アジアのIT人材育成戦略:インド
インドのIT産業における人材育成
—TATAコンサルタンシー・サービシズ(TCS)社の場合

(本稿の内容は 2006 年3月にJILPTが開催した国際シンポジウム「インド、韓国のIT産業―急成長を担う高度人材、その育成戦略とは―」におけるTATAコンサルタンシー・サービシズ社アドバイザー R・ナラヤナン氏の講演に基づいている。)

R. ナラヤナン
(TATAコンサルタンシー・サービシズ(TCS)社アドバイザー)

インドのIT産業はなお成長途上にある。アブドゥル・カラム大統領は、「IT産業は2000億ドル規模に達する」と予想しているが、アナリスト達の間でも2年後には600億ドル規模あたりまで成長することは可能だと考えられている。また、この産業によりおよそ300万人から400万人ほどの雇用機会が創出されると言われている。なぜこのようにしてインドのIT産業は飛躍できたのだろうか。

インドのIT産業が成長したのはなぜか?

その理由について考えてみる。まず第一に、業界の中で技術に対する徹底した教育訓練が行われていることがあげられよう。平均して収益の4%ほどが従業員の教育・訓練のために充てられている。第二に輸出仕様モデルに対して従来から競争力のある価格と品質を確立させてきたこと。第三に丁重に顧客に接するという文化的背景。第四にこれはイギリスの支配下に置かれていた産物だが英語の語学能力があるということも大きい要素だ。このほか政府のイニシアチブ、ビジネスにとって好ましい環境が整っていたことなど――を列挙することができる。今後もインフラの整備が進み、広範なスキルが育成できれば、インドのIT産業はさらに成長する可能性を持っている。そしてこれらはいずれも、顧客の願望を実現させる要素へとつながっている。

グローバルなテクノロジーへのアクセスが可能となった今日、インドでは外国からの直接投資や多国籍企業を国内に引き寄せることが図られている。テレコム部門については、政府の独占から開放され、必要な電子ファイリング、電子署名、サイバー法といった法的な枠組みが確立された。このほか、ベンチャー基金とさまざまな特別工業団地や経済地区が設けられワンストップ型のサービスが提供されている。例えばある企業がインドへ上陸した初日からすぐに事業が行えるような簡便な仕組みが構築された。こうしたことが、いずれも質が高くてコストの低い投資先であるため、かなり高度な企業の投資が広範に行われている。さらに、NASSCOMなどのソフトウェアサービス協会が政府に対してロビー活動を行っており、グローバルなマーケティングのいわば触媒としての機能を果たし、IT産業の振興に貢献している。これらのこともインドの投資先としての魅力を高めている要素の一つだ。

顧客ニーズをいかに理解するかが鍵

インドのIT産業は、ここ30年から40年の間にめざましく飛躍してきた。初期のころはプログラミング能力の輸出が主だったが、これで信頼を築き、プロジェクトを丸ごと受注するといったケースが増えてきた。必要なソフト、デザインの要件で顧客のニーズを理解していると評価されるようになってきたのだろう。そして現在では、顧客に対して戦略的インプットを提供するビジネスコンサルタントというレベルにまで至っている。

今日、テクノロジーは大量に出回っている商品となり、だれもが簡単に身につけることのできる万人のものとなった。市場競争の中で成功をおさめることができる企業というのは、ユーザーの情報に対してのニーズがどれだけ的確に理解できるかどうかにかかっている。顧客はどのような形で発信したいのか、どの程度の頻度でアップデートすべきなのかといったことをすべて把握することが必要。テクノロジーは万人に共通であるから、大事なのはどこまで顧客のニーズを把握し、それを実現できるかということだ。

インドのIT業界がそういった高度なビジネスコンサルタントとしてのスキルを開発し伸ばしていくことがなぜできたかというと、常に顧客のニーズを考え、理解し、顧客に対して満足感を提供できてきたから。顧客のニーズがどこかに存在する限りわれわれの進歩は止まらない。そしてわれわれはもっと大きな形での飛躍を目指している(図1参照)。

教育制度に対する期待は大きい

教育制度に対して何を期待しているか。知識やスキル、そして働く姿勢や心構えを備えたプロを育てていくということについて、インドのIT業界が教育制度に期待するところは大きい。IT教育は孤立して存在するものではない。ITエンジニアには、物事を抽象化し、サイズ、モデリング、検査、品質管理といったさまざまな要素に対応することが要求される。数学や物理、エンジニアリング、航空力学といった学際的な教育を身につけていくことも必要だ。例えばJavaのプログラマーを養成する際に、単に技術だけのプログラマーを要求しているわけではない。必要なのは全体的な人格の育成であり、これを教育機関に求めている。

われわれは失敗から学んできた。テクノロジーについて完璧なプロジェクトを実現することはできるが、それがまったく見当違いな問題に対してのソリューションだったら意味をなさない。すべてが白黒はっきりしているわけではない。あいまいなものを実現させることも大事。過程を知った上で、その過程に基づいて行動することも必要だ。ロジックに基づいての数学的なこと、社会的責任を果たすハード、ソフト両方の要素をすべて総括的にとらえることができるような教育が必要である(図2参照)。

グローバル企業は文化的理解が必要

エンジニアリングやマネジメントについて、われわれはコストなどハードの要素を非常に求める。しかし人々の生活の質をどうやって保つのかといったソフトの要素についても考える能力が重要である。生きていくことの技術と科学と、生きていくこと自体の感性と理論といった両方の面について考えていかなければならない。われわれはグローバルな企業であると同時に、現地になじんだ企業であり続けたいと考えている。日本に進出しているのであれば日本の会社と同じように働いて、日本の会社と同じように行動しなければならないのである。文化的な背景においてのさまざまな問題性に対して、理解できる能力が必要となっている。

