労働者の声をつむぎ出す―日米の労働歌を口ずさみながら―

調査員 北澤 謙

10年以上前、アメリカの工場を訪問したとき、生産ラインが動くなか職場に設置されたスピーカーからハードロックが鳴り響いていたことを今でもときどき思い出す。従業員からの要望で流しているのだと責任者は言っていた。単調な繰り返しの作業の気を紛らわす役割があるということだったと記憶している。従業員は声に出して歌っていることはないものの、リズムを身体で刻む動作をしていた。今にして振り返ると、正に現代版の労働歌だと思う。

試みに広辞苑で「労働歌」を引いてみると、「 (1) 労働に伴って歌われる歌。田植歌、馬子歌の類。 (2) 労働運動や革命運動の中で広く歌われる歌」とある。言うまでもなくアメリカの工場で耳にした労働歌は (1) の意味での労働歌である。英語で前者は「 work song 」であり「slave song」[1]といわれたりもする。後者は決まった表現はないようだが「 labor song 」と呼ばれることが多いようだ。

アメリカのwork song、日本の労働歌

立命館大学アート・リサーチセンター[2]によれば、アメリカの work song には海の仕事の歌、炭鉱夫の歌、鉄道工夫の歌、そして黒人労働歌(フィールドハラー)などがある。

海の仕事の歌として、帆船の帆を揚げたり碇を揚げたりする作業にまつわる歌がある。水夫たちが並んでいっせいに綱を引く作業は、全員の力をうまく合わせなければならず、調子をとるために歌われた歌で、「引き歌」という。日本の海の歌にも「引き歌」がある。ニシン漁の引き網作業のときの歌から発生した『ソーラン節』が有名だ。

アメリカの炭坑夫の歌には、常に危険と隣り合わせの労働現場での慢性化した死の恐怖や、8歳~9歳から就労し、日光に当たらずに働き続け若くして死んでいく子供たちを悼む気持ちが読み込まれている。日本では「月が出た、出た」という歌い出しの『炭鉱節』が最も有名だが、これは掘り出された石炭からボタを取り除く作業のときに歌われたものだ。炭坑節は作業工程別にいくつかに区分でき、その一つ「ゴットン節」には「七つ八つからカンテラ下げて坑内下がるも親の罰」など幼い子供に労働をさせざるを得ない親の現実が歌い込まれている。アメリカの歌と共通する面がある。

鉄道工夫と道路建設工夫

アメリカの鉄道建設に従事した工夫の歌の中で最も充実しているのが、アフリカ系アメリカ人工夫の歌だ。『 Take This Hammer 』には苛酷な仕事から逃れようとする強い想いがこめられている[3]

このハンマーを持って監督のところへ持って行ってくれ

俺はもういないと言ってくれ

ただ、俺はもういないとだけ言ってくれ

アメリカの鉄道建設工事をめぐる逸話に、ジョン・ヘンリーという英雄的存在が登場する[4]。彼は怪力の持ち主で優秀なハンマー打ちだった。だが蒸気のドリルが普及することによって有能な肉体労働者はお払い箱になっていった。ジョンは掘削作業で蒸気ドリルとの壮絶な競争の結果、勝利したものの、ハンマーを握ったまま死んでしまう。苛酷な労働あるいは機械文明に殺されたともいえる実直なヒーローは、アフリカ系アメリカ人の労働歌によく現れる。

ジョン・ヘンリーは最強のたがね打ちでも倒れたでも倒れた俺の行方も同じ

神よ神よなぜ蒸気ドリルを送ったのですそのおかげで監督は俺を働きづめにする俺は牛のように仕事に追い立てられているのです[5]

アメリカの鉄道工夫の歌では監督は絶対的な存在で、歌はどこか悲哀に満ちている。

日本の鉄道敷設工夫の歌はいますぐ思い当たらないが、道路建設労働者の歌として『県道節』[6]がある。大正・昭和初期に沖縄で行われた県道敷設工事現場で工夫たちが歌った歌である。県道工事の辛さを現場監督にぶつけている。

監督やでかし立っちょて手間取ゆいせ私達人夫の達牛馬の扱け
(監督はいいよ立ってるだけで手間賃を取るわれら工夫たちは牛馬の扱い)

いかな監督ぬ働りよいしちん働るなよ仲間時間暮らし
(いくら監督がせっせと働けよと言っても働くなよみんなどうせ時間給なんだから)

アメリカの鉄道工夫の歌で過酷な労働と正面から対峙した結果、逃避しようとする姿や、ジョン・ヘンリーの物悲しい逸話が残っているのとは対照的に、沖縄の県道節では職場を一歩引いたところから眺め現場監督を痛烈に批判し、自分の姿を面白おかしく見せようとする力強ささえ感じる。また、県道節が興味深いのはwork songでありながら、labor songの様相があるということだ。仲宗根幸市[7]は「大正末から昭和の初期にかけて道路工事の現場ではストライキもあったという。県道節は労働者の権利に目覚めた人たちのレジスタンスもこめられて誕生したものだ」という。

