BHP社で労使紛争が拡大

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年3月

BHP社は米国人であるポール・アンダーソン氏をCEOに迎えたが、彼の下での労使関係分野における方針転換が明らかとなってきた。つまりBHP社はこれまで労組と協調関係を保ってきたが、1999年11月になってピルバラ地区で働く労働者に個別契約への移行を提案したことから、両者の協調関係は終焉を迎えたと伝えられている。

その後、労使対立はさらに深まり、その行方は将来の組合運動にも影響を与えるのではないかと指摘されている。

BHP社の提案とその影響

同社はピルバラ地区の労働者1000名に対し個別雇用契約への移行を提案しているが、BHP社は他の国内企業に大きな影響力を有しているため、労組は何としてもこの提案を阻止する必要があると考えている。港湾労使紛争の際に活躍したコベット・オーストラリア労働組合評議会(ACTU)書記長自身が個人的にBHP社との交渉に乗り出し、労組が当事者となる認証協定を締結することで問題を解決しようとした。しかしBHP社はこれを拒否し、認証協定に個別雇用契約と同様の内容をもたせるという労組の試みにも抵抗する姿勢を示した。個別雇用契約は5~6%の賃上げや退職年金の上積みなどを伴っており、1999年11月22日時点で300名から350名の労働者が既に署名を行っているという。

ストライキ実施

1999年12月2日にはメルボルンにあるBHP社本社ビルの前で同社の方針転換を促す集会が開かれ、その後13日にはとうとうストが実施され、BHP社の鉄鉱石積み出し作業が影響を受けた。同時に関連労組の間で全国的な行動を支持する動きが高まったため、BHP社は12月半ばに炭鉱労組に対しいくつかの要請を行っている。すなわち同社は労組に対し、全ての鉱山における労使慣行の変更と労働コスト削減や生産性向上に向けた試みへの協力、先任権制の廃止、下請労働者の利用拡大等を求めている。BHP社は製鋼部門で同様の提案を行うことはないとしているが、労組サイドでこの言葉を信じる者はいないであろう。

補足(編集部)

年明けの2000年1月半ばには再びストライキが実施され、NSW州では5000名以上の製鋼所労働者が24時間ストを行った。クインズランド州他のBHP社の拠点でもストライキの計画が持ち上がっており、さらにオーストラリア海員組合(MUA)がこうした活動への支持を表明するなど労使紛争の更なる拡大が予想されている。

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