英国の移民問題―「過去」と「現在」

調査員  樋口 英夫

最近のイギリスで、注目すべき労働問題を挙げるとすれば、移民労働者をめぐる動向は間違いなくその一つに入るだろう。この 10年間にイギリスにやってきた移民は 100万人とも 200万人ともいわれ、特にここ数年の東欧諸国からの移民急増が国内で大きな論議を呼んでいる[1]。国民の関心の高まりを反映して、新聞などのメディアでも関連の報道が絶えないが、その内容は様々だ。一方で、悪質な雇い主による移民の搾取の状況が報じられれば、他方では、移民労働者に職を奪われた人々の苦境や、公共サービス(住宅・教育・医療・社会保障制度など)への移民の「寄生」に対する批判、あるいは移民の増加が治安を悪化させていると主張するものもある。そして、このような混乱を招いた政府に非難が集中する、といった具合だ。

恐らく日々の報道から受ける混沌とした印象は、移民の側の多様な在り方という以上に、受け入れる側の様々な視点や考え方の違いを反映したものだろう。イギリス人の眼には、現在の状況はどのように映っているのだろうか、という素朴な疑問が湧く。

旧植民地からの移民

他の多くの先進国の例に洩れず、イギリスにとっても移民受け入れとこれに伴う問題には、長い歴史がある。 20世紀以降に絞っても、とりわけ戦後の復興期には、労働力不足の緩和を目的として、旧植民地からのカリブ系やインド系移民が多く受け入れられ、イギリス経済の成長の一端を担ってきた。大量の移民の流入とその子孫の増加により、イギリスの社会は多民族・多文化化が進んだといわれるが、これに伴う社会的な摩擦は決して小さくなかった。

現在は、恐らく映画のタイトルでよく知られるロンドン西部のノッティングヒルで、イギリス人とカリブ系移民の争いが大規模な暴動に発展するという事件があったのは、ちょうど 50年前の 1958年だ。当時、カリブ系住民が多く住んでいた同地に、反移民を標榜する白人労働者階級の若者集団のメンバー 400人あまりが集結し、地域の黒人に対する暴行などの破壊行為を展開した。地域住民がこれに対抗して、抗争は断続的に2週間あまりにも及び、多くの死傷者が生じる惨事となった[2]

その 10年後の 68年、ある保守党議員が行った「血の河」(Rivers of Blood)と呼ばれる演説がイギリス国内ではいまだに記憶されているらしい。イギリスで初めての差別禁止法制といわれる 1965年人種関係法の制定とその改正( 68年)をうけて行われたこの演説は、急増する移民にイギリスが乗っ取られかねないという危機感をあおる内容だった。いわく、移民(ここでは「黒人」)は今後ますます増加して、反社会的な行動で国内の秩序を乱すであろう、と。こういった状況が、人種間の激しい対立を招き、「血の河」が流れるだろうと予言して締めくくるこの演説は、白人労働者階級を中心とする多くのイギリス人に支持されたという。

そして実際、有色人種の増加とこれに伴う人種間の摩擦の激化については、この演説の予言が的中した。 70年代末から 80年代半ばを中心に、それまで忘れられていたとみえた人種対立を核とする大小の暴動が、ロンドン、リバプール、マンチェスターなどの大都市をはじめ、イギリス各地で頻発している。暴動の多くは主として黒人の若者(多くは移民二世)が引き起こしたもので、直接的には地域の警察による有色人種への差別的な扱いに対する反発の形とることが多かったようだが、背景にはマイノリティの間での著しい貧困や失業、また一部の白人による暴力や嫌がらせが絶えないなどの状況があり、有色人種の間に鬱積した不満がこれらの暴動を招いたといえる。

こういった暴動は 90年代以降、再び下火になっているようではあるが、依然、消滅したわけではない。このことは、差別禁止法制の拡充や自治体・コミュニティなどでの取り組みにもかかわらず、依然として有色人種が相対的に不利な立場に置かれている現状を反映している。

新たに白人の移民

イギリスで移民問題が議論される際に念頭に置かれているのは、恐らく今日に至るまで長きにわたって人々が直面してきたこのような状況なのだろう。

ただし、現在関心を集めている移民問題は、これまでとは若干性質が異なるように見える。思いつくままにポイントを挙げるなら、ひとつには、戦後からこれまでの移民問題はほぼ有色人種に関するものだったが、このところ増加している東欧などからの移民はほとんどが白人で、また非常におおざっぱにいえば、文化的・宗教的背景も似通っている。このことは、問題が人種間対立として顕在化しにくいということと同時に、白人労働者階級との間の代替可能性の高さにもつながっていると考えられる(事実、東欧からの労働者は勤勉さなどで評価が高い)。二つ目に、しかし、彼らは過去に「イギリスの一部」だった旧植民地などからの移民とは違って、いわば文字通りの「外国人」といえる。とりわけ、英語になじみのない人々が多いという点が、これまで外国人をさほど受け入れてこなかった地方都市などでの対応を困難にしている状況がみられる。三つ目に、この状況を生み出しているのは、自国政府の選択もさりながら、いわばEUからの外圧によるものであることだ。EUに対する違和感を主張する層はイギリスに根強く、移民問題に関連したEU批判も折にふれて目にする。

新たな種類の移民の拡大が、これまでと同様に摩擦の種になり得るかは、今のところ判然としない。ただ、昨年のアメリカにおける金融危機のあおりをうけて、イギリス経済の成長は鈍化すると見込まれており、これに伴って雇用情勢も大幅に悪化するとの予測もある。経済状況の悪化は、摩擦の激化につながる可能性をはらんでいる。

(2008年 4月 23日掲載)


[脚注]

  1. ^ 民間調査会社のMORIが、毎年実施している意識調査( Ipsos MORI Political Monitor )によれば、イギリスが直面する重要課題として人種・移民問題を挙げる層は、1998年の 4%から 2008年には40%と急激に増えているという。ちなみに 98年調査で回答が多かったのは国民保健サービス( 42%)と教育( 37%)で、これが 2008年調査では犯罪・治安( 47%)と人種・移民問題に置き換わったかたちだ。また、同社が昨年行った移民制度に関する意識調査でも、移民制度を厳しくすべきとの意見が大半を占めている。ただし一方で、半数近くは「移民はイギリスにとって有益」とも回答、また多様化を積極的に評価する意見も多く、イギリス人の複雑な心境がうかがえる。
  2. ^ 同地域ではこの後、人種間対立の緩和と移民のアイデンティティの確立を目指したストリート・フェスティバルが60年代半ばから開催されるようになり、これが今日、欧州でも最大規模といわれるまでに発展している。