基礎情報:オーストラリア(2000年)

※このページは、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

  1. 一般項目
  2. 経済概況
  3. 対日経済関係
  4. 労働市場
  5. 賃金
  6. 労働時間
  7. 労使関係
  8. 労働行政
  9. 労働法制
  10. その他の関連情報
国名
オーストラリア(オセアニア)
英文国名
Australia
人口
1902万1400人(1999年9月末推定)
面積
768万2300平方キロメートル
人口密度
2人/平方キロメートル(1996年)
首都名
キャンベラ
言語
英語
宗教
キリスト教(カトリック、アングリカン)
政体
立憲君主制(連邦制)

実質経済成長率
+4.6%(1997/1998年) +2.5%(1996/1997年) +4.6%(1995/1996年)
通貨単位
オーストラリア・ドル(A$) 1A$=0.5685US$=66.06円(2001年1月)
GDP
6214億A$(99/2000年)
1人当たりGDP
2万0434米ドル(99/2000年)
消費者物価上昇率
+2.4%(99/2000年) +1.2%(98/99年) +0.0%(97/98年)
主要産業
農業(羊毛、食肉など)、鉱業(鉄鉱石、金など)、製造業、エネルギー(原油など)

対日主要輸入品目
乗用車、自動車部品、原動機、ゴムタイヤ、建設・鉱山用機械など
対日輸入額
13586百万ドル(1999年) 7985百万ドル(1998年) 7998百万ドル(1997年)
対日主要輸出品目
石炭、鉄鉱石、液化天然ガス、肉類、アルミ・同合金、非鉄金属鉱、木製品など
対日輸出額
16587百万ドル (1999年) 12934百万ドル(1998年) 14660百万ドル(1997年)
日本の直接投資
2048億円(1997年) 852億円(1996年) 2561億円(1995年)
日本の投資件数
49件(1999年) 55件(1998年) 97件(1997年)
在留邦人数
2万7981人(1998年10月)

出所:

  • The Australian Bureau of Statistics
  • 日本:大蔵省(財政金融月報、外国貿易概況)、外務省(海外在留邦人数調査統計)

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1.労働市場の概況

オーストラリアの労働市場は1970年代から大きく変化した。

『雇用関係の国際比較』(Bamber and Lansbury,1998)は最近における変化を4つの期間に分類している。4期間のうちの初めは中央集権化時代(1983~86年)である。第2は「管理的分権主義」の時代(1987~90年)でこの時代に中央集権制度を打破すべく労働市場の改革が始まった。第3の変化の時代(1991~96年)は「調整された弾力性」(coordinated flexibility)の時代で、労使関係の分権化(集中の排除)がさらに進んだ。そして最後が「細分化した弾力性」(fragmented flexibility)の時代(1996年~)で、改革により労働市場の規制緩和を達成することを目ざしている。この間、改革はある程度成功してきている。

オーストラリアは1970年代半ば以降慢性的失業の時代に入っている。失業率は1993年半ばに11%の高水準となり、95年5月には急激に8.4%に下降、その後ゆっくり上昇して、96年9月から97年6月までは8.7%で安定、その後再び低下して2000年2月には6.7%になった。

労働市場の変化はとくに低技能労働者に影響を与えた。ティーンエージャー向けのフルタイムの労働市場が崩壊し、製造業分野の衰退に伴いブルーカラー労働者の市場も著しく衰退した。これはサービス部門の成長によりある程度埋め合せられたが、同分野の雇用は圧倒的にパートタイムか臨時雇いである。実際にパートタイムの雇用の伸びはフルタイムの雇用の伸びの約3倍であった。そしてパートタイムまたは臨時雇いで働く労働力の比率は1970年から90年までの間に倍以上増え、10%から25%に変わった。これはOECD諸国の中で最も高い比率の1つであり、実際、スペインを除き、統計をとっている他の国のどこよりも高い。

