マニラホテルで労働者スト

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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2000年2月10日、早朝4時30分、マニラホテルの労組(MHEA)が、すべての入口にバリケードを築き、「我々はスト中である」と書いた巨大な横断幕をかかげ、KMU(5月1日運動)等の支持者とともにストに突入した。これは、ホテルの88年の歴史の中で最初の本格的なストである。強力なホテル労組は、新労使協約の交渉が4カ月も遅延したことと2人の労組幹部と24人の職員の解雇について激しく非難した。

一方、元マニラホテル会長のゲン・アヌルホ・アカデラ氏は、ラジオインタビューの中でほんの僅かの労働者だけがストに参加し、他は、働いていると説明し、大部分のスト労働者は他からきていると述べた。また、経営者側は、労組幹部が2000年度の新労使協約の再交渉を経営者側は拒否したと発表していることに抗議し、新労使協約の交渉を打ち切っていないと述べた。

最初、ストの労働者は、客がホテルに入るのを阻止したため宿泊客への影響が心配されたが午後までには、客は自由に入れるようになった。匿名の経営者側のある幹部は、ストにもかかわらず、2000年2月10日の予約は維持され、客はチェックインし続けていると述べた。

2000年2月14日早朝には、マニラホテルの警備員がスト中の労働者と乱闘を始め、警備員が警棒を使用したり、労働者に向かってレンガを投げつけた。この時、武装した警官が乱闘に介入した。警官と労働者がこ競り合いをし、ピケを維持しようとしたマニラホテルの労組幹部のテディ・カシーノ氏、ペーター・バナタン氏と KMU幹部のベルトラン議長、アルノルホ・セミニアノ氏の合計4名が逮捕された。また、午後、約150人の MHEA と KMUのメンバーが、再度集結しマニラホテルに向かってデモ行進をした。

2000年2月12日、ピケが壊され12人のルームボーイ、ウェイター、コックが逮捕された後、ピケの労働者は四散した。

2000年2月20日、KMUは、大統領がマニラホテルの労使間の長期にわたる争議に対し沈黙を守り続けていることを激しく非難した。エルマー・ラボック KMU事務局長は、大統領は経営者と労働者を和解させることは可能だったにもかかわらずこれまで沈黙していたと批判し、「そうすることによって、大統領は、労働者間に既に固定された、ルシオ・タン・ダンデング・コジュアンコ、ウイリアム・ガチャリアン、エミリオ・ヤップのような労組の破壊者に寛大であるという評判を一層強固なものにした」と述べた。また、ラボック KMU事務局長は、大統領は、雇用労働省が1999年11月24日、いかなる労働者ストも禁止する行政指導をだしたという臆説を取り消すことにより和解を促進することができたと付け加えた。

2000年2月21日、マニラ警察は、2000年2月14日警察とスト労働者及び支持者との衝突で逮捕されたベルトラン KMU議長他3名を起訴すると発表した。セラノ・パブスタン西部警察管轄区本部長は、起訴理由として、不法集会、一連の暴力行為、公務執行妨害等を挙げた。パブスタン本部長は、2000年2月14日、午後のストを強行した労働者と支持者は、ホテルの前でストを鎮圧している警察に対し、ピケを再構築しようと試みたと言及し、また、労働者は警官をプラカードで殴ったり、投石したと付け加えた。

一方、ラボック KMU事務局長は、KMUは、暴動を鎮圧した警察官の指揮者と労働者を強襲した経営者の告訴を検討中だと述べた。

また、マニラ市公会堂でのスト中の労働者と経営者間の話し合いが膠着状態に陥った後、中央労使関係委員会は、本格的に争議を管轄し始めた。

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