BHP社の労使紛争、法廷へ

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年5月

西オーストラリア州ピルバラ地区にあるBHP社事業所で、個別雇用契約導入をめぐり労使対立が続いていた。BHP社は、同事業所で働く1200名強の労働者に対し個別雇用契約への移行を求め、多くの者(正確な数値は不明だが、おそらく半数以下)がこの提案を受け入れたと伝えられた。

使用者はBHP社の戦略が成功するかどうか注目していた。というのは、使用者達の多くが個別契約導入や組合の排除に関心を持っており、BHP社での成果が重要な指標となるからである。

BHP社が個別雇用契約への移行を提案してから、オーストラリア労働組合評議会(ACTU)はいわゆる「サマーキャンペーン」と呼ばれる戦略を練り上げた。サマーキャンペーンは2000年1月半ばに始まり、24時間ストが実施された。その後労使紛争は拡大し、BHP社は労働者に対しストを行わないよう文書で求めた。1月19日には、警察が8人を逮捕し、さらに組合員等を排除するために警棒を使ったため、何名かが負傷した。

警察のこうした行為はメディアを通じ報道され、組合員や国民の多くにBHP社に対する反感を植えつけた。BHP社の株価は、1月10日の労使紛争以降下がり続けた。

法廷へ

ACTUは1月20日に連邦裁判所へ訴訟を提起した。ACTUのこの行動は、1998年の港湾労使紛争における戦略に類似していた。ACTUは、BHP社の行為が、組合員であることを理由に組合員を差別するものであり、結社の自由を保障する職場関係法に違反すると主張した。具体的には ACTUは、個別雇用契約とアワード(または認証協定)との賃金や労働条件格差を取り上げ、この格差が組合脱退への強い誘因となっていると述べた。これに対しBHP社は、ACTUがその誘因と非組合化(つまり個別雇用契約に署名することと、組合を脱退すること)との関連性を証明していないと主張した。実際に何名かの労働者は個別契約に署名した後も、組合を脱退していなかった。さらに同社は個別雇用契約とアワードの労働条件格差について、その格差は職務内容に基づくもので、差別ではないとしている。

裁判所が判断を保留しているうちに、先に示した警察官による事件を契機に事態は悪化していった。ACTUは、さらにストを実施するかを検討するため特別委員会を開催する予定であった。

しかしBHP社は12月からの労使紛争でかなりの経済的損失を被っており、さらなる労使紛争を望んではいなかった。この時期におそらく同社は、その非組合化戦略の有効性を疑い始めたと思われる。また同時に国際的な組合運動の圧力も受けていた。

この間にも、ACTUは同社と認証協定締結に向けて交渉を行っていたが、はじめBHP社は拒否していた。しかしながら、個別雇用契約に署名していない労働者の動向などを見たうえで、BHP社は職場での弾力化を条件に、認証協定の維持に反対しない姿勢を打ち出した。

連邦裁判所の判断

連邦裁判所は1月31日に、BHP社に対しピルバラ地区の労働者に個別契約を提示するのを中止するよう求める、いわゆる暫定的差し止め命令を認めた。同命令は、連邦裁判所の合議法廷が当事者の詳細な主張を聴くまで適用される。この手続は数カ月を要すると見られ、同社の個別雇用契約戦略は必然的に先延ばしされる。同社は上訴する姿勢を示しながらも、認証協定締結に向けた話し合いを続けている。

今回の事件が長期的にどのような意味を持つかはまだ不明だが、短期的な意味は明確である。つまりBHP社の労使関係政策の転換は、短期的には利益をもたらさなかったということである。ピルバラ地区での急な個別契約の導入は行き詰まり、労使紛争の経済的損失はBHP社にとって高いものとなった。このことは、他の企業に同社と同様の方法をとるのを思いとどまらせることとなろう。

この話にはまだ続きがあり、2月7日にはニューサウスウェールズ州の炭鉱業で24時間ストが実施された。このストは、同社が日本企業との石炭価格交渉において、5%の引き下げを受け入れたことに抗議するものであった。同社は職場復帰命令を求め、即時に認められたが、労組はストを続けた。そのため同社は、裁判所命令に対する侮辱行為を理由に裁判所の判断を求めている。

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