"Tarif 【タリフ】"から始まる物語

主任調査員 吉田 和央

職場で、ひょんなことから「ドイツ語みたいなんですが、"Tarifrecht"って何ですか?」と聞かれた。恥ずかしながら労働法の専門家でもなく、また最近とあるドイツ語の講座で議論された"Menschenrecht"(人権。Menschenは人間、Rechtは権利の意)が印象に残っていたため、まず"…recht 【レヒト】"の部分を「権利」と思い、賃金などについての権利のようなものではないかと答えてしまった。正確には、ここでの"Recht"は「法」の意味であり、たとえば「労働法」は"Arbeitsrecht"である(他に法律を意味する"Gesetz"という言葉もあるのでややこしい)。直後に辞書(小学館『独和大辞典』)を引いたうえで「賃金と労働条件に関する法」であると訂正した。

さて、辞書の当該ページを眺めていると、"Tarif"を頭にもつ複合名詞が数多く出ている。この語自体は英語の"tariff"とほぼ同義で、料金表や税率表などを意味する。しかし、ドイツ語ではこれを賃金(表、水準)や賃金決定要素となる労働条件の総称としてとらえる用法が目立つ。"Tarifpolitik"(賃金政策)や"Tarifvertrag"(賃金協約。"Vertrag 【フェアトラーク】"は契約、協定などを意味)といった使われ方だ。

このように労働の世界で、しかも重要な概念に"Tarif"が用いられるのは―ここからは専ら筆者の私見だが―賃金・労働条件が、強く契約と結びついており、賃金(およびそれを規定する諸条件)のテーブルを料金表(物品の価格、運賃、郵送料など)と同様に扱う社会の姿の表れではないかと思われる…という、考えようによっては当たり前の結論だ。労使はともにテーブルに定める諸条件について交渉し、決めた約束を守り、人間なので労働力をモノ、カネなどと同列には扱わないという要素も労働条件に織り込んで運用していく、ざっくり言えばそういう概念である。

"Tarif"に書いてある賃金・労働条件はこのように労使の取り決めによって定められた約束事なのだから、たとえば労働時間や休暇の規定はきちんと守られる。日本と比べれば、かの国の「サービス残業」は少ないだろうし、年間5~6週間が常識の有給休暇もほぼ取り残しはないであろう。日本において取り沙汰される「ブラック企業」のごとき存在も、目立つ形では成り立ちにくいだろう。

想像には取りとめがないので、最後に、職業について少しだけ。職種やそれに関する職業資格は、賃金・労働条件を決める重要な要素といえる。ドイツにおける職業教育や資格制度はとみに有名だが、その社会的インフラが整っているからこそ、より公平で透明性の高い"Tarif"を形成していくことが可能になっているのではないか。もちろんテクノロジーの発達やいわゆるグローバリゼーションの影響で、職業政策には不断のメンテナンスが欠かせないだろうけれど。昨今の「限定正社員」をめぐる論議で、職種限定型(?)も想定されているが、労使双方が認める、職業・職種に関する広汎かつ通用度の高い社会的インフラ(再教育・訓練によるキャリア展開の可能性も含めて)の確立が不可欠なのではないか、しかしその構築にはかなりの時間とコストを要するのではないか…などと夢想した次第である。

(2013年8月16日掲載)