海外社会労働事情研究会「グローバル化の中のアジアの労働問題」
野寺康幸・前ILOアジア太平洋総局長が講演

カテゴリー:労働法・働くルール労働条件・就業環境

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  • 国別労働トピック:2004年9月

労働政策研究・研修機構(JILPT)は8月3日、前ILOアジア太平洋総局長の野寺康幸氏を講師に招き、海外社会労働事情研究会「グローバル化の中のアジアの労働問題」を開催した。野寺氏は、アジア太平洋5地域28カ国を管轄した経験を踏まえ、現在のILOの活動の柱であるディーセントワークの意義や問題点について解説。国連機関同士の事業の縄張り争いやそれに伴う業務の重複、トップ人事異動がもたらす路線転換により生じる無駄といった内部問題にも踏み込み、ILOの本旨に即した体制強化の必要性を訴えた。また、日本政府が拠出する分担金についても触れ、「ILOに対し年間60億円におよぶ巨額な拠出金を負担しているにもかかわらず、何ら主導的立場にない。高負担に見合う成果を国民に説明する責任がある」として、アジアのなかでの多様なレベルの交流と信頼関係の構築を土台とした積極的な関与を求めた。同研究会は、海外の社会労働事情及び労働政策に関する情報提供が目的。日本ILO協会との共催で、月に1回程度開催する予定だ。

ディーセントワークの意義と問題点

従来、ILOの活動の柱は、国際条約の批准・実施を通じた国際労働基準の普及及び批准国に対する適用状況の監視機構だった。しかし、批准に向けた国内手続きが進まないことから、1998年に新宣言「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言とそのフォローアップ」を採択。以降、未批准国における基準推進を目指した技術支援活動を強化した。ソマビア事務局長1999年に掲げたディーセントワークは、こうしたILO活動をさらに拡大するもの。国際労働基準の推進を重要項目のひとつと位置付けると同時に、差別の禁止、雇用、社会保障、社会対話などにも取り組む内容だ。

ディーセントワークについて野寺氏は、福祉国家として知られるデンマークですら普及プロジェクトを実施したことを例に挙げ「高尚な理念であるが、実現は先進国でも難しい」と指摘。そのうえで「貧困ライン以下の生活を強いられる貧困層が大半を占める途上国には、労働基本権や社会対話といった概念自体が根付きにくく、高すぎる目標だ」と批判した。ILOがディーセントワーク普及計画を立ち上げても、途上国側が単なる財政支援のお約束プランと受け止めてしまう現状を吐露した格好だ。

また、ディーセントワーク実現に向けたILO内部体制の未整備にも言及。「イデオロギーを大きく転換したものの、実現のための専門家も財源も足りない。前提となる各国の実態の確実な把握ができないまま、財源確保に奔走するばかりで、なかなか成果があがらない」などと述べ、専門家の補充や配置を再検討するなどの体制の強化を訴えた。

ディーセントワークを各国に根付かせるためには、普及計画を国家政策の枠組みに盛り込むことが不可欠となる。しかし、ILOのカウンターパートとなる各国労働省の実権・財源が乏しく、国家政策としての地位をなかなか獲得できない。その半面、経済企画庁等の財源豊富な省庁をカウンターパートとする世界銀行が、各国の経済基盤の確立を最優先事項として取り組んでいる貧困削減戦略書(PRSP)は、国家政策の枠組みのなかにしっかりと位置付けられ、既に70カ国以上で実施が進んでいる。ILOは、PRSPにディーセントワークの概念を持ち込むなどの努力も行っているが、1.世界銀行がディーセントワークを付加価値として認識するまでに至っていないこと2.ブレトンウッズ機関である世界銀行にILOのイデオロギーが馴染まないこと3.政労使三者構成の理念の扱いが難しいこと――等を理由に、目立った成果があげられていないのが実情だ。

短絡的な制裁措置より支援を~西欧民主主義体制vsアジア的価値

アジアには多様な価値、文化、気候、宗教、言語、政治体制があり、労働基本権の基盤となる西欧民主主義体制と相容れない国が多い。アジア太平洋28加盟国のうち、基本条約である87号条約(結社の自由及び団結権の保護)でさえ、未批准国が16カ国と半数以上に及ぶ。中国での独立系組合の組織化を理由とする組合活動家の投獄事件、ミャンマーの強制労働案件といった極端なケースをはじめ、未解決の問題は尽きない。こうした問題について野寺氏は、「制裁措置は避け、政治的な対応や支援活動をベースに改善を図ることが重要。各国の実態を適切に把握したうえで労働基本権を徐々に普及していく柔軟な方向が望ましい」と主張した。例えば、ILOはミャンマーに対し、ILO憲章33条に基づき技術支援を行わない旨の制裁決議を発動している。それ以降、同決議が事実上ILOの手足を縛ることとなり、国際連合食料農業機関(FAO)、ユニセフ、ユネスコといった国連機関が続々と支援活動を行っているにもかかわらず、一切関われない実情がある。だが、数百人もの組合活動家の殺害が確認されたコロンビアは制裁決議に至っていない。ILOの対応の差に疑問を投げかけ、一貫性のある柔軟な対応を求めた。