したがって、労働市場は雇用の不安定化で特徴づけられている。

パートタイムの仕事は労働市場に流れ込んでくる女性が圧倒的な割合で埋めている。労働市場への女性の参加率は1961年の25%から81年までに37%に上がり、96年には42%に達した。子供の養育のためまたはパートタイムで職場に復帰したいとの希望でパートタイムで働きたい女性はこれにより恩恵を得た。しかし、同様に1986年と96年の間にもっと長時間働きたいというパートタイム労働者の比率は17%から26%に増加した。

性別による労働市場の分割は高い比率のまま継続し、女性の賃金は男性の約83%のままであるが、この格差は労働市場の「弾力化」が進むにつれて減少しつつある。

状況はさまざまであるが、所得の不均等も拡大しつつある。高所得者層、とくに上級管理職および若年の優れた技能を持ち移動性のある、いわゆる「ゴールドカラー」労働者、とくに情報技術分野の慢性的技能労働者不足で、高給がとれる者の給料は増加している。

一方、低所得者層は社会保険の低所得者層への支払いが増えているので所得は徐々に上がってきている(このことが低賃金の実態を分かりにくくしている)。労働市場における中間層の収入は減少傾向にあるが、これは確実なフルタイムの仕事が減少していることと関連している。

企業のリストラは職場に大きな変化をもたらした。下請けと外注が非常に増えた。経費削減とは労働者が速い速度でより多くの仕事をするということ、つまり「労働強化」を意味することになった。

また、これらの労働者たちの労働時間が増えて、しばしば手当がつかない時間外労働を伴うことになった。

こうした結果をもたらしたのは労使関係が根本的に変わって、これらの労働者の交渉力が低下したことにも一因がある。

2.労働市場関連情報

労働力人口
962万3800人(2000年2月)
労働力率
63.5%(2000年2月) 63.1%(1999年1月)
就業者数
890万5100人(2000年2月)
失業率
6.7%(2000年2月)

注:

  1. 1998年半ばにおけるABSの推測では失業者数は約80万であった。しかし、多数のいわゆる「潜在的失業者」(挫折を感じて求職していない者が典型)がおり、これらを考慮すれば失業者の数は200万人に近い。

出所:

  1. The Australian Bureau of Statistics,6220.0(以下の項ではABSと略記。末尾の数字はシリーズ・コード)

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1.賃金制度の概要

オーストラリアの賃金制度は非常に複雑で、過去15年間に極度の中央集権的制度からかなりの分権型へ変わる大きな変革を経た。

オーストラリアの連邦化(1901年)により強制仲裁制度が導入された。これは裁判所が賃金と労働条件を法的に強制力のある「賃金裁定」で決めるものである。

もっとも裁定の率より団体交渉の方が上回ることが往々にしてあった。強制仲裁制度というのは一旦争議が通知されると争議の当事者は委員会に出頭して「賃金裁定」という裁定を受けることを強制されるものであった。これは、弱い労組が仲裁を通して分権化された団体交渉では得られない目的を達成できることもあることを意味した。

裁定で決められた賃金、その他の労働条件は、裁定に「応じる立場にある者」(当該使用者団体の一員である使用者)に雇われている未組織労働者にも適用された。また、裁定の結果は「比較賃金の公正」の原則、すなわち同種の産業における賃金と労働条件との関係を相互に関連づけて決めようとする原則を通し、他の労組や裁定に波及していた。

裁定制度は最盛期には労働者の85%に適用されたが、過去10年間で適用率が低下した。分権化された制度の下では(1980年代後半以降)、裁定の恩恵は他の関連裁定や労組に自動的に波及しなくなった。こうして組織労働者と未組織労働者の労働条件に格差が生じることになった。

1つの傾向として(団結力の弱い)組織労働者は連邦や州の労働審判所に依存して「全国賃金裁定(National Wage Cases)」に基づいて賃上げをしようとしている。第2の傾向として顕在化しているのは、労組や非労組グループによる団体交渉(オーストラリアでは「企業内交渉(enterprise bargaining)」として知られている)で賃上げを獲得することである。

