労働党と労働組合との対立が高まる

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年7月

労働党は2001年11月に実施された総選挙で破れ、これで3期連続しての敗北となった。これを契機に労働党は、労働組合との関係の見直しに入っていた。労働党党首のサイモン・クリーン氏はオーストラリア労働組合評議会(ACTU)議長を務めたこともある人物だが、彼が労働党組織の近代化を図ったことで、労組と労働党の間で緊張が高まっている。

労働党組織の近代化とは、同党内部での労組の影響力削減を意味すると見られているため、労組関係者にかなりの動揺を引き起こしている。特に問題となっているのがいわゆる60対40ルールで、これは労働党大会の政策立案代表の60%を労組員に分配するというものである。さらに労働党推薦候補者は労組員でなければならないため、同党が非民主的であると批判されるようにまでなっている。

もう1つの問題は、労働党特有の派閥争いである。労働党は右派と左派に分裂しているといわれ、派閥を超えた個人の自由な決定が行われているとはいえない状況にある。

こうした現状を前提にすれば、労働党に入る魅力がないと思われても致し方がないといえよう。そこで、クリーン党首は新たな候補者を獲得するために現状を打破しようとしているのである。

対立の高まり

最近になって、一部の影響力のある労組代表が労働党を離党する事態となり、緊張が高まっている。さらに国内最大労組であるオーストラリア製造業労働者組合(AMWU)のビクトリア、ニューサウスウェールズ、クィンズランド各州支部も離党を示唆している。これらの中には、別の政党結成や独自候補者をたてることなどを計画する者もおり、多くの労組員は緑の党への加入を検討しているとも伝えられている。

何がこうした事態をもたらしたのだろうか。労働党所属の労組代表は、労組が総選挙の敗北のスケープゴートにされていると主張する。しかし対立の背景にはさらに根深い理由が存在する。1980年代の労働党政権時代に、労働党は一部労組の意思に反し、規制緩和や民営化といった政策を断行した。労働党が1996年に総選挙で敗れたのはこうした政策に対する不満にあり、そしてそれが労組組織率を低下させたというのは、労組関係者の間では「常識」となっている。

これに対しクリーン党首は、労働環境の変化とともに労組と労働党も変わっていかねばならないと主張している。しかしAMWUの指導者は、近代化よりも労働党がその魂を見つける必要があると指摘し、労組の影響力削減が提唱される中でなぜAMWUが年間65万豪ドルもの加盟費を払わねばならないのか疑問だと批判した。

歩み寄りで決着か

一部労組が政党を作ることがあっても、労組代表が他の政党を結成するために一斉に労働党を離党する可能性は少ないであろう。両者ともまるで不幸な結婚のように、お互いを必要としているのである。従って、何らかの妥協点を見いだし、決着するというのが大方の見方である。

ただ労働党内部では、派閥の影響力を一掃するための政策を検討しており、その行方が注目される。

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