メキシコ連邦労働法改正の動き

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  • 国別労働トピック:2005年2月

メキシコにおける労働関係の法的枠組みは、憲法第123条及び連邦労働法が基本になっている。このうち、労働者の権利について詳細に規定した憲法123条は、農地改革、外国資本の接収、カトリック教会財産の国有化政策等と並んで、1910年のメキシコ革命の神髄を示す代表的なものとされている。123条は基本的人権の一つとしての労働権について一般的に言及するだけにとどまらず、以下のような、いわば労働基本法的な側面についても細かく規定している。

  • 労働時間(1日8時間が基本、時間外労働における制限、夜間労働時間の制限等)
  • 産休・授乳休暇の権利
  • 最低賃金(金額決定の基準、最低賃金国家委員会の設置)
  • 労働者が企業利益の一定割合を受け取る権利
  • 労働者の住居確保における雇用主の義務(住居購入のための低利融資を行う基金を創設し、企業が拠出金を支払う制度)
  • 企業の労働者の訓練・教育の義務
  • 労災・職業病に際しての雇用者側の義務
  • 労働者・雇用者双方における組織権、スト権及び操業停止権(生産過剰による価格暴落を避けるための場合のみ正当とされる)
  • 労使紛争を扱う調停委員会(労使から同数の代表、及び政府代表が参加して構成、雇用者側が調停を受け容れない場合、雇用契約は解消、賃金3ヶ月分の補償金を払わなけれ ばならない)
  • 無料の職業斡旋サービスの創設
  • 労働契約の内容として無効とされる条件(非人間的な労働時間、不当に少ない賃金、特定の店舗等での購入を条件とする賃金、労災や契約不履行に際しての補償受取りの権利 を労働者が予め放棄するとした条件、その他)
  • 社会保障制度で保護される状況(障害、老齢、出産、疾病、事故、死亡等)
  • 公務員の労働条件

この憲法第123条の内容を更に詳しく発展させたものが1971年に制定された連邦労働法で(Ley Federal del Trabajo,以下LFTと略)、こちらも1010条にわたるきわめて広範なものである。

ところで、フォックス政権は多岐にわたる構造改革の推進を掲げているが、その中には労働法制改革も含まれている。2002年、労働省のイニシャティブにより、国会議員、企業代表、労組代表、専門家らによるLFT改正のための研究会が設置された。そして、この研究会の成果をとりまとめる形で、同年12月には最大野党である制度的革命党(PRI)のルイス・アンヘレス議員より、PRI、与党国民行動党(PAN)、メキシコ緑の党(PVEM)の名で下院に改正案が提出された。緑の党は少数野党であり、改正案は実質的に下院第一党のPRI及び与党PANのものであるといってよい。

労働法制改革の目的について、アバスカル労働大臣はメキシコ経済の競争力増大、生産性向上、雇用創出のため緊急に必要な改革であるとしている。具体例として、例えば飛び石連休の谷間を休みにしてしまう「プエンテ(「橋」の意)」という悪慣行をなくすため、祝日を月曜日か金曜日に移動する方法を導入するなど、多くの「時代錯誤的」側面の廃止を挙げている。

しかし、改革の最大の主眼としてアバスカル大臣、また下院労働社会保障委員会のブルゴス・ガルシア委員長(PRI議員)が挙げているのが、期間最長6ヶ月の「テスト雇用契約」の導入である。この雇用契約形態であれば、テスト雇用期間を過ぎても労働者に適性が認められなかった場合、雇用者側は特に補償金等を払うことなく労働者との雇用関係を終わらせることができる。一方、これは労働者側にとっても「雇用者がある労働者を経験がないことを理由に雇用せず、そのためいつまでもその労働者が経験を積むことができないという悪循環を断ち切るもの」であって、雇用の不安定につながることは否定している。

ブルゴス・ガルシア議員の言葉を借りれば、今回の労働改革は憲法第123条には一切手を触れず、LFTの一部の改正だけを行う、いわば部分的改正である(とはいえ、LFTの200を越える条項について改正案が出されている)。この説明は、ある意味では労働者側に対し「憲法で保証されている権利は一切失うことない」として安心感を与え、その一方で雇用者側に対しては、より確実で安全な法的枠組みを約束できるとしている。同議員はまた、インフォーマルセクターで働く労働者の激増を、労働法制の近代化が遅れたためであるとしている。

ところが、このLFT改正の動きに対し、野党の民主革命党(PRD)や独立系労組の全国労働者同盟(UNT)は真っ向から反対している。反対の理由を要約すると、LFT改正案は労働市場の全ての当事者の交渉の産物ではなく、構造改革を掲げながら実は労組に対する統制強化、スト権行使の事実上の禁止、労働者の権利擁護という法の性格の削減を目指した、雇用者側の要求のみを実現する内容のものだからということになる。専門家や人権団体等も改正案に批判的であり、最近はメキシコのカトリック教会代表(司教会議)までが「資本の利益を守るための恥ずべき法改正」との見方を表明している。

前述したように、LFT改正案作りには確かに労組側代表も参加した。しかしここで問題となるのが、メキシコにおける労組のあり方である。メキシコの主要労組は70年にわたるPRI政権時代を通じて国家権力機構の一部と化し、労働者を代弁する組織としての性格を失った協調組合となっている。例えば、労働者が直接労働条件や賃金の交渉に参加することはできない。LFT改正案を支持しているのは、このようなPRI系の協調組合ばかりである。