第3の傾向として「オーストラリア職場協定(Australian Workplace Agreements)」として知られる「個別契約」があるが、現在のところ労働力人口の1%未満の労働者をカバーしているに過ぎない。賃上げを裁定制度に頼る労働者は以前より少なくなる傾向にあり、結果としてオーストラリアの賃金は、ばらつきの程度を拡大しつつある。

2.最低賃金

オーストラリアには政府が定める最低賃金は存在しない。最低賃金は上記の裁定の結果を通して実質的に決定されている。連邦の最低裁定賃金、週35時間の最低賃金として労働者に払われる賃金は1999年4月の全国賃金裁定後」、385.40豪ドルである。

裁定のレートは定期的に「全国賃金裁定」を通して調整される。そこでは関係当事者(オーストラリア労働組合評議会[ACTU]、政府、使用者)がオーストラリア労使関係委員会で賃上げの効果について議論をし、委員会が裁定賃金全般の調整を行う。

3.平均賃金と賃上げ率

1999年11月におけるフルタイム労働者の平均週額基本賃金(時間外手当を除く)は763.50豪ドルであり、フルタイム労働者の平均週額賃金(諸手当を含む)は802.20豪ドルであった。

1997年12月から98年11月までの12カ月間にフルタイム労働者の平均週額基本賃金(時間外手当を除く)の上昇率は、女性の場合4.5%、男性の場合4.1%であった。

出所:

ABS,6301.0

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1.労働時間の概要

過去15年間の変化によってオーストラリアでは「正規の週労働」の概念が崩壊してしまった。以前は通常の「労働生活」とは1日8時間、週5日、年11カ月働き、65歳で引退するということであった。

この「労働生活」が基本賃金のベースと考えられ「正規の労働時間」(normal working hours)を超えて労働させると使用者にはペナルティー・レート(時間外労働手当)を支払う義務を課していた。1960年代、70年代には労働者は実質上ほとんどがフルタイムで働き、一時雇い、パートタイムの労働者の比率は非常に低かった。今や労働力人口の約3分の1しかフルタイムで働けない。実際問題としてもはや「正規の労働時間」という概念はないといえるくらいである。

労使関係の分権化の結果、団体交渉の範囲が広まって労働時間を含むようになった(「企業内交渉」への移行に伴い、労働時間は最も多く取り上げられる交渉議題の1つとなっている)。興味をひくのは「正規の労働時間」の崩壊は労組のない職場でより顕著であることである。

時間外労働はフルタイム労働者の間で増加しており、しかもその多くは時間外労働として記録されておらず、時間外労働手当が支払われていない。1990年代の多くの団体交渉で賃上げの代償として、経営者側に「時間の融通性」を与えることになった。

団体交渉の結果一般的になったのが年俸制で、経営者側は労働者に時間外労働手当なしで余分の仕事をさせることができるようになった。時間外労働手当は年俸の中に吸収されたのである。これは事実上1日の終りがない、もし仕事が終らなければ家に持ち帰る、という傾向をもたらした。

労働時間の増加は管理者や専門職、小売業従事者、港湾労働者のような特定のグループに集中している。他方、もっと長時間働きたい者の数も増加している。労働者は働き過ぎている者と、職のない者に両極化しているのである。

2.労働時間に関する法律

労働時間は裁定(労働規則)と法律の組み合わせで規制されているが、重点は裁定制度による規制におかれている。1997年職場関係法(The Workplace Relations Act)は労働時間の規制を「20の許可事項(20 allowable matters)」の1つとしているが、団体交渉が職場または企業内交渉に移行した結果、労働時間規制は明らかに緩和される方向へ進んでいる。

つぎのような事例が発生している。従来から各業種ごとに職業上の健康と安全の見地から連続して労働する時間について最長時間が規制されている。しかし、長距離トラックを運転する時間の規制の場合、過去15年間で業種別規制が実質的に企業レベルの「規制緩和」にとって替わっている

