諸外国の最低賃金
 ―コロナ禍における引き上げ状況(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、韓国)

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本調査は、厚生労働省の要請に基づき、イギリスフランスドイツアメリカ韓国の5カ国を対象に、コロナ禍における各国の最低賃金引き上げの概要やその現状をまとめることを目的としている。特に、コロナ禍によって経済的な打撃が深刻な中、どのような議論や根拠に基づいて金額を決定したのかについて、文献調査を通じてとりまとめた。

調査概要

最低賃金制度は、労働者にとって非常に重要なセーフティネットである。

日本の最低賃金額は、労働者・使用者・公益代表の三者構成による中央最低賃金審議会および各地域にある地方最低賃金審議会の答申を踏まえて、都道府県労働局長が毎年改定する。

令和2年度の最低賃金の改定額は、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う経済・雇用の影響等を踏まえ、1円引き上げの902円(全国加重平均)となった。他方、骨太の方針2020では、「より早期に全国加重平均1,000 円になることを目指す」とされており、コロナ禍でも最低賃金の引き上げが決定または予定されている諸外国の議論の状況を調査することで、今後の日本における最低賃金に関する政策の参考に資することを目的とした。

以下に簡単に各国のコロナ禍における直近の引き上げと議論の概要を紹介する。

(1)イギリス

イギリスでは、低賃金状況の広がりを背景に、全国的な最低賃金制度が1999年に初めて導入された。当初は、雇用への影響などを理由に反対論もあったものの、以降20年あまりを経て、制度はほぼ定着したといえる。全国に一律の最低賃金額を設定し、政府の諮問機関として設置された公労使からなる低賃金委員会が、雇用・所得等に対する影響、また経済情勢・雇用状況・統計上の平均賃金の上昇率などの動向のほか、企業や関係機関などへのヒアリング、各種の調査研究などを踏まえて改定案等を答申、担当大臣が決定する。

ただし、2016年に新設された「全国生活賃金」(25歳以上層向けの新たな最低賃金)については、財務省が導入時の額を決定、また 2020年までに統計上の賃金の中央値の6割に達するよう改定を行うことが目標として示され、委員会は目標達成に向けて年々の改定を検討することとなった。2020年4月の改定額は、前年の10月に低賃金委員会が担当大臣に答申した内容を受けており、コロナ禍の影響による経済や雇用への影響を考慮したものではないが、政府はこれを受け入れて改定を行った。

政府はさらに、2024年までに全国生活賃金を賃金の中央値の3分の2相当の水準に引き上げるとの目標を掲げ、これを前提として低賃金委員会は2021年4月の改定額の目安を示していたが、新型コロナウイルスに伴う経済や雇用、賃金水準への影響などに配慮し、当初の目安を下回る額を答申、政府もこれを了承している。

(2)フランス

フランスの法定最低賃金制度は、1970年に創設された「全産業一律スライド制最低賃金」(salaire minimum interprofessionnel de croissance)であり、一般的には頭文字をとってSMICと略称されている。2021年3月現在、1時間当たり10.25ユーロ、月額で1,554.58ユーロとなっている。直近の改定はコロナ禍において引き上げの議論が進められ、例年通り2021年1月1日に実施されたものであり、前回2020年1月に改定された月額10.15ユーロから0.99%引き上げられた。

SMICの引き上げ額は、物価スライド制と賃金スライド制に基づく指標によって、毎年改定率が決まり、政府裁量によって上乗せされる場合もある。原則として年に1回の改定であるが、直近の改定時からの消費者物価上昇率(タバコを除く)が2%を超えた場合、当該消費者物価指数公表の翌月1日に物価上昇分だけ自動的に引き上げられる。

SMICの改定率決定に先立って専門家委員会が開催され、直近の経済状況を踏まえたSMIC改定に関する議論が報告書としてまとめられることになっている(2009年から実施)。2021年の改定については、2020年12月1日に報告書が労働大臣に提出され、コロナ禍で労働市場の状況や大部分の企業の財務状態が悪化していることを踏まえ、政府裁量による上乗せはすべきではないと結論づけている。物価と賃金の上昇分以上の引き上げは、企業に対する悪影響が追い打ちとなり、人件費の増加による低賃金労働者の失業の懸念がある。雇用確保が優先されるべきであり、購買力の過度な引き上げは優先事項ではないという見解を示している。政府の引き上げ額は、この報告書に沿う形となった。

労働組合、特に労働総同盟(CGT)と労働者の力(FO)は、SMIC水準で就労する労働者はコロナ禍で大きな影響を受けていることを踏まえて、政府裁量による上乗せを求めており、今回の引き上げ額に強く反発している。

(3)ドイツ

ドイツでは、約10年の議論を経て、2015年1月1日に全国一律の法定最低賃金(時給8.5ユーロ)が導入された。連邦統計局の推計によると、2015年の導入によって約400万人の労働者が恩恵を受けた。導入前は、大量の失業者が発生するとの懸念もあったが、導入後、そのような現象は起きていない。

導入後は、最低賃金法に基づき、2016年、2018年、2020年と、2年毎に労使や学識で構成される最低賃金委員会が開催され、引き上げの勧告が出されている。直近では、コロナ禍の2020年6月30日に3度目の最低賃金委員会が開催され、2021年1月以降、2年間かけて半年ごとに4段階の引き上げを実施する勧告が出された(2021年1月に9.50ユーロ、同7月に9.60ユーロ、2022年1月に9.82ユーロ、同7月に10.45ユーロ)。政府はその勧告を受け入れ、2021年1月から1回目の引き上げがすでに実施されている。

