解雇の有効性を裁判所で争うということ

研究員 平澤 純子

大学で受講した労働法の授業で最初に出てきた判例は、確か採用内定取消の判例として有名な大日本印刷事件最高裁判決だったと思う。社会学部の学生だったせいか、私が関心をもったのは、その判断枠組みではなく、この裁判で勝訴した人がその後この会社に入ったのか、なぜ裁判という厳しい選択をしたのかということだった。その関心は私の研究テーマとなり、これまでに幾度か、解雇の効力を裁判所で争った人たちを対象とする追跡調査[1]を行う機会を得てきた。

訴訟を提起する動機

訴訟を提起した動機を尋ねてみると、その高裁判決が整理解雇の判例として有名なある事件の当事者は、「会社が本当に誠実に、解雇をしないで何とか処理しようと」努めていたら裁判にはならなかっただろうと述べていた。また、雇止めの判例として有名な最高裁判決の当事者は、当時は欲を言わなければ他に就職先はあったが、「人格を否定されたような気が」して、泣き寝入りはしたくないと訴訟を提起したと言っている。このように解雇された理由(が判然としないこと)や、解雇のしかたに納得がいかないとか、そのことに対する怒りを動機として挙げる人が多い。

裁判を継続するということ

強い動機のもとに覚悟を決めて訴訟を提起しても、解雇無効判決を得るとか、職場に復帰するとか、訴訟提起のときに目指していた結果に到達する前にくじけそうになったことがあるという訴訟当事者は少なくない。ある被解雇者は、たとえ裁判にもちこんでも、負けるはずがないと思っていたが、途中、何度か、勝訴して職場に復帰しようとの意志が揺らいだことがあったとふり返る。しかし、その人は、他の裁判で敗訴する人をみて、その人たちのためにも、「裁判に勝ち、職場に復帰して勤め続けることが自分の使命だ」と考え、そして当初の目的を果たした。

「使命」やそれに類する言葉を耳にしたことは他にもあった。例えば、ある被解雇者は反対尋問の予行演習では質問にうまく答えられなかったが、自分が勝訴すべきことになっているのであれば、必ずうまくいくはずだと信じて本番に臨んだら、実際にうまくいったと言う。その人は、あえて2年間会社と争い、職場に復帰したことには、一個人を超えた何らかの意義がある、これは天からの指示だと考えている旨を述べた。

解雇の有効性を裁判所で争うということ

「使命」や天からの指示という言葉が発せられた文脈を十分説明する紙幅がないので、やや大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、これらはなんとなく口をついて出るという種類の言葉ではない。おそらく事件の当事者は、想像以上に厳しい裁判を続けるためにも、周囲に支援を訴えるためにも、裁判で争う意義を熟考せざるをえなかったはずである。これらの言葉はそうした思考の結果の発露なのであろう。

裁判を美化する意図はないが、追跡調査を重ねていると、世の中の一定の割合の者が裁判という厳しい試練を担うようにできていると思うことがある。訴訟提起という選択肢を選び取る人がいなければ判例は生まれないし、判例法理の発展もなかったはずである。そう考えると、「使命」や天からの指示という言葉は理解できるような気がする。

(2005年11月24日掲載)


  1. ^ [追跡調査]
    ・労働政策研究・研修機構(資料シリーズNo.4)『解雇無効判決後の原職復帰の状況に関する調査研究』2005年。
    ・今井亮一・江口匡太・奥野寿・川口大司・神林龍・原昌登・平澤純子「整理解雇法理と経済活動(2)」の筆者担当部分「1980年代に裁判が終結した四つの事例調査」。雇用・能力開発機構、統計研究会編『経済社会の構造変化と労働市場に関する調査研究報告書』2005年所収。