シュムペーターとケインズ:理論構築の「先見性」と「革新性」

統括研究員 梅澤 眞一

J.A.シュムペーターの著書に『経済分析の歴史』(1954年)という大著がある。シュムペーターと言うと、歴史を非常に大事にした経済学者として有名であるが、この著書を読むと、彼が同時にいかに理論を重視していたか(どういう理論で分析するか)を知る。経済現象の分析を仕事としている端くれとして、大事にしなければならない姿勢と考える。シュムペーターが注目した理論には、重農主義者、自然法思想、アダム・スミス、そして限界革命など社会科学(あるいは経済学)史上、非常に重要な理論や人物が名を連ねている(注)

シュムペーターは、幼児期「アンファン・テリーブル」(仏語で「すごい子供」という意味)と言われたというが、学者としても極めて早熟であった。弱冠25歳にして『理論経済学の本質と主要内容』(1908年)で彗星のごとくデビューした。この著書では、静態的な視点から理論を展開し(今でいうミクロ経済理論)、彼が師と仰いだとされるワルラスの一般均衡分析の科学性を非常に高く評価したが、私が注目したいのはその時すでに、「しかし資本主義経済の本質はその動態的な点にある」として、次の著書に向けた理論的ビジョンを示唆していたことである。言うまでもない、不朽の名著『経済発展の理論』(1912年)である。新機軸・革新による創造的破壊こそ資本主義経済の原動力であり、そうした動態的変動こそ資本主義の本質であるとする、シュムペーターの名のもとに余りに有名なこの理論は、その時すでに、その着想は確立されていた。

この点で、同い年のJ.M.ケインズの理論変遷は対照的でとても興味深い。周知の通り、ケインズの理論は『貨幣改革論』(1923年)から『貨幣論』(1930、32年)、そして『一般理論』(1936年)へと大きく変わっていった。『一般理論』は実に彼が53歳の時の著作である。ただし、ケインズには一貫して流れていた姿勢があったと考える。行政官として現実をするどく見通す視点があった。第一次大戦後の講和会議で、戦勝各国がドイツに対して余りに高い賠償金を課したことを批判した『平和の経済的帰結』(1919年)や、戦後、金本位制に戦前平価で復帰しようとした時の政権に対して、その壊滅的なデフレ的影響を理由に大反対した『チャーチル氏の経済的帰結』(1925年)などは、ケインズならではの著書と思う。こうした姿勢こそ、理論を常に批判的に眺める原点になっていたのではないか。周知のように、ケインズは「経済学者や政治思想家の考えは、正しいものであれ誤ったものであれ、一般に考えられているよりもはるかに強力である。」として、古典派経済学の枠組みに縛られていた専門の経済学者に向けて『一般理論』を刊行した。これは変遷性とは言うまい。正に革命である。ケインズもシュムペーターとは別の形で、理論を重視する人であったと痛感する。

労働経済学をはじめ広く労働問題に係る研究は、高度に応用経済学であり、あるいは高度に実証的であることを重視するため、一見これと事情が異なるようにも見えるが、実際にはそうやって理論構築をしているわけで、理論が重要であることには全く違いはないと考える。経済分析を仕事とする人間として、2人の大学者からそうした姿勢を改めて学びたい。

(注) さらにマルクスについて、その理論は別として、資本主義経済に対するビジョンを彼は非常に高く評価した。シュムペーターからは、ビジョンを大事にする姿勢も学ぶべきと考える。

(2014年3月28日掲載)