化を踏まえて近代化する必要がある。

参考文献

  • The Commission on part time work, temporary employment and unemployment compensation , DELTA (SOU 1999:27)
  • Part time work and part time unemployment - a follow up of the DELTA study, Anita Nyberg, Arbetslivsinstitutet, NIWL
  • The Nordic Labour Market in the 1990s, Bjorklund, Anders, Amsterdam: Elevier
  • Report from the Commission for recruitment to the care sector, Ds 1999:44

時間外労働

法律では、時間外労働を余儀なくする特殊な理由があることを前提に、時間外労働の上限を1カ月50時間、年間200時間と規定している。職業安全衛生局(Arbetsmiljoverket)によって時間外労働の上限の延長が認められる場合もある。緊急事態の場合、上限を超えた時間外労働を命ずることも可能だ。時間外労働に対する報酬を金銭で支払うか休暇を付与するかは、労働協約に規定されている。

経済活動が現在のように拡大しているにもかかわらず、時間外労働はここ10年間一貫して減少してきた。2500社、従業員20万人を対象としたスウェーデン使用者連盟(SN)の調査によると、2004年第1四半期の時間外労働は過去19年間で最低であった。これは、人員削減を継続しつつ生産量の適切な増加を実現し、工業における高い生産性を達成した点で注目に値する。通常、失業の増加と人員削減は時間外労働の増大につながる。目覚しい統計数値達成の1つの説明としては、新規受注に対応するため、使用者と労働組合が、労働時間を短縮した週の翌週に労働時間を延長することができるよう、地方において非常に柔軟性の高い勤務スケジュールに合意したことが挙げられる。したがって統計数値には表れなくとも、実際には時間外労働が発生している場合がある。柔軟性を求める使用者側の要求は、労働時間銀行の平穏な管理体制を望む理由にもなっている。

製造業における総労働時間に占める時間外労働の割合は、1995年には5%だったが、2003年には3%に減少している。1985年から2003年にかけての長期展開で見ると、輸送・通信部門の時間外労働の割合が6%から4%に低下した。サービス、小売、ホテル・レストラン部門の時間外労働の割合は1999年に最高の2.5%を記録し、2003年には2.3%に低下した。

ホワイトカラーの職種については状況が多少異なる。ホワイトカラーの労働組合、職員労働組合連合(TCO)の調査では、4人に1人が毎月16.5時間もサービス残業を行っていることが判明した。もう一つのホワイトカラー労組、政府職員労働組合(ST)が実施した調査は、サービス残業は政府機関の一般的な労働文化であることを示している。この観点での最悪の例は政府組織で、おそらく財務省がサービス残業文化の冠たる機関と言えよう。

労働時間銀行(時間銀行)

労働時間銀行は、製造業の労働協約に規定されている(製造業労働協約第2条第2項第1号および第5条第5項)。1週につき84分が労働時間銀行に投資でき、年間では84分の47週分すなわち65時間となる。今年3月に締結された新たな労働協約では、2006年4月1日より10分追加されることとなった。1年間フルタイムで勤務した日勤の労働者は週94分労働時間銀行に投資できるようになり、2シフト制の場合は202分投資可能となる。

労働時間を細切れに「時間銀行」に蓄積するとの考え方は随分以前に発生したもので、1993年に開催された金属産業労働組合の大会で導入された。同大会は、年間総労働時間を100時間短縮することを交渉目標に設定した。大会開催当時、追加的な賃金上昇を狙って有給休暇を数時間増やすには、業界の賃金水準がすでに充分高いレベルに達していると感じられていた。当時すでに残業手当を蓄積する方法として、希望者が利用可能な時間銀行が存在していた。

しかし製造業組合が採用していたこの方法の利用は、公的・民間サービス部門によって追随されなかった。これらの組合員は、労働時間短縮を享受する以前に、より大幅な賃金引き上げの必要性を感じていた。それに地方自治体では労働時間が長すぎるということが問題なのではない。むしろ、地方自治体に勤めるブルーカラー労働者の約半数は強制的なパートタイム労働の増加を望んでおり、その賃金水準ははるかに低い。他方、彼らはケア部門などにおける常勤の労働時間を法律で短縮すべきだと考えている。組合および政党による労働運動は、ジレンマに陥っている。正義を勝ち得るには、すべてのブルーカラー労働者の週平均労働時間は同一でなければならないが、現状の法制度は、サービス部門の労働者に週38時間労働という快適帯を供与するにはあまりにも配慮を欠いた内容となっている。

