町のシンボル、ビスケット工場の移転問題

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年6月

スペイン北部カスティーリャ・イ・レオン州パレンシア県のアギラール・デ・カンポオ市は、カンタブリア山脈の麓、中世のたたずまいを残す人口8000人弱の小さな美しい町である。1881年、地元のフォンタネダ家が製菓工場を創業して以来「ビスケットの町」として知られ、フォンタネダ社が製造する「ガリェタス・マリア」(ガリェタスはスペイン語でビスケットの意)は、いわゆる「マリービスケット」の起源でもある。60年代から70年代にかけ、フォンタネダの名はテレビ広告を通じてスペイン中に広まり、同社のビスケットは子供たちの朝食やおやつに欠かせない存在であった。

しかし、製菓部門の競争激化や朝食シリアルの登場による市場多様化の波を受けて、フォンタネダ社は90年代に入ると経営難に陥り、95年には米国多国籍企業ナビスコ傘下のユナイテッド・ビスケッツに買収される。ただフォンタネダのブランド名は残され、現在もなおアギラールのシンボルとなっている。そのフォンタネダ工場を閉鎖し、ナバラ州及びバスク州の別の町に生産を移転する計画がこのほど明らかになった。

過疎化が進む農業地域のパレンシア県において、製菓業は数少ない産業の一つとして深く地元に根づいてきた。フォンタネダ工場が生み出す直接・間接雇用はアギラールの経済にとって決定的な重要性を持ち、また一家全体が3世代、4世代にわたってフォンタネダで働いてきたという家庭も少なくない。住民の間でもフォンタネダはアギラールの町そのものという意識が深く浸透しており、そのため今回の工場移転計画に対しては、直接に影響を受ける265人の労働者だけでなく、住民全体が反対運動に立ち上がった。

4月8日、早朝から経営側と労働者側の協議が続けられたが合意に達せず、夜11時になって工場前に集まった住民約2000人が経営者らが立ち去るのを阻止するという事件が起き、治安警備隊が出動して衝突を避けたが、住民はビスケットの空缶を鳴らして抗議の姿勢を示した。

この町で1918年に製菓工場を創業し、フォンタネダとともにビスケットの町の歴史を歩んできたグリョン社は、フォンタネダの経営難と対照的に近年生産量を3倍に増やしている。それでも伝統と知名度の上ではフォンタネダを勝るものはない。ビスケットの町の火を消さないために、グリョン社はフォンタネダ・ブランドの買取りの意図があることを示しているが、同社では「ユナイテッド・ビスケッツが会社再編をするのは自由だが、フォンタネダの状況が手のほどこしようがないというわけではない」としている。この点は労働者側も同意見のようで、工場の生産・出荷状況は全く順調であると主張している。

事態を重く見たカスティーリャ・イ・レオン州政府労働庁は4月13日から14日の週末にユナイテッド・ビスケッツ側との協議を行い、その結果、15日になって工場移転計画の一時中断が発表された。しかしこれは移転計画の撤回を意味するものでなく、労働者側の受け止め方もきわめて慎重である。実際、18日に予定されていた24時間ストは決行され、労働者、住民のほか労働総同盟(UGT)のメンデス書記長と統一左翼:IU(IUはスペイン共産党を中心とする左派連合)のジャマサーレス代表もデモに参加している。

今回のアギラールのケースは、スペイン各地が常に大きな関心を寄せる多国籍企業による投資のもう一つの顔を示しているようである。雇用創出力のある産業を欠いた農村では投資誘致の魅力ははかりしれないが、それは同時に地元から顔の見えない企業幹部に人員調整や工場閉鎖の決定まで委ねてしまうことも意味する。一般にスペインは企業規模が非常に小さく、大企業と呼べるものはほとんど数えるほどしかないが、むしろ名もない中小企業が堅実に地域経済を支えている例が少なくない。同じパレンシア県(ベンタ・デ・バニョス市)で、しかも同じ製菓業のシロス・グループもその一例である。

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