「労働のある」コーポラティズム(1)って?

研究員 西村 純

何かのご縁で、大学院博士課程時代の研究テーマは、スウェーデンの労使関係だった。人からは「ニッチな分野を攻めたね」とよく言われる。労使関係というテーマ自体が、研究の主流から外れつつあることに加えて、対象とする国もスウェーデン。確かに、ニッチ中のニッチである。自分自身、まさかこのテーマで研究を行うことになるとは、大学院入学時には想像もしていなかった。縁というのは不思議なものである。

日本は、「労働なきコーポラティズム」と言われている 。では、逆に「コーポラティズム」の国の労働とは、言い換えればそうした国の労使関係とは、一体どのようなものなのか。普通、スウェーデンと言えば、もっと他に興味深いテーマが沢山あるはずなのだが、労使関係、しかも伝統的なブルーカラーの労使関係を勉強しようと思ったのは、「労働のあるコーポラティズム」の労働の部分を知りたいという、素朴な思いからであった。そんな素朴な思いを胸に、現地語もままならぬまま、現地に飛び立った(経費節減のため関空→タイ→ストックホルムという南回りルートで。しかも、エールフランスの片道料金よりも往復料金の安いタイ国際航空で)。

で、結局のところ何が分かったのか。分かったことは、杜撰な人事管理の存在と、やんちゃで少年のような大人達(組合員)が存分に職場で交渉力を発揮している、という他愛もないことであった。スウェーデンでも賃金に能力査定が導入されている。しかし、職場のほぼ全員が最高評価を受けていたり、年々の事業所レベルの労使交渉で青天井に賃金が上がっていったりと、とても経営による人事管理が行われているとは思えない有様であった。と同時に、その成果を誇らしげに語る組合員は、さながら腕白小僧のようであった。こうした発見の結果、「労働のある」とは、この職場交渉のことを指しているんだな、ということが初めて分かった。

もちろんこれは、他愛もないことだけれども、社会的連帯が成り立っていると言われ、とかく産業レベルやナショナルレベルの労使関係の存在が強調されるスウェーデンの職場が、杜撰な人事管理とそれに乗じた職場交渉によって成り立っていたという事実は、日本の社会的連帯のなさ、精緻な人事管理との対比で、非常に興味深い事実として、自分自身の目に映った(2) 。この職場労使関係の姿こそが、スウェーデンと日本の労使関係の最大の相違点なのではないだろうか。

大雑把に言うと、この国の賃金制度は、60年代から70年代にかけては出来高給によって、80年代は時給(3)で、そして、90年代からは月給+査定と変換している。この流れは、北海を越えたところにあるイギリスと似ている。違うのは、賃金制度の変化とともにイギリスの職場労働者の交渉力が衰退し、労働組合のプレゼンスも低下していった一方で、スウェーデンでは今なおそれが維持されているという点である(4)。能力査定を目の前にしても。ただ、どうして、そうした交渉力が維持されているのか。この点については分からなかった。いつかどこかで考えてみたいテーマである。

が、その前に精緻な人事管理について学びたいという思いに駆られている今日この頃である。幸いなことに、この職場では、日本企業の調査の機会に恵まれる。嬉しい限りである。

[脚注]

  1. ^ コーポラティズムをきちんと定義する事は難しい。ここでは、政労使の三者が協力し、労働政策、社会保障政策、産業政策等を推し進めていくというラフなイメージでこの言葉を使っている。
  2. ^ 拙稿「スウェーデンの労使関係‐企業レベルの賃金交渉の分析から‐」日本労働研究雑誌No607PDFでは、雑駁ではあるが、そこでの事実発見をまとめてみた。
  3. ^ 正確には計測日給制と呼ばれるが、とどのつまりは時給というイメージで間違いはないと思われる
  4. ^ イギリスについては、戸塚秀夫他(1987)『現代イギリスの労使関係(上)』東京大学出版会や石田光男(1990)『賃金の社会科学』中央経済社が詳しい。

(2011年10月7日掲載)