走り出す電車に向かって

調査員  山崎 憲

走り出す電車に向かって、背広姿の男たちがバンザイ三唱を繰り返す。子供のころに見た忘れられない風景の一つです。

会社員か公務員かわかりませんが、家族と一緒に同僚に別れを告げ、同僚からは激励の言葉が返され、バンザイ三唱で送り出される。この風景はかつて、日本中のどのターミナル駅でも見られた風景だったと思います。音頭役のバンザイ屋という人までいたということです。

実のところ、私はこの慣習があまり好きではありませんでした。転勤時のバンザイ三唱に出会うたび、バンザイをしている人たちは他に約束がなかったのだろうか、とか、みんな自分からすすんできているのだろうか、と感じていました。プライベートを大事にするという漠然としたイメージで欧米企業の働き方に憧れを持つようになりました。

現在ではもはや転勤時のバンザイ三唱を目にすることはなくなりました。バブル期、就職氷河期と経て、仕事よりも生活を重視する人が増え、上司と部下といった従業員同士のコミュニケーションが円滑に行われなくなっているのではないかという声も聞かれるようになりました。そんな中で、職場を離れて部下を飲みにつれていくことで社内のコミュニケーションを促進させる「部下手当」を創設する会社も現れています。ところで、かつて憧れていた欧米企業の働き方ですが、同好会や慈善活動、スポーツなど同僚や家族を交えたプライベートな交流が盛んであり、企業側も奨励しているという米国企業の実態も徐々に目にするようになってきました。かつて訪れたことがある自動車工場の壁には思い思いのサークル活動のポスターが張られていましたし、米国人の同僚が仕事帰りに会社近くのバーで杯を交わす光景も何度も出くわしました。

2007年7月に労働政策研究・研修機構が行った「職場におけるコミュニケーションの状況と従業員の苦情、不満の解決に関する調査」では、従業員の苦情、不満をどのように企業が把握、解決しているのかについて、企業、従業員の双方に聞きました。この調査では、企業が職場内に、相談窓口や苦情処理委員会といった制度を設けていることや、上司、同僚への相談などのインフォーマルな方法などの状況がわかりました。その中で、6割の企業が上司の役割に期待している一方、上司のうちの半数が企業から正式な役割を与えられていないと感じています。

「転勤時のバンザイ三唱」のようにプライベートを含めた従業員間のコミュニケーションを暗黙に強制するのか、「部下手当」のようにプライベートでのコミュニケーションを制度化するのか、米国企業のようにプライベートの交流を奨励するのか、職場内のコミュニケーションや従業員の苦情や不満の把握、解決のための方策を社内に制度化するのかなど、いろいろな方法が行われています。

たいていの人は、一日のうちのかなりの時間、場合によっては家族と過ごすよりも長い時間を同僚や上司と過ごしているだろうと思います。その一方で、過労死やメンタルヘルスといった職場をめぐる問題が後を絶ちません。企業からみれば、上司、部下、同僚、部門、それぞれの間に濃密な情報交換が行われることが効率的な経営を行うために有効でしょう。働く一人一人の側からすれば、円滑なコミュニケーションが行われることが仕事や円滑な人間関係を作る上で有効だと思います。

昭和40年の映画に「日本一のゴマすり男」があります。「ゴマすりをしない」実力主義を信条としていた主人公は、出勤初日に壁にぶつかり、「日本一のゴマすり男」になることをあっさりと宣言します。それからは、休日返上で上司の釣りや引っ越し、掃除の手伝いに奔走するなかで仕事を成功させていきます。上司に「ゴマをすること」の是非は置いておくとして、コミュニケーションの円滑さと濃密な情報交換が仕事の成功に役立つというサラリーマンの姿を描いた映画でしたが、これには、結婚した社長の娘が浪費家で家庭生活が破たんするというオチがついています。

ところで、「転勤時のバンザイ三唱」を行っていた企業のようにプライベートまで含めた濃密な情報交換を行う企業と、公私の別をきちんとつけている企業と、業種や産業の違いはあるのでしょうが、どちらが市場競争力のある経営を行うことができるのでしょう。興味は尽きません。仕事と生活のバランス、職場のコミュニケーション、メンタルヘルス、さらには市場競争力のある経営を実現する組織力などの間のどこに力点を置き、どこで均衡させればよいのか、それぞれの働き方とあわせて、最大公約数としての幸せの形に答えが出せたら良いと思います。

(2008年 5月 9日掲載)