背景にある日米の共通点

フィールドハラーは、鉄道工夫の歌もその一つであるが、アフリカ系アメリカ人がもたらし、ブルースのルーツとも言われている。slave songや prison work songs と言われることからもわかるように奴隷制の時代を色濃く反映しているし[8]、節回しはイスラム系の音楽に似ている。

県道節を生んだ沖縄は「 work song 」の宝庫だ。八重山地方[9]には「ゆんた」「じらば」と呼ばれる労働歌があり『安里屋ゆんた』[10]が有名である。「君は野中の」ではじまるものは戦後、歌いやすいように改変されたものであり、元々は竹富島を舞台に描かれた労働歌であった。沖縄本島から赴任してくる役人の権力に屈しない女性が描かれている。人頭税や強制移住のような圧政への抵抗がこめられている。「ゆんた」すべてがレジスタンスの意味を含んだものではなく、大地や海の恵み、自然の移ろいを歌ったものも多い。だが、権力者との関係が背景にあって「ゆんた・じらば」は育まれたと考えると歌の真意が見えてくる。フィールドハラーと「ゆんた・じらば」が育まれた社会の基盤には、近代の労使関係をはるかに超えた過酷な支配・被支配の関係を見ることができる。

アメリカと日本の労働歌をみてくると、文化や時代背景はまったく異なる中に、どこかに共通点を見出すことができる。このコラムでは字数の制限があるため labor song について語ることはできないが、谷川敏や渡辺一夫[11]らの資料を辿っていくと、労働運動の歌で日米を対比することで興味深い考察もできる。多少こじつけはあるものの、諸外国の労働問題に取り組んでいると、どこかでつながっている、あるいは共通する面を見つけて、思いがけない点に気づくことがある。

また、『Take This Hammer 』や『県道節』のような労働歌を辿っていくと、そこに労働者の声にならない声が隠れている。少々カッコつけて言えば、誰からも忘れられてしまいそうな労働者の声をつむぎ出そうという気持ちで私は労働政策の調査に取り組んでいる。

(2008年 9月 4日掲載)


[脚注]

  1. ^ 「prison work songs」といわれたりもする。
  2. ^ 立命館大学アート・リサーチセンター・アメリカン・フォークソング資料保存プロジェクトのホームページ
    http://www.arc.ritsumei.ac.jp/project/012.html
  3. ^ Lead Belly による『Take This Hammer』は以下のサイトで試聴することができる。
    http://jp.youtube.com/watch?v=DuzdTHOE67k
    Take This Hammerの歌詞は以下のサイトで読むことができる。
    http://www.bluegrasslyrics.com/flatt_song.cfm-recordID=s1552.htm
    なお、本文中の歌詞は筆者による訳出。
  4. ^ ジョン・ヘンリー(John Henry)は、アメリカの多くの歌や小説に登場するアフリカ系アメリカ人庶民の英雄。実在の人物かどうかの確証はなく、諸説あるものの共通しているのは、黒人でありアメリカの近現代社会への過渡期における黒人の疎外化を代表し、すべてのアメリカの労働者階級にとって英雄として描かれていることである。
  5. ^ 立命館大学アート・リサーチセンターの日本語訳による。
  6. ^ 県道節は作者未詳、県道建設工事現場で歌われ始め広まっていったとされる。発祥地は沖縄県南部佐敷と北部大宜味村など諸説ある。嘉手苅林昌『BEFORE/AFTER』B/Cレコード(1998年)所収で金城睦松によるものなどがある。ちなみに金城は県道工事経験者。なお、沖縄方言では歌意が伝わりにくいので現代語表現を筆者が付した。
  7. ^ 仲宗根幸市(1999)『島うた紀行』〈第三集〉沖縄本島周辺離島・那覇・南部編、琉球新報社
  8. ^ 代表的なフィールドハラー『Levee Camp Holler』は以下のサイトで試聴できる。
    http://www.sfgate.com/cgi-bin/object/article?f=/c/a/2004/08/15/INGMC85SSK1.DTL&o=0&type=printable
  9. ^ 石垣島を中心とする南西諸島西部の地域。
  10. ^ 大工哲弘『八重山民謡集』ビクター音楽産業(1991年)あるいは、アコースティッック・パーシャ『夏花』オフィスパーシャ(2003年)所収のものなどがある。
  11. ^ 谷川敏(1955)「アメリカの労働歌」(1)~(2)『日労研資料』日本労働研究所、8巻(15号) 、1955年4月、p24-25および8巻(16号)、1955年4月、p20-21
    渡辺一夫(1958)「労働歌と流行歌謡」『群像』講談社、13巻(7号) 、1958年7月、p141-145