セミナールーム
インドネシアの最近の労使関係の現状

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2001年6月

Dr. Payaman J. Simanjuntak
(パヤマン J. シマンジュダック/インドネシア労働省顧問)

はじめに

1970年代初頭から97年央の金融危機前まで、インドネシアは年6%を超える急速な経済成長を経験した。これは、天然資源の大規模な開発、海外からの直接投資と融資によるものであった。

しかし、インドネシアは低所得国に留まり、高い失業率および不完全雇用という問題に直面している。賃金は比較的低く、経済成長による利益のほんの一部だけが労働者に分配されている。つまり、労使関係システムの発展は、経済の急速な発展に追いついていない状況である。

1.失業および不完全雇用

比較的高い人口増加率に伴い、労働力の規模は1980年には5240万であったが、95年には 8420万人にまで拡大し、2000年までには9500万人以上に拡大すると予測されている(表1を参照)。女子の労働力参加率は上昇し続け、全労働力に対する女子の割合は1980年には約32%であったが、90年には40%、そして99年には50%以上に上昇した。

過去25年間におけるインドネシア経済の産業部門間シフトは、産業部門間の労働力の移動に反映されている。農業部門従事者の割合は1971年の67.3%から90年の50.4%、そして99年の43.2%へと減少した。一方、製造部門従事者の割合は6.8%から11.5%、そし て13.0%に、またサービス部門では21.5%から29.1%、そして34.3%に増加した(表2を参照)。約63%の人々は、農業の伝統的な仕事に、そして自営あるいは家内労働者としてインフォーマル部門に従事している。

表1 インドネシアの15歳以上の人口(1985年~99年)
項目 1985年 1990年 1995年 1997年 1999年
人口 99,483.4 113,557.4 128,806.3 135,070.4 141,096.4
労働力 64,773.8 71,676.8 84,230.1 89,602.8 94,847.2
就業者数 60,435.5 68,524.8 78,322.2 85,405.5 88,816.9
*週35時間未満 21,685.6 23,581.6 27,062.5 29,027.8 34,965.2
(不完全雇用) (35.10%) (32.90%) (32.13%) (32.40%) (36.86%)
*週14時間未満 5,16.2 5,057.1 6,078.5 6,765.4 8,162.3
(危険的な不完全雇用) (8.36%) (7.06%) (7.22%) (7.55%) (8.16%)
失業者数 1,338.3 2,152.0 5,908.0 4,197.3 6,030.3
(失業率) (2.17%) (3.00%) (7.01%) (4.68%) (6.36%)
非労働力 37,709.6 41,880.7 44,576.2 45,467.5 46,249.2
(労働力参加率) (62.09%) (63.12%) (65.39%) (66.34%) (67.2%)
  • 出所:1985年および1995年:中間人口調査1997年
  • 1990年:国勢調査
  • 1997年および1999年:全国労働力調査

表2 インドネシア国内総生産および部門別雇用(1971年~99年)(%)

部門 1971 1980 1985 1990 1995 1997 1999 1971 1980 1985 1990 1995 1997 1999
農業 44.8 24.8 23.7 19.4 14.8 16.1 17.4 67.3 56.3 54.7 50.4 44.0 40.7 43.2
鉱業 8.0 25.7 16.3 15.2 8.8 9.2 9.9 0.2 0.8 0.7 1.0 0.8 1.0 0.8
製造業 8.4 11.6 14.1 19.4 25.1 24.0 25.7 6.8 9.1 9.3 11.5 12.6 12.9 13.0
電気業 0.5 0.5 0.9 0.4 1.2 1.1 1.6 0.1 0.9 0.9 0.2 0.3 0.3 0.2
建設業 3.5 5.6 5.4 5.8 8.1 7.6 5.6 1.7 3.2 3.4 4.1 4.7 4.9 3.8
通信業 4.4 4.3 6.6 5.5 7.4 7.1 7.1 2.4 2.9 3.1 3.7 4.3 4.8 4.7
サービス業 30.4 27.5 33.0 34.1 34.6 34.9 32.7 21.5 27.6 28.7 29.1 33.3 35.4 34.3
合計 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100 100
  • 出所:Ministry of Manpower(労働省)、TheHuman Resources Profile in Indonesia、『インドネシアにおける人的資源の概要』、2000年11月

表1に示すように、インドネシアの失業率は1985年の2.2%から90年の3.0%、そして99年 の6.4%と上昇し続けた。この期間、女子の失業率は一般的に男子より高かった。1999年の 女子失業率は6.9%、男子失業率は6.0%であった。全体では、失業率が最も高かったのは高校卒業生の1 5.9%、次いで単科大学と総合大学卒業生の12%以上であった(表3を参照)。

表3 性別および学歴別失業者(1999年)

学歴レベル 労働力(1千人) 失業率(1千人) 失業率(%)
男子 3,524.2 58,432.9 6.03
小学校未満 168.3 12,105.3 1.39
小学校 669.4 21,246.6 3.15
中学校 703.6 10,004.9 7.03
高校 1,712.1 12,445.2 13.76
単科大学 99.5 1,083.1 9.19
総合大学 171.3 1,547.8 11.07
女子 2,506.1 36,414.3 6.88
小学校未満 110.2 11,604.0 0.95
小学校 481.8 12,854.4 3.75
中学校 455.9 4,529.6 10.06
高校 1,174.1 5,683.8 20.66
単科大学 144.4 925.0 15.61
総合大学 139.7 817.5 17.09
全体(男女) 6,03.3 94,847.2 6.36
小学校未満 278.5 23,709.3 1.17
小学校 1,151.2 34,101.0 3.38
中学校 1,159.5 14,534.5 7.98
高校 2,886.2 18,129.0 15.92
単科大学 243.9 2,008.1 12.15
総合大学 311.0 2,365.3 13.15
  • 出所:Ministry of Manpower(労働省)、TheHuman Resources Profile in Indonesia