3.有給休暇の概要

有給休暇の規則も複雑である。憲法は、年次有給休暇、産休、長期兵役休暇などの有給休暇について定める権限を州に与えている。したがって、有給休暇日数などは州により異なる。加えて、有給休暇は産業別の労働条件を決める「裁定」(アワード)でも定めている。連邦や州の裁定は、法律で与えられた最低限の日数以上の休暇を取る権利を与えることができる。こうして有給休暇を取る権利は、産業、業種ごとに異なることがあり得る。裁定制度とは別に、あるいは付随して決められた協定、たとえば職場協定(Australian Workplace Agreements)で法定休暇日数以上の休暇を決めることもできる。

近年の目立った傾向は、有給休暇を取る権利を賃上げと「交換」し、有給休暇を最低日数まで減らすことである。これはまた政府の裁定による規制を「20の許可事項」に限定したいという政策に合致している。

4.年間総労働時間

1985年にオーストラリア人の平均年間総労働時間は1852時間であった。1995年にこの数字は1876時間に増えた。上述の通り、平均労働時間の増加の中には「不本意に時間外労働をしている部門」と「十分な時間働けない労働者がいる部門」の両極が内在している。

1998-99年の週平均労働時間は男性が39.2時間、女性は28.2時間であった。フルタイム労働者に限ると、男性は42.7時間、女性は37.9時間であった。

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1.労使関係概況

憲法は労使関係制度を定める権限を基本的には州に与えている。しかし、複数の州に関係する労使関係制度についての権限は連邦の労使関係委員会に与えている。各州はそれぞれ独自の労使関係制度を持っており、憲法の枠組みの中でどれだけ権限を認めるかという州政府の政策次第で規制の程度が異なる。だが、問題の範囲が純粋に「州内にとどまる」労使問題の件数が減少しているので、権限はしだいに連邦に移行している。

労働審判所は賃金および労働条件を定める「賃金裁定」を下す。「裁定」は法律的に強制力がある。

裁定制度は、裁定による利益を裁定が適用される労働者にのみ与えていた。裁定が適用される労働者とは、裁定に「応じる者」の立場にある使用者(労使関係委員会に関与している使用者団体に加盟している使用者)に雇用されている労働者のことである。

裁定は、また、「比較賃金の公正」原則に基づき、他産業の裁定、過去の裁定を参考にして決められてきた。連邦政府による改革はこの「比較賃金の公正」原則を打破し、労働条件を使用者と従業員が行う「企業内交渉」で決定する制度に移行しようと試みている。ただし「企業内交渉」結果は連邦あるいは州の労使関係委員会の承認を得る必要がある。また、「賃金裁定」制度の下では団体交渉の結果は労使関係委員会に関与している使用者団体加盟企業の未組織労働者にも適用されていた。

連邦労使関係委員会は労組を登録する権限を有している。登録されてはじめて労組は労働者代表として団体交渉の権利を行使できた。労組はこの制度に保護されていた。だが、改革(1993年労使関係改革法:Industrial Relations Reform Act)の結果、非労組グループとの交渉結果も労使関係委員会が承認することが可能となった。

1990年代における労使関係制度改革は労使関係委員会の役割を減じ、職場における問題解決を企業内交渉に委ねようとしている。この改革では、また、裁定制度を雇用に関わる包括的制度から最小限の基準を示す「安全ネット」に変えようとしている。

1997年1月に労使関係制度は職場関係(修正)法(Workplace Relations, and other Amendment, Act)が制定されて、さらに大きく変わった。同法は、個人の権利と、交渉当事者(企業の使用者と労働者)の対等な関係を最優先することを基本的考え方としている。すなわち、従来の労使関係の根底にあった「多元主義」(pluralism)を覆えすことである。この目標は一部分だけしか達成されていない。というのは、同法に基づく政府の政策が、政権政党である保守党が過半数を有しない上院で否決されたからである。