金属労働者がそもそも考えていたのは、純粋な労働時間の短縮だった。しかしそのうち、労働時間の短縮、個人年金基金への貯蓄、あるいは現金支給という選択肢が導入された。代替案を導入したのは、ほとんどが継続的に3~4シフト体制で勤務する紙工業労働者で、他の産業部門もこれに追随した。

どういうわけか、組合も使用者も労働生活研究所などの研究機関も、前述の慣行について包括的な評価を実施していない。3つの選択肢すべてが同じように支持されていると考えるのが妥当だ。年配の労働者は年金制度を好むだろうし、若年層は休暇あるいは金銭による支払いを選好する。学校が中間休暇やイースター休暇にあるときは、子供を持つ30代の労働者には休暇が必要である。個人企業についてはこの件に関するデータが存在する。金属労働者の85%が、年金や金銭での支払いではなく、休暇を選択することが知られている。

製造業労働協約では、産業部門によって条件に相違点がほとんどないが、個人労働者は現在労働時間銀行に最高175時間まで投資することが可能となっている。しかし2006年には140時間に短縮される。協定では使用者は労働時間銀行に蓄積されている時間が100時間を越えると、従業員に対してどの残業時間の処理方法を希望するか、つまり年金基金として貯蓄するか現金支払いかを訊ねなければならないことになっている。

支部協定がない場合、年度末に100時間を超えた時間については、従業員に対して年金保険料を支払う形で補償される。賃金で支払うよりも、支払額に掛かる税金が低い場合、その差額が年金保険料に追加される。労働者が選ぶ一般的な選択肢は休暇を分けて取得する方法で、たとえば祝日が週の真ん中にある場合、労働時間銀行の積み立てを利用することにより、1週間の有給休暇を取得することも可能だ。

この制度は、職場レベルで問題なく運営されているようである。労働時間銀行について全国レベルで「中央交渉」を実施したケースはない。使用者団体は現在、1993年の金属労働者組合大会の決議目標を視野に入れた制度拡大はありえないと言明しているが、労働時間銀行そのものの存在を疑問視しているわけではない。むしろ国際的傾向に沿って、労働時間短縮はこれ以上あってはならないとの姿勢を示したものだ。

参考文献

  • The Engineering Industry Collective Agreement for Wage Earners 1st April 2004 - 31st March 2007.

取材

  • トミー・アンデルソン(金属労働者組合団体交渉部労働時間専門家)および トニー・ナイランダー ( 産業雇用者連盟-Teknikforetagen)へのインタビュー

新政策および政策的実験

労働時間短縮によって、生産活動を損ねることなく傷病欠勤者を減少させることができるかを検証するために、労働時間短縮を伴う数多くの一時的な政治的実験が何年にもわたって実施されてきた。そのような実験は当初、政治的主導権を獲得するために開始されたが、その後、勤労者生活を専門とする研究者が引き継いだ。基本的な考え方は、政策実験が成功した場合、将来一般的な政策として成り立つかを見極めることにあった。もっとも、多くの研究プロジェクトによくあるように、プロジェクトに参加する労働者、政治家および研究者の熱意はプロジェクト初期段階において極めて大きく、研究者も地方自治体に所属するホームヘルパーの労働時間を週10時間削減するコストは、最小限に抑えられると表明した。鉱山都市キルーナのホームヘルパーは、運動時間を得たことで傷病休暇取得回数が減少し、依頼主を喜ばせた。しかし初期の情熱が通常レベルに落ち着いた後は、実験プロジェクトは非常に費用がかさみ、最終的には真剣な学術的評価が実施されることなく打ち切られてしまった。キルーナ市の実験では、公的ホームヘルパー、高齢者ならびに障害者の準在宅看護士(非常に厳しい仕事)の労働時間を週30時間にするというシステムが導入された。他の同様の政策実験にも、健康プログラムやスポーツが含まれており、生産性が短期的に向上するという効果が得られた。また、失業中のホームヘルパーが追加採用され、政府の失業手当支出を減少させた。勤労者生活の研究者は、政策実験が労働者および依頼主の両方から支持を受け、傷病欠勤を減少させたと発表した。しかし実験に参加した地方自治体は、医療保険および失業保険の運営コスト削減のメリットを受けることなく、賃金コスト上昇分を負担しなければならかったため、最終的には実験を断念した。

全ての関係者が、実験には良い点と悪い点があることを理解し、新たな労働時間制度を永続的なものとするためには政治的決断または労働協約が必要であるという事実を理解していたにもかかわらず、昨年11月労働大臣は、傷病欠勤の減少に向けたより大規模な研究プロジェクトを実施するために、新たに100SEKの予算を割り当てた。このプロジェクトは、労働生活研究所によって実施される。

