制裁か救済か

本コラムは、当機構の研究員等が普段の調査研究業務の中で考えていることを自由に書いたものです。
コラムの内容は執筆者個人の意見を表すものであり、当機構の見解を示すものではありません。

調査員 樋口 英夫

イギリスでは近年、フードバンクの利用者が急激に増加しているらしい。非営利団体などが、企業や個人などの寄付を受けて、困窮した人々に無料で数日分の食糧を提供するサービスだ。全国でこのサービスを運営する代表的な非営利組織、トラッセル・トラストのフードバンクに限っても、年間ののべ利用者数は2009年度の4万人から、2014年度には108万人に膨れ上がっている。サービスは誰にでも提供されるものではなく、一般的にはフードバンクと提携する医師やソーシャルワーカーなどが、サービスを受ける必要があると判断した困窮者をフードバンクに紹介する方式をとる。生活困窮者が5年で27倍になったということもないだろうが、それにしても、他人が見て「今日明日の食糧すら確保できない」とわかるような人々が、増えているということだ。

何が起きているのか。

原因の一端は、社会保障給付制度にあるようだ。トラッセル・トラストによれば、利用者の44%が失業者や就労困難者向けの給付の支給遅滞や停止、減額の影響を理由に挙げている注1)。これには、歳出削減策の一環として政府がここ数年実施してきた制度改革が影響しているとみられている。「小さな政府」への志向から、給付支出の削減を図って相次いで導入されてきた支給対象者や支給額の削減・抑制策により、低所得層の間では、日々の生活費はもとより家賃すら払えずに住む場所を失ったり、税金が払えずに裁判に引っ張り出される人々も出ている、と現地メディアは伝えている。

中でも影響が大きいと考えられるのが、受給者に対する制裁措置だ。給付受給者には、受給の条件としてジョブセンター・プラス(公共職業紹介機関)での定期的な面談や求職活動、支援プログラムへの参加が義務付けられており、これを怠ったと判断された場合、一定期間、給付の支給が停止される。この件数が、2010年の保守・自民連立政権の成立と前後して目に見えて増加している。2012年の制度改正で、ひとたび適用されれば最低でも4週間は給付が停止されることとなり注2)、給付でぎりぎりの生活をしている人々が、突然1カ月間収入が途絶えるというのは、文字通り死活問題に関わる。

そこまで困ったら、さすがに誰でも働かざるを得ないはずだ、あるいはそうした状況に陥らないように職探しをするに違いない、というのが政府の意図なのだろう。ここには、彼等は働く気がないから働かないのだ、という前提が見え隠れしている。もっといえば、政策目標はひとえに受給者数の削減なのだから、給付から離脱しさえすれば、働いていようがいまいが関知しない、ということかも知れない注3)。フードバンク利用者の増加については、給付制度改革との間の明確な関連性を示すエビデンスはない、というのが政府の立場だ注4)

当然ながら、懐疑的な意見はある。例えば、制裁措置は受給者の削減には役立っても、就業促進の効果は上げていないのではないか、またこのところの件数の急増は、受給者数削減のためにやみくもに適用しているのではないか、など。

制裁措置を受けた59歳の求職者手当受給者が、金銭的困窮の末に持病が悪化し、2013年に死亡したケースがあった注5)。制裁措置の運用実態の検証を求める遺族が、20万人あまりの署名を集めたことを受けて、議会の雇用年金委員会が問題として取り上げるに至った。委員会には、幅広い関係者からの証言が寄せられたが、その大半は、制裁措置自体には一定の意義を認めつつも、現状の制度運用に疑問を呈する内容だった。

例えば、ジョブセンター・プラスの元アドバイザー(支援担当者)は、受給者の削減という政策目標を優先するあまり、アドバイザーには制裁措置の適用件数・比率の引き上げが強く求められていた、と報告している。このため、連日の面談や数多くのプログラムへの参加を義務付け、受給者に不便な状況を作り出してミスを誘ったり、挑発するなどの手法が奨励され、またささいな理由を取り上げて制裁措置の対象としたり、果ては学習困難者など制裁措置の対象としやすい求職者を手続き上の失敗に誘導するといった手段まで使われていたという。また、受給者の支援に関わる地方自治体や失業者支援の業界団体などからも、制裁措置による求職者の経済的な困窮は、むしろ求職活動の妨げになっている場合もあるといった指摘がなされた注6)

こうしたことはしかし、政府の評判には必ずしも響かないらしい。今年5月の総選挙では、保守党が過半数以上の議席を獲得して18年ぶりの単独政権の座についた。前政権下で繰り返された、給付制度や受給者に関するネガティブ・キャンペーン(怠惰な受給者が勤勉な人々に負担を強いている、等々)が、それなりに浸透したということもあるかもしれない。もはや連立相手からの横槍もなく、政府は選挙公約に掲げたさらなる給付削減策の実施に大いに意欲を示している。受給者に対する制裁措置もさりながら、新たな削減策はさらに歩を進めて、働いてはいるが低所得の世帯に対する給付(税額控除など)が新たなターゲットとなっている注7)

飢えれば働くか、よりもむしろ、働いても飢えるのか、が問題となりつつあるのかもしれない。トラッセル・トラストは、不安定雇用や低賃金、生活費の上昇などの困難に直面して、就労しながらフードバンクに頼らざるを得ない利用者が増加しつつある状況を訴える。今のところその声はかき消されたまま、フードバンクの無料の食糧配給に並ぶ人の列だけが延びていく。

[注]

  1. いずれも2014年度。このほか、22%が「低収入」、つまり就労や社会保障給付から得られる収入が低く、生活を維持できないことを理由に挙げており、この層が近年顕著に増加しているという(以下、借金や失業、ホームレス状態、病気などが各数パーセント)。
  2. 従来の1~26週間から、違反内容や回数によって4~152週間となった。
  3. 雇用年金省における失業者・就労困難者支援に関する事業の達成目標は、従来の就職率や支援実績といった多様な指標から、2011年に申請者の給付離脱率に簡素化された。
  4. 社会保障給付担当相は、むしろフードバンク利用者の増加はフードバンク自体の増加による可能性を示唆、無料で得られる食糧に対しては、ほぼ無限大の需要があることは明らかだ、と述べている。
  5. 死亡した受給者は、29年間就労した後、仕事を辞めて認知症の母親の介護にあたった。数年前に母親が亡くなったため、再就職に向けてワーク・プログラムに参加していたが、面談に欠席したことを理由に給付を停止された。結果として、慢性的に患っていた糖尿病に必要な薬剤の保蔵に必要な冷蔵庫の電気代が支払えず、給付の停止から2週間後に病状の悪化が原因で死亡した(食事もとっていなかったという)。
  6. 一連の証言などをもとに委員会がとりまとめた報告書も、制裁措置自体の必要性を認めた上で、公正な運用や対象者の状況に対する配慮など、現行制度の欠陥を指摘し、多岐にわたる見直しを提言した。就労促進の効果についても、異なるアプローチの可能性を含め、改めて検証を行うことを求めた。政府からは、未だに報告書への回答は示されていない。
  7. 政府は、並行して減税策や最低賃金額の大幅な引き上げなどを実施することで、「より高い賃金、より低い税、より低い給付」を実現するとの目標を掲げている。しかし、低所得層に対する給付削減の埋め合わせには到底ならなそうだ、との予測が専らだ。

[参考資料]

Gov.uk、UK Parliament、Trussell Trust、BBC、The Guardian、Independent ほか各ウェブサイト

(2015年10月6日掲載)