UAL破産法11章申請、再建目指し労組と再交渉

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2003年2月

ユナイテッド航空の持ち株会社UALは2002年12月9日、連邦破産法11章による会社更生手続きを申請した。

同社は2002年11月上旬、向こう5年半に渡り、パイロット労組(ALPA)から22億ドルの賃金削減、客室乗務員労組から4億1200万ドルの賃金削減の合意を得ていた。さらに、12月2日には同社と全米機械工・航空宇宙労組(IAM)首脳が向こう5年半に渡る15億ドルの賃金削減に合意、12月5日に組合員による承認投票が予定されていた。

しかし、連邦政府は12月4日、UALの再建案は、費用削減が不十分な上、楽観的な収益予想に基づいており、政府が債務保証を提供すれば米国納税者に非常に高いリスクを負わせることになりかねないとし、18億ドルの債務保証を拒否した。この知らせを受けて、IAMが12月5日に予定していた賃金削減に関する承認投票は中止された。連邦債務保証を拒否され、UALは、貸付返済の資金繰りに窮し、破産法申請以外の選択肢がなくなった。

UALは、破産法申請により、労組と再交渉し、賃金削減や非効率なワークルールの変更を迫ることになる。労組の譲歩が不十分な場合には、UALは、破産審査裁判所判事に対し、現協約の廃棄を申請することができる。破産法申請から約1週間後の12月13日に、ユナイテッド航空は同社の各労組に対し、2003年2月までに、1年間で総額24億ドルの労働コスト削減に合意することが必要であると伝えた。この金額は、債務保証を得るための交渉の中で諸労組が合意していた年10億ドルの労働コスト削減を大幅に上回る。諸労組は、金額の大きさに驚いているが、交渉に応じなければ、より厳しい条件を課される可能性があるため、同社存続のために労働条件の改変について経営側と話し合うことになる。

他社よりも高い労働コスト

1990年代始めにコスト削減の必要に迫られたユナイテッド航空は、49億ドルの賃金引き下げとワークルールの変更と引き換えに客室乗務員以外の全ての従業員グループに計55%の株式を与えた。この結果、同社は従業員が経営権を持つ世界最大の企業となった。労組代表2人、非労働組合員1人の計3人が労働者代表として、12人の取締役会の一部に加わった。その後、これら労働者代表は、ユナイテッド航空新CEO就任を拒否するなどしている。業界の専門家から見ると、労働コスト削減が困難であったのは、労組が経営に参画していたことによる。しかし90年代の好景気には、同社は好業績を上げ、労使関係のもつれは表面化していなかった。

1994年に始まった従業員持ち株制度(ESOP)が2000年に中止されると、パイロットと機械工は、90年代後半の好景気に、比較的賃金が抑制されていたことへの不満が表面化するようになり、大幅な賃上げを求めた。

例えば、ユナイテッド航空パイロットは、1994年に同社株25%の保有と引き替えに15.7%の賃金引き下げを受け入れたため、2000年までは同業界他社よりも低い給与水準にあった。労働条件の改善を求めて2000年夏にパイロットが残業を拒否したため、多くの便が欠航、乗客の多くは他社の便に切り替えた。グッドウィン最高経営責任者がUSエアウェイズ社を買収しようとした2000年5月には、ユナイテッド航空の従業員は、勤続年数が比較的長いUSエアウェイズ社の従業員に先任権の高い職種を奪われることを恐れ、激しく抵抗した。結局、労使関係の悪化を恐れた経営陣は、パイロット労組に史上最も高額な賃金を与えた。

人件費などの費用の上昇にもかかわらず、ITバブルがはじけた結果、収入が減少、同社は赤字を出すようになった。規制当局から独禁法に抵触するとの判断を受けたこともあって、2001年の夏にUSエアウェイズ社との合併を断念した。さらに2001年9月の同時多発テロで同社の飛行機が2機ハイジャックされて客足が遠のき、2万人の労働者を解雇したものの、赤字はさらに拡大していった。

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