病的な改革構想

社会学的調査は、多くの労働者が医療保険(傷病休暇中に賃金の8割が支給される)を一般的な所得保険と見なし、事実上労働時間短縮の方法と捉えていることを示している。就業率が非常に高く、20歳から64歳の年齢層人口の78%となっている一方、労働力人口400万人のうち約100万人が失業、傷病休暇あるいは早期退職という形で職場から離れている。政府、労働組合および使用者には、労働者の職場離脱を防ぎ、失業中及び傷病休暇中の人々の社会復帰を図る極めて困難な課題が立ちはだかっている。1つの施策としては、傷病休暇中あるいは一時的に失業中の労働者が元の職場と絶えず連絡をとるように責任を持つことである。

傷病休暇取得によって労働時間を短縮するという慣行をやめさせる取組みの1つに、医師と病気を訴える人々に対して減額傷病手当を支給しながら、パートタイムで働くことを奨励する方法がある。その狙いは病気を理由に職場を離れている従業員と職場との絆を断絶させないことにある。病気を理由に職場を離れた人々の大多数が元の職場に復帰していない。病気が病気を招いて長期休暇を取得するきっかけとなり、最終的には、労働市場から離脱する明確な健康上の理由もなく早期退職に至る確かな道筋となってしまう。上述の方策によって、傷病欠勤総日数が減少しており、一時的な健康障害の場合は、元の職場の同僚および労働市場と連絡を保つ方法としてこの新たな労働者の権利を賞賛する声が多く聞かれる。

ところで、「高い傷病欠勤率-その事実と結果-」と題する報告書によると、パートタイムの傷病休暇期間は短期化するよりも、得てして長期化する傾向がある。一時的な傷病が実際には労働市場から離脱するきっかけとなったり、よくても労働者が個人的に医療保険を受給しつつ労働時間を短縮する手段となっている危険性がある。

1990年代半ばに傷病欠勤率が急激に上昇し、特に長期欠勤が増加した。7年間で医療保険事務所が傷病手当を支払った労働者の数はほぼ倍増し、2003年末には32万4000人に達した。パートタイムの傷病休暇を利用した女性は、男性の倍であった。またこの制度の利用者は、低賃金労働者よりも高額所得者に多かった。パートタイムの傷病欠勤率は、民間部門よりも公務部門で高い。研究者は、職場の責任と私的・家族生活とのバランスを保つために、学歴が高く高収入を得ている女性が、パートタイムの傷病休暇制度を利用していると考えている。

政府は、2002年の有給傷病欠勤日数を2008年までに5割削減する政策目標を発表した。この制度の監督責任者である労働大臣は、この目標を十分実現可能と見ている。同大臣が楽観視しているのには理由がある。2004年8月の傷病手当受給者数は26万3700人であり、2003年8月より3万6000人減少した。また長期傷病者数(1年以上)も1万5000人減少して、11万8000人となった。傷病欠勤日数の減少には主に2つの理由がある。一番目の建設的な理由として、早期のリハビリテーション開始が挙げられる。二番目には、これはあまり前向きな理由とは言えないが、早期退職を選択する長期傷病欠勤者数の増加が挙げられる。早期退職にかかる費用は、従前賃金の80%が支払われる長期傷病欠勤者よりも割安である。

諸外国のケースと異なり、スウェーデンには傷病手当の受給期間に制限がない。一方失業手当には厳格な期限が設けられているため、長期失業者の多くが医療保険受給への移行を求める。多くの国民がこの2つ保険制度を、統合された総合所得保険と見なしていることは明らかである。とくに若年層にこの考え方が広まっている兆候がある。

今年9月の早期退職者数は52万8000人で、前年同月より3万3500人増加した。もっとも「早期退職」という表現はもはや使われなくなった点に留意しなければならない。保険用語では、現在「疾病・現役手当」という表現を用い、退職者から有給の仕事に復帰する可能性があることを示唆している。実際非常に多くの場合、早期退職は生涯労働時間を減少させる手段となっている。企業経営者は、低賃金のホワイトカラーやブルーカラー労働者の退職モデルとして、60歳あるいはそれ以下の年齢で早期退職することを交渉してきた。しかしスウェーデンが人口統計上の不均衡による費用の増大に対応するだけの労働者数を確保するためには、このような慣行を是正していく必要がある。

