NPOで人を育てる

JILPT研究員 小野 晶子

NPOの源流

1970年代後半から80年代前半、日本でNGO(非政府組織、主に国際協力分野で活動する団体)の設立が小さなブームとなった時期があった。ちょうどカンボジアがポル・ポト政権下にあり、圧政から逃れるため多くの難民がタイ国境へ流出した時期で、現在古参のNGOの多くがこの時期に設立されている。当時多くのNPO、NGOは法的整備や社会的認知もない中、人集め、資金集めに奔走した。

豊かさに悩む

未来の日本を担う国際的視野を持つ若者を育てることを一つの事業目的とし、発展途上国で行っている支援事業に学生ボランティアを派遣しているNGOがある。設立から20年余、人間ならようやく大人の仲間入りをした年齢である。今、その事務所にはひっきりなしに学生が出入りしている。「将来、国連で働きたい」、「貧しい国の子供を助けたい」、「NGOって何をしてるんだろうと思って」と、参加の動機はさまざまである。

半年以上、日本国内の事務所で働いて、約2週間から3ヶ月、さまざまな発展途上国での事業に就く。現地では電気も水道もない、もちろんテレビなどない生活。現地の人とふれあい、共に生活し何が必要なのか話し合う。自分の目で見て肌で触れて、豊かさや幸せについて悩み考える。

ラオスの農村に灌漑工事に行った学生が日本に帰ってきてポツリと漏らした。「電気も水道もないんだけど、みんな優しくて素直で、心が豊かなんだよね。助けられたのは私の方――本当の豊かさって、援助って何だろう」。 ほとんどの学生が同じような疑問を持って日本に帰ってくる。豊かな日本が失ってしまったもの、それはいったい――。

試行錯誤

学生にとってこのような経験は大きな宝となる。しかし、団体では学生ボランティアを事業の中に組み込むことは試行錯誤の連続だったという。職員が教える手間やコストを考えれば自分でやってしまった方が早いからだ。社会に出たことのない学生達を電話の取り方、文書の書き方から教育する。教えても学生は半年から2年ほどで団体を去っていく。はっきりいって非常に効率が悪いのだが、それでもボランティアを事業の戦力として据えている。

実はこのNGO、設立から10年ほど経って運営が軌道に乗り始めた頃、有給職員ばかりでボランティアがほとんどいなくなったことがあった。「仕事は淡々と回るのだが何か抜け落ちていると感じた」と団体関係者は当時を振り返っている。

NGOとはいえ日常業務はふつうの会社と変わらない。ともすると職員は志を忘れてしまいがちになる。けれどボランティアは率直な疑問や熱意をぶつけてくる。一緒に悩みながら事業に取り組むことで、忘れがちな心を思い出すきっかけとなる。ボランティアも重要な仕事を任されると責任感が生まれ、より深く活動に関わるようになる。

未来への期待

学生ボランティアは大学を卒業後、さまざまな分野に就職している。ある学生は「発展途上国との経済的不均衡を考えるには、世界を動かす金の流れを知らなくては」と外資系銀行に就職することを決めた。「自分に力がついたら、いつかまた国際協力の仕事をしたい」。彼はそう言っていた。20年前に始まった人の輪がようやく回り始めている。

NPOに学び、社会で磨かれて再びNPOにもどってくる。そんな世の中が来て欲しい。

だから、今、激増しているNPO法人が次の時代を作るきっかけに思えてならない。