必要なスキルを必要な雇用のために

資格と仕事をどうマッチングさせるかは難しい課題だ。例えば、修士号を取ってからプログラマーになるといったように、従来から教育的な資格と求められている仕事の間にはずれの問題がある。そこでわれわれは、アウトソーシング、プログラミング、システムエンジニアリング、ハイエンドサービス、アーキテクチャー、R&Dについて大きな分類の区分けを考えて教育内容のマッピングを行い、それぞれの要素に対応していくやり方で整理していくことを提案してきた。例えばIT業界で働く際、人文科学専攻の人間は何を学ぶべきなのか、経済、商学、商法専攻の人間は何を学ぶべきかということをまとめ、ウェブ上で提供している。パキスタンなど多くの国は既にこの内容を自国のITに利用している。

グローバルな労働力

われわれは競争という言葉はあまり使わない。われわれのパイは、むしろみんなで協力していくことで十分成り立つほど大きいパイではないかと考えている。ITサービスは輸出可能な産業である。今日われわれは、さまざまな地域のグローバルな顧客の要求に対してこたえることを求められている。例えばGEから仕事を受注した場合、GEは世界各国で展開しているので世界各国での対応が求められる。そういうことからグローバルなオペレーションセンターを立ち上げる必要性が生じ、かつ労働力の多様化も図らなければならない。われわれはこうした変化に対応できるようなコンピテンシーをつくりあげるという課題に直面している。

現在TATA社の従業員は6万人強で、従業員の7.6%はインド人以外の国籍者である(図3参照)。

人的資源開発ツシステム

ビジネスモデルの進化に追いついていくためには絶え間ない学習が必要だ。大学においてはもちろん、産業界における教育訓練が重要である。ソフトウエア・エンジニアリング・プロジェクトの関係を管理する、いろいろ分野における知識が必要とされ、多様な言語にも対応できなければならない。

研修において新規採用者は2カ月間、まず初歩的学習を行い、その上にそのほかの学習を重ねていく。研修の課題は、大学と産業界のニーズのギャップを埋めということ。4000時間のトレーニングを受けても、ビジネスが求めるものと整合性がなければ何の意味も持たない。戦略に合致していなければならないのである。

われわれは能力を管理するためのエンタープライズツールを持っている。例えば、リレーション・データベース・マネジメントのエキスパートになろうとした時、自分がどこに位置しているのかということを診断することができ、さらにもっと高いレベルを達成するにはどういうギャップがあるのかということもわかる仕組みだ。このようにして実際に自分の能力の足りないところを埋めていくことができ、高いレベルを達成することが可能なツールとなっている(図456参照)。

産学協同の必要性

産学協同の成功例というのはそう多くないのではないか。世界じゅういろいろなところを見ても、産学協同事業でうまくいっている事例はあまり見ない。これは、期待度が高過ぎるということが原因ではないか。産業界というところは利益を出さなければいけないところで具体的な問題解決が必要とされる。一方学術界は学問の追究が目的で、一般論の解決を求める。業界ではかなり絞り込んだエッセンスのみを求めるが、学術界は発表しなければならないので理論的な整合性を求められるという違いがある。

われわれはグローバルなインターンシップ制度をもっている。教師の能力開発プログラムも整備されており、地域間のミーティングもある。ゲストレクチャー、サバティカル休暇待遇などの仕組みも持っており自主性を持って産業界、学術界がうまく協力できる体制ができている。逆に政府がここに関与すればいろいろな足かせになってしまう恐れもある。

われわれは300のエンジニアリング大学と提携しており、そのうちの50~60がトップクラス。すべてに優秀な教授陣を送り込むことは事実上不可能なので、50~60のトップ校で優れたカリキュラム、コンテンツを確立し、それをほかの大学に提供するといったシステムを目指している。スイッチをひねれば電気がつき、蛇口をひねれば必ず水が出るというような形が理想的だと思っている(図7参照)。

図1

  • 全体的視野に立ったアプローチ―失敗したプロジェクトからの学習
  • 抽象化する能力
  • 曖昧さと不確実性を処理する能力
  • 論理と数学能力
  • 社会的責任を確保する 品質管理
  • 「ハード」および「ソフト」の要素を同時に処理する能力
  • 新しいコンサルティングの枠組を生み出す能力
  • 生活の技術と科学に対する能力

図3

TCSの場合

  • 50カ国以上の市民を雇用
  • 合計6万人以上の従業員の約7.6%はインド以外の国籍者
  • 23%は女性従業員
  • 業界で最も低い8.7%の離職率

図4

図5

図6

  • グローバルなインターンシップ制度
  • 教師のための能力開発(Faculty Development)プログラム
  • ソフトウェア工学に基づく問題解決のための公的ウェブサイト新しいウィンドウへ
  • 毎年行われる上級管理職と各機関の長との会合
  • 毎年行われるCS部門の長との地域的な会合
  • 最優秀学生プロジェクト賞
  • 従業員のためのオーダーメードの修士プログラム
  • ソフトスキルに関する業界からのゲスト講義
  • 学界のカリキュラム改訂作業への参加
  • 学界関係者が産業界で働くための休暇待遇

2006年4月 フォーカス: アジアのIT人材育成戦略

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