多額の国連拠出金には国民への説明責任が必要

日本政府が02年度中に国連をはじめとする各種国際機関に対して支払った拠出金や出資金総額は、1547億円。米国に次いで世界で二番目に高い額を拠出している。その93%は、政府開発援助(ODA)からの拠出だ。

このうち、ILOへの日本の分担金比率は19.369%(約60億円)。財源の5分の1を負担している計算だ。さらに、アジア太平洋総局には、外部予算として約2億円近くを計上し、ジェンダー、労働安全衛生等の活動に充当している。拠出額トップの米国の同年の分担金比率は22%だが、GDPの世界比率約33%。これに比べて日本のGDP世界比率は3分の1程度に過ぎないが、分担金比率は米国とあまり変わらない。他の安全保障理事会の常任理事国の分担金比率も、フランス(6.417%)と英国(5.494%)が5%程度、中国(1.521%)とロシア(1.182%)に至っては1%台と、日本の拠出額が極めて大きいことが分かる。野寺氏は、「ODA予算の国民1人当たりの負担額は1万円にも及ぶ。国連機関における日本人職員数とその処遇はもとより、高負担に見合う評価と尊敬を得られるよう努力すべきだ」などと述べ、国際社会における日本政府の積極的な姿勢を促した。

日本が指導的役割を果たせない原因について野寺氏は、アジアの多様性・特殊性と、日本の敗戦国としての負い目――の二点を挙げ「常に対米協調路線というフィルターを通して、中国、インド、ASEAN諸国の見方を意識せざるを得ない立場にあるからだ」と解説。ILOの長い歴史を振り返ってみても、日本が指導的役割を担ったといえるのは、1998年の新宣言採択の際に、アジア・太平洋グループの主張で「労働基本権を保護主義に利用しない」という文言を盛り込む際にイニシアチブを発揮したこと、ミャンマー問題に「強制労働を廃止する趣旨の技術支援は継続する」との修正案を提出して制裁措置に風穴をあけたことが目立つ程度。「アジア諸国との交流・理解を深め、合意形成にむけた努力を継続・強化し続ける」(野寺氏)ことが重要だ。

さらに、野寺氏は国連組織におけるトップの交代に伴う路線変更で業務が重複することや、国連機関同士の資金提供者獲得競争により多くの無駄が発生していることを指摘した。その一例として、HIV撲滅計画の実施をめぐって国連本体、国連合同エイズ計画(UNAIDS)、世界保健機関(WHO)、ILO――等、多数の国際機関が縄張り争いを続けている現状を報告。予算の無駄遣いを、国連全体の課題として捉えるべきだとした。

声なき労働者をいかに代弁するか

最後に野寺氏は、労働組合の世界的な組織率の低下に関連して、巨大なインフォーマルセクターの存在についても言及した。現在、アジア地域全体では40%以上の労働者が、インフォーマル部門に従事。インドではこうした労働者が約9割を占めているという。未組織労働者や貧困層の増大は、政労使三者構成を基本とするILOの根幹を揺るがす問題。加えて、インフォーマル部門の未組織労働者の権利擁護に携わるNGOのILOでの位置付けといった微妙な課題もある。野寺氏は、「組合でなくとも、働く人の組織を何らかの形で認知する方向を模索する必要がある」として、従来の紋切り型の労働基準の普及ではなく、アジアの現実に即した柔軟な対応の必要を改めて説明。「幅広いディーセントワークの普及には、こうした未組織の声なき労働者をいかに代弁するかという問題にILOは正面から取り組む必要がある」と強調し、講演を締めくくった。

野寺康幸氏は、労働省入省後、1981年から83年に在パリOECD代表部一等書記官を経て、雇用政策課長、高齢者傷害対策部長、総務審議官、労働基準局長を歴任。2001年から2004年までILOアジア太平洋総局長を務めた。現職は、介護労働者センター理事長。

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