望まれる海外出稼ぎ労働者へのエイズ対策

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年11月

海外で働くフィリピン人294万人の労働者をエイズ感染から保護する政策が切望されている。特に、女性労働者が過半数に達し、保護政策の必要性が一層高まった。

フィリピン政府は、海外労働者のHIV感染の対策を立てることに失敗し、感染者は、1998年から22%増加した。これは、海外での安易な労働、政府の衛生計画の不備、海外に不法に滞在する大量の移民を保護する政策の欠如に起因し、298人の海外出稼ぎ労働者が新たにHIVに感染した。

政府の発表によると、海外労働者の45人が死亡し、96人が重体である。

感染者の代表のマロウ・マリン女史は、新しい海外労働者数の統計が、若い女性の海外労働者が増加していることを示している点を指摘し、政府は1990年にエイズ対策を始め、HIV感染の労働者に対し、具体的な保護事業を開始し、海外労働者に対しエイズ認識セミナーを開催したが、これらの官僚による政策は、海外労働者をエイズの危険から保護することに明らかに失敗したと批判した。マリン女史は、官僚が15分間のエイズのドキュメンタリー映画を海外労働者のために上映したことがあったが、それは官僚からの一方的なものだったと述べ、出発前は多くの関心が保険や銀行の手続きに向けられ、健康に関する助言にはほとんど時間を割くことができない実状を説明した。

1998年から、社会的関心が、苦しんでいる海外労働者に向けられるようになったが、この年230人の海外労働者がHIVに感染した。

48歳のエイズ感染の母親は、「私は、1985年に契約労働者になった。香港でメイドをしていた時、病院で輸血を受け、その時感染した。この窮地を決して人々は理解してくれない。今日でさえ政府は、感染したわれわれを無視し避けている。さらに悪いことに、政府は、エイズ感染の海外労働者が20年近くも前から存在したことを認めようとしない」と訴えた。彼女は、HIV感染後、官僚は同情するどころか基本的な健康給付さえ制限したと主張し、「私は不正に憤慨したが、子供の期待を裏切りたくなかったので、仕事を探し、アジアのあちこちで暮らした。私は、帰国の正式書類を持っていないし、海外での私の書類は、私がエイズだと知った時すべて焼却した。これらのすべては、政府が私の感染を全く無視するのを助けた」と訴えた。

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