2020年の最低賃金委員会は、コロナ禍における前例のない不況下で引き上げの凍結を求める使用者側委員と、大幅に引き上げることで購買力を高めて消費を増やす重要性を主張する労働者側委員の主張の隔たりが大きく、当初は調整が難航したが、最終的に労使委員ともに全会一致の上で勧告案が発表された。

勧告に当たり、最低賃金委員会は、各種のデータや予測、労使の議論、関係団体のヒアリング等を参考としつつ、最終的に従前の協約賃金の動向を重視した金額を提示したが、他方で、「最低賃金の水準は、少なくとも国の中央賃金の6割以上(ドイツの場合は時給12ユーロ)とすべき=労働者の必要最低限の生活を保障する額」という主張がある。ドイツでは主に労働組合や連邦労働社会大臣等がこの主張を認める立場に立つが、根強い反対論がある。そこには「労使自治による賃金決定」を重視してきたという歴史的経緯と、最低賃金導入の目的がそもそも「労使自治の安定」のためであったということが背景にある。

今後も、労使自治に基づく協約賃金の動向を重視する主張と中央賃金の6割以上に引き上げるべきという主張のせめぎ合いが続くものと思われる。

(4)アメリカ

アメリカの最低賃金制度には、連邦最低賃金と州別最低賃金がある。市や郡で独自の最賃を設けているところも多い。州最賃の金額が連邦最賃を上回る場合、州最賃が適用される。連邦最賃は公正労働基準法の改正、州最賃は州法の改正等により改定される。

連邦最賃は、2009年7月24日に7.25ドルになって以降、据え置かれている。21年1月に就任したバイデン大統領は15ドルへと引き上げる方針を示した。これを受け、与党民主党の議員らが連邦最賃を4年かけて段階的に15ドルへと引き上げる内容の法案を連邦議会に提出した。15ドルへの最賃引き上げについて、3分の2(67%)の国民が賛成との世論調査もあり、労働者の所得の増加、貧困層の減少という効果が期待されている。その一方で中小企業などでは経営難を招くのではという危機感が強い。

米連邦議会予算局(CBO)は21年2月8日、15ドルへと段階的に引き上げる内容の法案が21年3月に制定された場合の影響をレポートにまとめた。それによると、25年までに1,700万人の労働者が引き上げの影響を直接的に、1,000万人が間接的に受ける。増加分の賃金総額は3,300億ドルになる。一部の企業はテクノロジーや自動化に投資することもあり、雇用は140万人(0.9%)喪失する。その一方で貧困層は90万人減少し、低所得者向け支援制度のコストは縮小する。

州最賃はコロナ禍の2020年12月以降に限っても20州で引き上げられており、全米50州のうち30州及びコロンビア特別区で連邦最賃を上回る水準となっている。コロンビア特別区では20年7月に15ドルに達したほか、シアトル市(16.69ドル)、サンフランシスコ市(16.07ドル)などで15ドル以上の最賃を実現させている。フロリダ州では20年11月3日に住民投票が行なわれ、26年までに15ドルへと段階的に引き上げる法案が賛成多数で成立した。

州最賃の具体的な改定方式は各地で異なるが、①「ある年までに何ドルへと改定する」というスケジュールを組み、段階的に引き上げていく、②毎年、消費者物価指数等をもとに所定の計算式を適用して自動的に改定する、③改定時期を設定せず、連邦最賃の改定時など必要に応じて見直す、といった方法がとられている。

(5)韓国

韓国の最低賃金は、地域や年齢の区別なく全国一律の最低賃金額が適用されている。最低賃金は、最低賃金委員会(公労使各9人の委員で構成)の審議・議決を経て、雇用労働部長官が毎年8月5日までに翌年1月1日から適用する最低賃金を決定する。最低賃金は、勤労者の生計費、類似勤労者の賃金、労働生産性及び所得分配率等を考慮して定めることとされている。

2017年の大統領選挙では、すべての主要政党が時給 10,000ウォンの実現を掲げ、文在寅大統領も2020年までの時給10,000ウォン達成を公約した。文政権発足後、2018年は16.4%、2019年は10.9%の大幅な最低賃金引き上げが実施された。しかし、人件費負担の増大にあえぐ中小零細事業者等からの痛烈な批判を受け、2020年の最低賃金引き上げ率は2.87%に抑制された。

新型コロナウイルス感染症の拡大後に行われた2021年適用最低賃金に関する最低賃金委員会の審議では、当初、労働者委員が低賃金労働者の生活安定と格差是正を理由に時給10,000ウォン(16.4%引き上げ)を要求した。使用者委員は最近の最低賃金の大幅引き上げによる中小零細事業者の経営環境悪化を理由に時給8,410ウォン(2.1%引き下げ)を要求した。その後、労使が修正案を各3回提示したが、意見の隔たりを埋めることはできなかった。労使の要請により、公益委員が2020年の経済成長率見通し(0.1%)、2020年の消費者物価上昇率見通し(0.4%)および労働者の生計費の改善分(1.0%)を反映した、時給8,720ウォン(1.5%引き上げ)の統一案を提示した。在籍委員27人のうち16人が出席する中、公益委員統一案の採決が行われ、賛成9人、反対7人で可決された。新型コロナウイルス感染症の拡大による企業業績の悪化を反映し、1988年の最低賃金制度創設以来、最も低い1.5%の最低賃金引き上げ率となった。

以上のように、最低賃金制度は、各国で異なる。また、昨年から今年にかけて世界中に影を落とした新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響による不況下において、いずれの国も、コロナ禍における経済的な打撃を考慮しつつ、その他の様々な要素を加味しながら最低賃金の引き上げを実施していることが明らかになった。

コロナ禍における諸外国の最低賃⾦の改定状況
画像:図表2

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