両親保険-質の高い労働時間の短縮

子供を持つ労働者には、有給の両親休暇という形で、労働時間の短縮が実施されている。

両親保険は出産手当に代って1974年に初めて導入された。給付額は、傷病手当と同様、両親休暇を取得する親の収入レベルと連動している。また課税対象であり、年金算定ベースの一部となっている。

導入当初、有給両親休暇期間は6カ月であったが、その後1976年7カ月、1978年10カ月、1986年12カ月、1989年15カ月、2002年16カ月(420日間)にそれぞれ延長され、180SEKの基本手当が2カ月間支給される制度へと拡充された。16カ月間のうち、父親と母親双方が最低2カ月ずつ取得しなければならず、そうしなかった場合は権利が没収される。残りの12カ月間は両親が、家族にとって最良と考える方法で両親休暇を利用できる。LO は、有給両親休暇の3分の1を父親が、3分の1を母親が、そして残りの3分の1は家族で相談してどうとるかを決める、3分割方式を公式に奨励している。1992年、両親休暇手当は賃金の75%に削減されたが、1996年には80%に引き上げられた。両親休暇を取得するすべての両親に支払われる最低額は、就労者であろうとなかろうと、2005年1月に60SEKから180SEKに引き上げられる。2006年7月1日以降は、賃金の80%の両親手当の支払われる上限が、現在の1月あたり2万5000SEKから3万3000SEKに増額される。これにより、90%を超える両親が、賃金の80%の手当を受給できるようになる。これは所得レベルを維持する総合福祉制度の精神に基づく改革である。両親休暇期間は、子供が8歳に達するまで分割利用できる。雇用保障(両親休暇取得中の労働者は、先任権の低い者であっても解雇できない)は、16カ間の両親休暇期間すべてに適用される。また親は12歳以下の病気の子供を世話するために、両親保険による補償を受けながら、年間最高120日まで休暇を取得することができる。給付額は通常の両親休暇と同じで、上限も3万3000SEKと同額になっている。

両親手当の上限を引き上げた現政権の批判者は、親が休暇を余分に取得するために子供の病気を言い訳に利用して、寛大な両親保険を悪用すると警告している。しかし医療保険管理局は託児所に問い合わせることになっているので、両親保険の悪用はないと断言している。6歳以下の全児童の8割が現在、公共の託児施設に通っている。

参考文献

  • Fackliga strategier for battre byten (交渉を有利にする産業組合政策)
    2004年度LO総会政策文書

サバティカル休暇

大学教授に共通の福利厚生制度であるサバティカル休暇は、政党あるいは組合総会に参加することなく、全労働者が職業人生の途中で取得することができるよう、スウェーデン労働運動が長年その実現を夢見てきた制度である。スウェーデン環境党は2年前ついにサバティカル休暇導入を、少数与党の社会民主党政府を支持する条件とした。

サバティカル休暇制度は労働者に対して全国労働市場庁(AMS)が失業手当(2万SEKを上限として賃金の8割を支払う)の85%を支給することにより、有給で休暇をとれるようにする制度であり、12地域に限って試行された。サバティカル休暇の取得条件は、できる限り長期失業者を代替要員として採用することとされた。

このプログラムに対する評価は芳しくない。一般的に代替要員は長期失業者というよりも、すでに労働市場で好条件を享受し、またキャリア・アップを狙う転職希望者だったことが判明した。このプログラムはそもそも環境党が発案した構想で、社会民主党の少数政権が予算案を議会で通過させるために、環境党の協力と引き換えに同意したものであった。

2004年9月に議会へ提出された予算案で、サバティカル休暇が正式に導入された。これで1万2000人の労働者がサバティカル休暇を取得できるようになったが、AMSはサバティカル休暇取得者の代替要員として、長期失業者、障害者、および新たな移民を採用するというプログラムの基本的な考え方を徹底するよう指示を受けている。サバティカル休暇が認められるためには、使用者および労働センターが、休暇取得者とその代替要員双方の合意を示す公的書類に署名しなければならない。試行期間中、同プログラムの恩恵を最も受けたのは、公務部門に勤務する女性だった。

将来の見通し

法改正によって労働時間短縮が実現する可能性は当面なく、おそらく永久に実現しないであろう。産業界および政治家が働きかけている定年延長やシフト時間の延長もしくは休暇の削減などによる労働時間の延長も実現しそうにない。確かに起こりうる変化は、組合が存在しないか非常に弱体化した職場で、労使協議あるいは使用者による一方的な決定の結果、生じる可能性がある。使用者は常に事業の必要性を満たし納期や需要に対応していくため、柔軟性の高い勤務スケジュールを受け入れる労働者を採用したがる。