2.労働組合

仲裁制度は、労組と使用者団体の役割を極めて重要なものとする労使関係制度をもたらした。仲裁制度は労使関係法で規定され、斡旋仲裁委員会が労使紛争を終結するための決定を行うことを定めていた。したがって、斡旋仲裁委員会で果たす労組と使用者団体の役割が極めて重要であった。斡旋仲裁委の決定は、紛争の当事者以外の関係者にも波及効果を持っていた。

このような制度が労組の拡大を後押し、労組組織率は1921年までに労働力の50%に達した。不況の間は組織率の多少の低下もみられたが、1953年には65%の高水準に達した。仲裁制度に支えられた労組は、企業、職場レベルにおいてあまり活動しなかった。

組織率は80年代までは約50~55%で安定していたが、80年代後半から90年代に入って急速に低下し、86年の46%から96年8月には31%になった。

労組は組織統合を続けている。1980年代オーストラリアには約320の連邦に登録された労組があったが、現在、連邦に登録している労組に属する労働者の98%は17の大きな「複合的」産業別労組に属している。

労組の組織統合は、オーストラリア労働組合評議会(ACTU)によって推進された。ACTUは1921年に結成され、労組の95%を傘下に持つ、労組ナショナルセンターである。ACTUは1971年および81年に他の労組ナショナルセンターを吸収合併し、1983~96年の労働党政権下で大きな社会的影響力を持つ組織となった。すなわち、この時代には「アコード」(社会合意)の形で政府の政策決定について大きな影響力を行使した。

しかし、ACTUの影響力は1996年の保守党政権の出現により大幅に低下している。保守党政権は「組合主義」の政治、経済、社会における役割を減じる政策をとっている。

推定組織率
1999年8月時点で、オーストラリアの15歳以上の労働者724万4800人の28%は組合員であった。
労働争議件数
1999年には717件の争議があった。
労働損失日数
1999年12月に労働争議により失われた労働損失日数は4万900日で同年11月の14万9000日に比べ73%の減少である。1998年11月には8万3200人、12月には4万9300人の労働者が労働争議に関係した。

3.使用者団体

オーストラリアで使用者団体が組織されたのは、使用者が斡旋仲裁委員会で使用者側の利益を代表する組織を必要としたからである。この結果、規模と権威の異なる膨大な数の使用者団体が出現した。

1997年に使用者団体の全国組織としてオーストラリア産業連盟(Confederation of Australian Industry : CAI)が結成された。しかし、1983年に別の全国組織としてオーストラリア商業協議会(Business Council of Australia : BCA)がつくられ、主に金融と鉱山部門の大企業を代表するようになった。

オーストラリアの使用者代表は1980年代を通して分裂を続け、いくつかの分離派、1987年に金属貿易産業組合(Metal Trade Industry Association : MTIA)、1989年にオーストラリア製造業者会議所(Australian Chamber of Manufacturers : ACM)が結成された。さらに、1992年にCAIとオーストラリア商工会議所が統一し、新しい組織としてオーストラリア商工会議所(Australian Chamber of Commerce and Industry : ACCI)がつくられた。これらの使用者団体は政府の政策決定に大きな影響力を持っている。

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1.労働政策の概況

労働政策には州と連邦の2つのレベルがある。憲法は原則的には労使関係に関する権限を州に与えている。ただし、2つ以上の州にまたがる問題は連邦に権限がある。各々の州に独自の労使関係委員会があり、また労働問題を処理し労働政策を策定する機関がある。したがって、州と連邦の労働政策には、時の政権政党の政策によって、大きな違いがみられることがある。連邦と州で政権政党が異なる場合、管轄権が連邦と州で重複している事項について問題が生じる可能性がある。労組は情勢をみながら、時には州の仲裁から連邦の仲裁に変えることを求めたり、あるいはその逆を求めるケースもみられる。

労使関係の分権化が行われ、企業の当事者(経営者および労働者)は、労働条件を連邦や州の労使関係委員会、裁定制度に頼らずに決めることにより、より大きい役割を果たすようになった。

