デルタ・エレクトロ二クスの工場事故で明らかとなった生産現場の安全性

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年5月

2002年2月1日未明、製造業の工場が集まる東部サムットプカーン県で、コンピューターモニターの大手、デルタ・エレクトロニクスのバンプー工業地帯内第5工場の天井が落下し、作業員9名死亡、57人が重軽傷を負うという大惨事が起きた。

その後、この事故の原因が明るみになるにつれ、外資系企業の工場も集中している同県の工場現場における職場の安全性について、疑問視されるようになってきた。

事件の原因は工場の不充分な設計

今回の事故は、1日の午前3時ごろ、製品組立の第1工程での作業中に起きた。2階の天井一部が崩れ落ち、1階で作業をしていた120名の従業員の一部が天井の下敷きになり、すぐにレスキュー隊の救助があったものの、夜勤の女性従業員7人が即死。死亡したのは全員、地方出身の出稼ぎ女性従業員であった。同日の夜間シフトでは、全4工程、約500名の労働者が作業中であったという。

2階の天井裏には600キロの大型エアコンが16台取り付けられており(現地紙によると総計30トンの重量があったと伝えられている)、それを支える90メートルの長さの梁には支柱が取り付けられておらず、この重みに耐えられなかったのではないかと見られている。この工場が建設されたのは3年前の1999年で、建物自体の老朽化が進んでいたというわけではない。

事故後、工業省産業工場局と労働・福祉省の技術者が派遣され、事故の原因究明と過失が会社側にあるのか、それとも工場を設計・建設した建設会社にあるのかを調査した。その結果、建設基準を満たさずに建築した建設会社に非があることが判明、経営側は建設社を訴える方針だ。その間、同社は5つの工場全ての建設を同業者に依頼していたため、一時全工場の生産ラインが停止した。

政府の対応は

同社の事故が起きた直後である2月4日、工業省は60名の職場安全の専門技術官を15チームに分け、同県の従業員200名以上、1000馬力以上の機械を所有する工場に派遣させることを決めた。この検査では、建物の強度、天井、梁、支柱の耐重検査、火災非難口などの有無などを調査する。また災害対応システムや労働者に対する安全基準なども聞き取りを行う予定。

スリヤ工業相は、全国29の工業団地にも工場の安全基準を見直すように通告し、プラチャイ内務相は、内務省公共職業局と科学省公害調整局と合同で、危険な化学物質が使われているバンコク首都圏の506の工場を調査することも明らかにしている。

従業員達の職場安全に対する不信感

事故発生による工場の閉鎖中、会社側は従業員に対して有給休暇を付与していたため、支払いに関するトラブルはなかったが、同僚が命を落とした現場で働くのは気がひけるといった意見や、職場安全に関する信頼がもてない、などといった声が寄せられた。また、同社では過去に1度だけ火災の非難訓練を行っただけで、事故に対する非難訓練は行っていなかったという。

また、2月7日に再稼動のため生産ラインの機械の試運転を行ったところ、機械が大きな爆発音を発し、1000人が再避難、数名がショックで気を失うなどの混乱となった。

今回の事故が従業員に与えた精神的な影響は大きく、スリヤ工業相も、政府が安全であると認める前に操業するのは好ましくない、とコメントしている。

その後2月9日に工業省(実際の検査はタイ技術機構(EIT))からの許可が下り、3工場について11日からの操業が認められた。

事故による損失

事故当初、生産の復旧まで1カ月程度を見込んでいたが、事故のあった第5工場は2月7日に、11日には全工場が稼動を再開し、損失額もそれほど大きくならないと同社は予想している。とはいえ、天井の修繕費に500万バーツ、また労働者の有給休暇のために1200万バーツの経費がかかったと伝えられている。現在は、同社の受注が最も集中する時期にあたり、事故の復旧後は週7日24時間体制で操業する方針を明らかにした。

この事件で明らかになったサムットプラカン県の工場の安全性

サムットプラカン県はバンコク首都圏に属し、バンコク市内から程近く東部の港にも隣接しているため、1960年代の輸入代替工業化先駆けの地となった。工業化のエンジンとなった製造業の工場が約5500以上もあるといわれているが、少なく見積もっても2500ほどの中小零細工場は、デルタ・エレクトロニクスで起きたような事故が起こりかねない安全性の不備を抱えているといわれている。

また、工業地帯の成長とともに、排水、空気汚染、化学物質の汚染といった環境問題や、出稼ぎ労働者の大量流入による社会問題などもおきている。

工業団地の開発とともに操業を始めた企業は、約40年の歳月を経て施設や機械の老朽化が進み、工業団地そのものの老廃化も進んでいる。団地集辺の地元民たちも、工場の過密化や、それに伴う公害、行政の指導不備などに不満を持っている。しかし、行政側も、県レベル及び市のレベルの役人や、産業雇用局のスタッフの数が不足しているため、十分な工場検査が出来ていないという悩みを抱えており、地域住民の期待に応えられていないのが現状だ。また、1992年に成立した建物規制法によって、地方行政が工場の使用者に対して、環境規制や安全規制を遵守させるような拘束力が保証されているが、実際には適切に活用されていない。

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