ボルボ社が、病気やサッカーの試合、その他の予期せぬ欠勤に対応するため、生産ラインのシフト交代チームを採用したのはかなり以前のことである。現在、産業界の1日の秩序は、正確な人員計画によって保たれており、誰かが職場に現われなければ同僚の仕事量が増え、残業しなければならなくなる。組合には「こんな状態は受け入れられない。余分な労働時間を提供できる労働者が外部に何千人もいる。我々を救済するために彼らを雇用してほしい。労働時間の延長が必要なのは理解できる。しかしそれをすでに週40時間働いている我々に求めないでくれ」と主張するだけの力が残っていない。

しかし、ブルーカラーおよびホワイトカラー労働者の伝統的な勤務時間、すなわち前者の午前7時から午後3時までと後者の午前9時から午後5時の体制は、ニュー・エコノミーの到来で幾分支障を来している。ブルーカラーおよびホワイトカラー労働者が急速にTシャツ従業員にとって代わられている。

ITバブル経済華やかなりし頃そしてバブル崩壊後、経済学者、人文学者、様々な文化研究者の多くが大規模な実地調査を実施し、「ノー・カラー:人間的な職場と隠れたコスト( No collar: the Humane Workplace and its Hidden Costs) 」に代表される数々の学術研究書の中で調査結果を報告している。スウェーデンでは、ストックホルム経済専門学院(Handelshogskolan)の研究者が、新しいタイプのネットワーク社会を研究した(http://www.hhs.se/CASL/リンク先を新しいウィンドウでひらく) 。

ニュー・エコノミーの一員と自らを考える企業家達は、明らかに新しい職場環境を創造し、従業員に創造的な課題を与え、たとえばTシャツで働く、快適な職場環境作りに努めた。その根底には、新しいタイプの同僚、体制に従わない人間、企業家の特質を有した開放的で大都市タイプの自由奔放な社員の創造というビジョンがあった。

周知のとおり、ドットコム企業のいくつかは営利企業として成功しなかったが、異なる職場組織という考え方は残った。問題は、将来の良い仕事を我々が夢みるとき、ニュー・エコノミーが何らかの軌跡を残してくれただろうかという点だ。

「ノー・カラー」の著者アンドルー・ロスは、米国大企業の階層主義に対する反動として、開放的な精神、協調、自己管理を指摘している。午前9時から午後5時まで働くために、ホワイトカラー労働者のように堅苦しい身なりをして、打ち負かす態度で仕事に臨んでみたらどうなるか、とういうのだ。スタンフォード大学やシリコン・バレーからこの考え方が即座にストックホルムに浸透した。新しいタイプのノー・カラー労働者は、高い給料やボーナス、ストック・オプションを享受する個人主義者であった。

ノー・カラー労働者は自分の労働時間を管理する権限をもち、仕事をいつ、どのようにすべきかについても自分で管理し、余暇に当てる時間と労働時間、およびその2つの概念の組み合わせについて自分で決定できた。彼らにとっては、主導権と責任が重要であった。

しかしここにいたって物事が悪い方向に動いてしまった。民主的な措置はしばしば週60時間から70時間労働につながった。ニュー・エコノミーの活動が、政治家、投資家や大企業の構造に遭遇したとき、新しいIT企業は変化するか、適合して変化する必要があった。「ニュー・エコノミー」に続く経済では、スピードが重要な原理となり、企業の最高経営責任者はインターネットやメッセージの交換および電子メールを通じて同時に世界中の人々とコミュニケーションをとることが可能となった。ニュー・エコノミーにおけるリーダーシップとは、個人の創造性と企業家精神を刺激することを意味した。職務にどれだけの時間をかけるかなど、目標達成の方法は個人の決定による。ニュー・エコノミーでは週40時間労働や残業などという概念は存在せず、自由な選択肢があった。ユートピア・プロジェクトとしてのニュー・エコノミーは今では存在しない。しかしだからといって、それがまったくの失敗だったと考えるべきではない。むしろ新しい時代の「良い仕事」を挑戦と捉え、厳しい現在の市場競争に取り入れるべきである。

ニュー・エコノミー時代は、労働者が職場に何を期待し、また使用者のニーズが何であるかを示してくれた。ニュー・エコノミーが有していた人間味のある職場知識を利用しないのは、まったくの資本破壊と言えるだろう。

  • 本稿は、科学研究費補助金(基盤研究(B)(2),課題番号14402011) の成果の一部である。

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