私に何ができますか?―小さな社会実験―

特任研究員 吉田 修

私の団地に住民の自主防災組織が立ち上がってほぼ2年である。いつも直下型地震の予想震源地にされる東京湾岸北部、千葉県に近いマンション団地で築20年余。年金世代も増え地震・洪水などへの不安がたかまって結成された。以前にも自治会役員をやったが、今回の防災組織では住民活動の進化を目の当たりに見ることとなった。

自治体側が変化し、つきあいやすくなった

従来、自治組織は自治体行政の末端組織であり、赤い羽根だ美化運動だと、前年踏襲のものが多く「行政の下働き」的な図式が残っていた。防災訓練も十年一日の避難訓練と水かけ・電話通報訓練などで一度参加すればもう十分というものだった。しかし今回、自治体の姿勢は少し変って、住民が自主的にやろうとするものを積極的に支援するとの姿勢が感じられる。情報提供や起震車など公的資源の提供にも力を入れ、定型的メニューの押し付け的「普及・指導」からまじめな住民ニーズに沿ったサービス提供へと変わっていた。

住民側も賢く、アクティブになった

前例踏襲や行政のお仕着せ施策ではつまらないと、自分達の目で見直し、新しい工夫をはじめた。特に団塊世代が定年を迎え、地域に目を向けるようになったのは大きい。QC活動やコストカットで鍛えられた団塊世代の目には、従来の「防災」は随所にアラが目立つ。地震対策でもお役所の防災指針はわが団地に合わない。燃えやすい木造住宅地域向けの「避難第一」が基本で、燃えないマンション対応は手薄、被災負傷などでも「速やかに病院で手当を」が常套句の平時版応急手当法では有事には問題が多い。光熱水・食料・トイレ・通信・医療の全てについて有事には自己防衛しかないことも改めて発見した。

役所まかせは不安だ。必要な熱意もスキルも何より時間とエネルギーもある、という有志が集まって防災組織をつくると急速にレベルが向上した。例えば防災訓練では、企業の元企画部門スタッフや元建築設備屋が素案を練り、元海外プラント建設屋が緻密な進行計画書を作り、元消防署長が役所と折衝し、元PRウーマンがPCでカラーポスターを描き上げるといった具合だ。

新しい形の防災対策への「社会実験」

まず運営では、コピー一枚の経費を惜しみつつ、自分たちの目で地域の脆弱性や危険性を見直し、実践的・効果的な防災対策や訓練を行う。従来のしがらみを排して毎年ゼロベースから計画を練り直す。

行政との関係でも、一般的抽象的になりがちな自治体の防災方針の限界を見極め、公的情報・サービスは最大限に利用する一方で、この団地に具体的に必要な自主防衛体制やスキルを自力更生で整備する。住民も創意工夫して、例えば有事の停電、野宿などに対応して団地駐車場のマイカー発電や各種マニアによる段ボールハウス設営、野外調理指導、ハム無線利用など知恵を絞ってゆく。

小さな「社会実験」だが従来の行政主導の防災対策に比して、 (1) 防災対策の実戦化と対応レベル、便益/コストの向上や (2) 行政との機能分担で社会的コストの節約が期待できる。

最大の課題……「災害弱者」も「現役参加」へ

最大の課題は、住民自身に役割をもってもらうことである。特に高齢・病弱・障害などで災害に人一倍関心が強いのに、今までは公的には「援助対象」としてしか見られなかった人たちの参加・協力は大きな意義をもつ。

「まず参加を、どんなに小さくとも自分の役割を持とう」というのが最初の呼びかけであった。呼びかけを繰り返し、次第に各種の人々も参加するようになった。

病弱のシニア美女は「1年だけよ」と経理を、歩行障害の人は資金集めバザーで「古書店主」を分担し、手術後のリタイア組は担架で搬送の手順をつくり、高齢女性群は戦災炊き出しのノウハウを思い出してくれた。

誰もが「生涯現役」

「元気な限りは何か役に立ちたい」「私の年金は社会参加への報酬と思っている」と言う人も珍しくない。職業人とは一般に「社会的役割を継続的に引き受け」「活動により報酬をもらうこと」とされている。この意味ではこれらの人々は、まさに「生涯現役」の人々といえよう。「スキルも行動力、体力もないけれど」と質問を受けることも多いが、次のイタリアの例を紹介するとかなりのヒトがうなずいてくれた。

たまたま外国で見たTVニュースのお話である。

……先年、イタリアで大きな地震があり、古い町々に大きな被害が出てその情景がTVで世界に向けて放映された。救助隊は、生き埋めとなった人々を瓦礫の山から懸命に救出する。救助隊の中にはそろいのスカーフをつけた老女たちがちらほら交じっていた。足元もおぼつかない高齢の人もいる。TVカメラは彼女たちの働きぶりを追った。老女たちは救出された瀕死の人々に寄り添い、その手を握っていた。病院に移送されるまで、時にはそれも間に合わないままその生命の灯が消えるまでじっとそばにいて、時には語りかけながらその手を握り続けていた。救助隊の幹部はTVに語った。「彼女たちは不可欠の存在です。最も重要なサービスを彼女たちは提供している。重傷を負って助け出された人たちは家族・友人を失い、死が目前に迫っている。その一生でもっとも孤独で不安な状況だ。その時、自分のそばにいて手をとり見守ってくれる誰かがいるということはかけがえのない「安心」を与えてくれる。彼女たちはわれわれの必須のメンバーなのです」と。

幕末・明治維新やオイルショックの際の対応に見られたように日本人は危機感をもつといっせいに動くといわれる。地域では人々は気づき動き始めているようだ。

(2011年2月14日掲載)