2.労使関係の課題

経済の急速な発展は、様々な産業不安、労働争議、デモ、休業、ストライキなどに示されるような数多くの複雑な労働・社会問題をもたらした。

労使紛争の件数は、1981年から89年の間に200件から19件へと減少傾向にあったが、以後98年に至って234件にまで増加した。また、紛争に関係した労働者数は1981年から89年の間に5万4875人から1168人に減少したが、98年には14万1495人にまで増加した。同様の時期に、人・時に換算した損失は49万5144人から2万9257人に減少したが、その後137万人にまで増加した(表4を参照)。

表4 インドネシアにおけるストライキ件数および損失人・時(198~98年)

件数 参加人数 損失人・時
1980 100 32,287 328,466
1981 200 54,875 495,144
1982 142 49,525 501,236
1983 96 23,318 295,749
1984 63 10,836 62,906
1985 78 21,148 55,001
1986 75 16,831 117,643
1987 35 8,281 35,664
1988 39 7,544 607,265
1989 19 1,168 29,257
1990 61 27,839 229,959
1991 130 64,474 534,601
1992 251 176,005 1,019,654
1993 185 103,490 966,931
1994 278 136,699 1,226,940
1995 276 128,855 1,300,001
1996 350 209,257 2,796,488
1997 161 100,440 875,512
1998 234 141,495 1,375,654
  • 出所:Ministry of Manpower(労働省)、TheHuman Resources Profile in Indonesia、『インドネシアにおける人的資源の概要』、2000年11月

労使紛争の増加の要因はいくつか挙げられる。第1に、企業レベルにおける2者間、あるいは労使関係が、苦情を感知しそれを解決する機能を適切に果たしていなかったことである。
第2に、労働組合のリーダーに、交渉によって労働協約を締結しようとする専門技術が欠けていたことである。彼らは協約の締結に失敗すると、ストライキを企てた。
第3に、企業の大多数の管理者は未だに労働組合の存在に抵抗があるので、組合が効果的に機能できないことである。彼らは様々な方法・手段で組合の役割を限定しようとしている。
第4に、2者間および3者間における労働者および使用者を真に代表する組織が欠けていたことである。公式に登録された唯一の組合であるSPSIは、労働者から強力な支持を得ていない。一方、Employers Association of Indonesia(インドネシア経営者 連盟)に参加しているのはほんの一部の企業である。

3.Pancasila Industrial Relations System (パンチャシラ労使関係システム)

パンチャシラ労使関係システムは1974年に発足し、パンチャシラの5原則に則ってい る。即ち、神への信仰、公平で文明化された人道主義、インドネシアの統一、代表制による思慮深い知恵に導かれたデモクラシー、そして社会正義である。

本システムは、使用者と労働組合、労働者間のパートナーシップの原則、加えて対話の継続と交渉の重要性にも重点を置いている。日本の労使関係と非常に似ているので ある。

残念ながら、インドネシアでは使用者および労働組合の両者による理解と責任が欠けているため、本システムは適切に実施されていない。それでも、インドネシアはパンチャシラ労使関係システムを信じ、これを継続して実施するであろう。インドネシア は、パンチャシラ労使関係システムを実施するために、個々の企業で使用者および労働者の組織を強化する必要がある。

4.労働組合の発展

インドネシアにおける初期労働組合運動は、オランダの植民地政策から脱するための国家的闘争から力を得ていた。当時の労働組合には2つの機能があった。即ち、雇用条件を向上すること、そしてインドネシア独立のための全国的な運動を組織することであった。

独立後において、労働組合はその活動の焦点を政治から社会経済に移すことの重要さに気がつかなかった。独立後25年にわたって、労働組合の特定政党支持および工場レベルの複数労働組合の存在ゆえに、労働組合運動は効果的に機能することができなか った。

そこで1973年2月20日に、すべての労働組合の執行委員が満場一致でUnity of Ind onesian Workers(インドネシアの労働者の統一)を宣言した。彼らはまた、労働組合運動は産業経済に基づくべきであり、各企業の組合は1つだけであるという原則に同意 した。

インドネシアは1998年に、結社の自由および団結権の保護に関するILO条約87条を批准した。この批准および最近の政治改革に刺激されて、労働者の組織が急速に増加した。2001年3月末までに、Ministry of Manpower and Transmigration(労働・移住省) には38の労働組合連合と、単一労働組合の100以上のナショナルセンターが登録された。残念ながら、全国、州および地区レベルの新しい労働組合の役員のほとんどは、企業において一労働者として労働組合に関わった背景や経験をもっていない。彼らは効果的に労働組合を組織する方法や、それぞれの使用者と交渉する方法を知らない。

このため、政府の短期的な政策が目指すところは、国内の様々なセミナーやワークシ ョップ、リーダーシップ訓練、海外の組合リーダーの経験についての情報交換を通じて現在の労働組合のリーダーの能力を高めることである。長期的には、労働者を組合リー ダーとして養成するための教育を企業レベルで行えるようにすることである。

5.インドネシアの日系企業

インドネシアにおけるパンチャシラ労使関係システムは、日本の労使関係システムと多くの類似点があることが認識されている。日本の労使関係システムは、世界でも最良のシステムの1つであると理解されている。そのため、インドネシア政府は、インドネシアの労働組合リーダーが、調和のとれた労使関係システムを発展させるために、日本の経験からもっと学べるよう支援するつもりでいる。同時に、インドネシアにあるすべての日系企業が日本の労使関係システムを、現地の条件と文化に合わせて若干の調整を加えながら、実施するよう奨励している。

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