すなわち、この事実は裁定制度の機能が労組や非労組グループの団体交渉に置き換えられつつあることを意味する。また、連邦政府は集団的労働協約に代わる個別の労働協約が可能になるよう努めている。過去10年ほどの間、保守党は自由市場改革を労働党よりも大きな情熱をもって追求してきた。連邦で保守党政府が出現し「自由市場」の刷新が広がると、保守党政権の州では労使関係権限を連邦に移管する可能性の検討を始め、ビクトリア州ではそれを実施に移した。この政策は個人の権利と自由に焦点を当て、労働市場の細分化、新しい形の雇用、職場の改革を意図している。

2.労働関連行政機関

連邦と州は類似の行政機構を持っている。もちろん憲法で決められた範囲内で、連邦の領域は広い。したがって、以下の解説は連邦機関に重点をおく。なぜなら州機関は概ね連邦を模しているからである。労使関係委員会については既に別項で説明した。他の主な関連機関はつぎの2つである。

  • 職場関係・小企業省(Department of Workplace Relations and Small Business : DWRSB)
  • 雇用・訓練・青少年問題省(Department of Employment, Training and Youth Affairs : DETYA)

職場関係・小企業省には調査・政策立案の担当官がいて職場関係・小企業大臣に意見を具申する(「小企業」は1998年10月の選挙の後、権限が追加された)。同省は労働関係の諸問題も扱う。

雇用・訓練・青少年問題省は雇用政策と訓練政策を主な仕事としているが、両政策は1990年代の初めに前労働党政権が行った改革以降、密接なものになっている(1998年の選挙後に省の管掌が変更される前は、「教育」も同省の管轄であった)。

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1.労働災害の概況

労働安全に関する1995年の調査によればオーストラリアで年間約500人の労働災害による死亡があり、また年間約2200人が労働関係の疾病で死亡している。しかし、オーストラリア統計局の1993年の調査では労働災害のうち43%しか報告されていない。労働関連の負傷および死亡者の信頼できる統計は、雇用形態が多様化し、データ収集が困難になっている。

2.労働災害補償制度の概要

安全衛生に関する規則は、これも憲法による連邦政府の権限制約により、州レベルで策定される。このため連邦政府は調整的役割を果たそうとしている。

「労働安全オーストラリア」(Worksafe Australia)として知られる労働安全衛生を掌る連邦機関がある。それは1985年連邦労働安全衛生委員会法(Federal Occupational Health and Safety Commission Act)により設立された3つの機関、すなわち全国労働安全衛生事務所(National Occupational Health and Safety Office : 政策検討機関)、全国労働安全衛生委員会(National Occupational Health and Safety Commission : 政策実施機関)、全国労働安全衛生研究所(National Institute of Occupational Health and Safety : 調査研究機関)が設置された。

労働安全衛生に関する法律は労使関係の法律とは別体系になっているが、これはオーストラリアの労働安全衛生にとって問題とみられている。各州には州の労働安全衛生法、労働者補償制度がある。このように州には危険を防止するための法令があり、それらは州によって必ずしも一貫していない。大部分の州は職場に安全衛生委員会を設け、訓練された職場の安全衛生代表者をおいている。補償制度も州によって異なるが、すべて使用者に労働災害補償保険の保険料支払いを義務づけている。

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1.社会保険

オーストラリアには社会保険の伝統はない。福祉制度は政策の下で保証される「全般的」権利、たとえば健康、教育および失業手当などと同様、税金で賄われる制度のひとつである。福祉制度は州の管轄であるにもかかわらず、税金は連邦政府によって徴収され、州に配分される。この結果、連邦はその意向を十分に州の政策に反映できる。福祉政策は過去20年間、次第に制限的になってきている。福祉手当の支給対象規則は細分化され、支給対象者数は少なくなっている。例外は「家族給付金制度」で、これは家族収入が一定水準に達しない家族に給付金を支給するものである。