一方、UNTのような独立系の労組も誕生しているが、それはごく最近のことにすぎない。UNTは今回のLFT改正に際して一連の提案を行っているが、それらのテーマは改正案作りの議論からさえも外されている。

LFT改正案で、独立系の労組から特に強い批判を受けているのは以下の各点である。

  • 雇用の不安定

    改正により「就労開始に際しての技能訓練契約」、「テスト雇用契約」、「学生、奨学生の労働契約」、「一定期間労働契約」といった雇用形態を導入し、雇用者側の無期限雇用に伴う負担の軽減を目指すとしている。しかしこれは不安定雇用の増加につながる。

  • 無制限な時間外労働

    労働時間について、雇用者と労働者が「相互の合意に基づき」労働時間を「柔軟化」することを認めている。その際、憲法第123条にある「非人間的な労働時間にならない範囲で」という限度を設けているものの、具体的にどこからが「非人間的な労働時間」であるのかの定義もなく、また労働時間の変更に労組が参加することも認めていない。

  • 労働者の組織権の侵害

    新労組設立のための要件が増やされている。例えば労組設立に先立ってその推進者の名前を明らかにしなければならないため、労働者はこれが解雇の理由となることを恐れ、結果的に労組の設立は非常に困難になる。他方、現在の非公開の労組登録制度を維持し、労組の自治を制限している。また労組員が無記名秘密投票で幹部を選ぶ権利も、あくまで「オプショナル」なものとして位置づけられている。これは労組の自由に関するILO条約第87号に反する。

  • 集団労働協約の締結に対する制限

    現行の法制では、集団労働協約を結ぶには3通りの方法がある。1つは基本的に雇用者側次第のもので、どの労組と協約を結ぶかを雇用者側が選ぶことができ、これが最も一般的な方法である。2つめは、雇用者に対して協約の締結を要求し、労組がストを構えるやり方、3つめは雇用者が決めた労組以外の組合が、政府・労組・雇用者の代表によって構成される和解・調評議会に対して集団交渉の当事者となる権利を請求し、手続を始めるやり方である。

LFT改正案では、新労組が集団交渉権を獲得するための手続を開始するにあたって非現実的な条件を要求しており、結局は間接的に従来の協調組合が優遇されることになる。また、集団交渉権を認める和解・調停評議会に参加しているのは従来の協調組合ばかりであり、従って評議会自体がこの場合完全に中立な組織とは全くいえない。中には、そのような請求手続を行おうとすれば労働者側は最初から強力な圧力をかけられ、最終的には解雇につながるとの見方すら出ている。ストに訴える手段に至っては言わずもがなである。

結局、集団協約は当の労働者抜きで、雇用主と従来の協調組合代表との間だけで結ばれる合意になってしまう可能性が高い。そしてこの種の協約は、労働者側の抗議行動から雇用者側の権利を守る「保護協約」の性格を帯びることがほとんどである。

UNTや野党PRDは、労組及び集団労働協約の公的登録制度の創設とその開示、労組員による労組幹部の秘密投票、労使紛争の解決にあたる労働裁判所の設置(協調組合だけが参加する和解・調停評議会に代わる機関として)等を提案したが、これらが一切とりあげられていないのは前述の通りである。もっとも、アバスカル労働大臣は、LFT改正が国会で可決された暁には、今回のLFT改正の議論からはじき出されているPRD及びUNTの要求についても労働者側及び雇用者側と交渉する意図を示している。

アバスカル大臣が改革推進に強気の姿勢を示しているのは、理由がないわけでもない。現在下院では与党PANが150議席しか有していないのに対し、223議席を有する野党PRIが第一党となる逆転現象が起きているため、政府が推進しようとする改革政策の多くが国会での承認を得られないケースが多々ある。しかしLFT改革に関しては、政府与党はPRIの全面的な支持を期待できるのである。

ただし2004年末には2005年予算案をめぐる議論が続く中、LFT改正案の審議・可決には至らず、2月に始まる次期通常国会を待って審議が続けられるものと見られる。しかしそうなると、メキシコ政界はすでに2006年に予定されている総選挙及び大統領選挙をにらみつつ動き始めており、それが構造改革にも影響を与えることは必至である。1月10日、ワシントンでのセミナーに参加したヒル・ディアス大蔵大臣は、フォックス政権の構造改革努力を強調する一方、「政権残り2年の間にエネルギー、労働市場、通信等の分野での構造改革を具体化できる可能性は皆無に等しい」とまで述べている。

昨年12月に行われたメキシコ国家雇用サービス(労働省傘下の機関)の年次会合に出席した世銀及び米州開発銀行の専門家らからは、メキシコではインフォーマルセクターで働く労働者が極めて大きな割合を占めていることを念頭におきつつ、LFT改正が更なる柔軟化に焦点をおいたものであるべきではないとの意見を表明している。そして、柔軟化に先立って重要なのは、社会保障制度による保護を拡大するための、財源的に維持可能なメカニズムを構築することであるとしている。

いずれにせよ、現政権が最大野党PRIの支持を得て進めようとしている労働市場改革は、柔軟化を進め、国際競争力を高めることで雇用の増大を目指すというものである。しかし問題の核心は、柔軟化か否かを議論する以前に、改革を行う前提として労働者の立場を代弁できる機関としての労組が存在せず、そのため仮に労働者の権利侵害につながる改正が推進されても、これに歯止めをかける有効なメカニズムがないということである。メキシコの労働市場では、この点こそがまさに真の構造的問題であるといえよう。

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