失業給付は「活動審査」の概念を取り入れるようになってきた。活動審査とは失業者が失業給付を受けるために、何らかの活動を要求されることである。活動には、単なる職探しから、「失業給付のために働く」(失業給付を受ける条件として何時間か働く)までの幅がある。これは、失業者に職業訓練を受けさせようとする政策でる。最近の連邦政府の政策によると、失業者にある程度の「読み書き能力」をつけさせようとしており、ある水準に達するまで教室に出させるか、そうでない場合は失業給付の一部を没収している。そのほかたとえば片親世帯に対する給付など、さまざまな給付が用意されている。18歳未満を対象とした「一般子ども手当」もある。雇用に基づいた主な社会保険としては労災補償と老齢年金がある。使用者は以前から労災被害者に補償を行うために保険金の支払いを義務づけられている。1980年代半ば以降、政府は一般歳入からの退職金支給負担を軽減しようとして、「自己積立による退職」を奨励してきた。労働者の拠出金は個人年金口座に払い込まれ、それを年金基金が運用管理し、退職時に本人に支給される。これには使用者も拠出しなければならない。

2.人的資源開発、教育訓練

歴史的に大部分の職業訓練は「見習」制度によって与えられ、それは裁定で管理されていた。この制度の下で見習労働者は熟練労働者の下で長期間(たとえば4年)の訓練を受け、特定の職業の認定書を得ていた。例としては電気工、金属加工、配管工などがある。管理者教育は、主として企業内で行われ、組織的ではなかった(これは取得した資格が他の企業では有用とされないという問題を引き起こした)。

過去15年間にオーストラリアの訓練制度には大きな変化があった。オーストラリアの主な問題は不況のため、訓練に十分投資されなかったことである。

1980年代後半から法定制度を設け、使用者が産業または全国レベルにおける技能形成のため割当金を支払い、その資金を訓練に用いることが試行された。これが1990年「訓練割当金」(Training Guarantee Levy)で1994年に廃止された。それ以降引き続いて訓練制度の改革があったが、基本的には訓練費用を出したくない使用者と熟練労働者不足を克服する必要性との調和を模索したものであった。また、使用者は自分の企業に直接役立つ訓練を必要とし、これができないと公共訓練施設を批判してきた。

改革の過程で、訓練方法や訓練の結果ができるだけ多くの産業で共通することを目指したシステムが模索され、結果として訓練の「市場化」が進んでいる。全国的訓練機関として事実上、独占的な地位を占めていた「技術継続教育機関」(Technical and Further Education System)を廃し、多くの訓練機関が競争できるようになっている。管理者の教育と訓練についても同様の改革が進んでいる。こうした改革は労使関係の分権化と併行して起きている。現行の訓練制度は、適切な技能を提供できず熟練技術者不足を招いていると批判されている。また、使用者は監督が不十分でも訓練補助金が得ることができ、補助金が乱用され、訓練受講者は適切な訓練を受けていないという批判もある。現在、上院では「全国訓練枠組み」(National Training Framework)が審議されており、クイーンズランド州とタスマニア州では州レベルで審議された。さらに、主要な全国訓練機関である「オーストラリア全国訓練機関」(Australian National Training Authority)も独自に内部で検討作業を行っている。

参考資料:

主な情報源は、オーストラリア統計局(Australian Bureau of Statistics: ABS)である。その他の資料は、下記の通り。

  1. Bamber, G. and R. Lansbury(eds), International and Comparative Employment Relations:A Study of Industrialised Market Economies, 1998, Sydney : Allen and Unwin, 3rd Edition
  2. Australia Centre for Industrial Relations Research and Training, Australia at Work : Just Managing, 1999, Sydney : Prentice Hall
  3. Hampson, I. and D. Morgan, Continuity and Change in Australian Industrial Relations : Recent Developments Relations Industrielles, Winter, 1998
  4. Gardner, M. and G. Palmer, Employment Relations : Industrial Relations and Human Resource Management in Australia : Australia, 1997, Macmillan, second edition, ch. 16

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