「生活賃金」の現状

カテゴリー:労働条件・就業環境

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  • 国別労働トピック:2015年10月

不況以降、賃金水準の持続的な低迷や不安定雇用の増加などで、就労世帯の間の低所得化が進行する中、こうした層の所得の底上げをはかる方策の一環として、生活賃金が注目されている。非営利団体が中心となって、雇用主に自主的な取り組みとして導入を働きかけるもので、最低限の生活水準の維持に必要な賃金額の算定に基づき、最低賃金額を上回る金額が設定されている。

生活賃金運動の背景

生活賃金(living wage)キャンペーンは、労組や宗教団体、非営利組織などが結成した市民団体(現Citizens UK)が中心となって、2001年にロンドンで開始した運動だ。当時既に導入されていた全国最低賃金制度は、ロンドンでの生活費を賄える額ではなかったことから、最低限の生活の質を維持するために必要な賃金額を別途計算し、雇用主に自主的な導入を求める取り組みとして広がった。2005年に当時のロンドン市長が導入を決めて以降、公共部門や非営利組織のほか、医療や金融などの民間企業に導入が拡大している。また2011年には、ロンドン以外の地域に共通の生活賃金額が設定される(算定方法を定式化)とともに、Citizens UK内に設立されたLiving Wage Foundationが、生活賃金の普及促進を担うこととなり(注1)、同年に開始された認証制度によってこれまでに認証を受けた雇用主は、全国で1774組織を数える(注2)。認証組織には、18歳以上の被用者および条件を満たす請負労働者(注3)への生活賃金以上の支払いのほか、生活賃金額の改定から6カ月以内にこれに準じた改定を行うことなどが求められる。なお、2015年には家具販売業のイケアが新たに認証組織となったほか、大手スーパーマーケットチェーンのリドルが、同業界では初めて生活賃金に準拠した賃金を導入するなど、低賃金労働者を多く抱える業種にも普及しつつある(注4)

生活賃金の導入により直接的な賃上げの恩恵を受けた労働者数に関する最近のデータはないが、2013年時点でおよそ3万4000人と推計されている(注5)

最低限の生活費や平均所得水準をもとに算定

生活賃金額は、生活費が相対的に高いロンドンと、ロンドン以外の地域の2種類が設定され、毎年改定されている。ロンドンの生活賃金額については大ロンドン市庁(Greater London Authority)の経済部門が、またそれ以外の地域についてはラフバラ大学の社会政策研究センターが、それぞれ改定額の算定を担っている。2014年時点で比較すると、ロンドンの生活賃金が4割、ロンドン以外が2割、最低賃金額より高く、この差はここ数年拡大傾向にある(図表参照)。

図表:生活賃金と最低賃金の推移(単位:ポンド)
図表:生活賃金と最低賃金の推移のグラフ

  • 注:成人向け最低賃金額の適用対象年齢は、2010年に22歳から21歳に引き下げられた。また2008年のロンドン以外の生活賃金額は、単身世帯のみの額であり、2011年以降の額とは計算方法が異なる。
  • 出所:Living Wage Foundation ウェブサイトほか

ロンドンの生活賃金額は、生活費と平均的所得水準の二つのアプローチにより算定される。前者は、「低費用だが許容可能な生活水準」の維持に必要な基本的生活費の試算から、これに必要な賃金水準を導き出すものだ。基本的生活費の算定には、成人と子供の数による4タイプの家族構成(成人2人子供2人、成人1人子供2人、成人2人子供なし、成人1人子供なし)とフルタイム・パートタイムの雇用の組み合わせで、11タイプの世帯構成がベースとなる。生活費の大まかな区分は、住居費、カウンシル税(地方税に相当)、交通費、育児費、その他の5区分で、それぞれ統計データに基づいて試算される。これを5ペンス幅で最も近い概数に置き換えたものが、生活費アプローチによる生活賃金額となる。

後者の平均所得によるアプローチは、世帯あたりの平均可処分所得(世帯規模・構成により調整したもの)を元に、世帯平均の6割に相当する所得水準を算定するものだ。

これらから算出された時間当たり賃金水準を平均し、これに想定外の出来事に対応するための加算額15%分を増額して最も近い5ペンス幅に合わせたものが、最終的に生活賃金とされる。2014年の例では、生活費アプローチによる7.65ポンドと、所得分配アプローチによる8.25ポンドの中間、7.95ポンドに15%を加え、9.15ポンドとしている。

一方、ロンドン以外の生活賃金の算定は、「最低所得水準」(minimum income standard)に基づく。最低所得基準は、必要最低限の生活水準に関する市民の意識を調査し、これに基づいて生活費を計算するもので、2008年に初めて公表されて以降、毎年改定されている(注6)。考慮される内容は、食料、衣料、消費財・サービス、交通費、社会的・文化的活動への参加、住居費・燃料代などで、生存に必要な最低限の物的条件以外に、贅沢ではないが人々が最低限必要と感じるものを含む。独身世帯から子供4人のカップルまで、世帯構成や子供の年齢などで9タイプの世帯を設定し、各タイプについて必要最低限の消費に要する費用をもとに、最低所得水準を算定する。これに、住宅費、カウンシル税、育児費の平均的な額(注7)、を加えて、世帯タイプごとの生活費が求められる。なお、各世帯は受給可能な給付や経費補助を全て受給することが前提となる。

ここから、世帯タイプごとの生活費の確保に必要な年間の賃金額を割り出し、これを成人一人当たり週37.5時間(フルタイム労働)で割り戻した上で、タイプごとの世帯数で加重平均して求められる金額が、暫定的な生活賃金額となる。もしこの金額の対前年上昇率が、直近の平均賃金上昇率を大幅に上回る場合は、平均賃金上昇率プラス2%が上昇率の上限となる。これは、雇用主への過度な負荷となることは避けるべきであるとの考え方による。

2014年11月の改定では、上記により算出された9.20ポンドの暫定額が、前年の7.65ポンドを大幅に上回っていたため、直近の賃金上昇率0.7%(注8)に2%を加えた2.7%の上限が適用され、新たな生活賃金額は7.85ポンドとなった。

「全国生活賃金」は生活賃金ではない

政府は7月の緊急予算の公表に合わせて、「全国生活賃金」導入の方針を示した。既存の最低賃金制度において、25歳以上層に関する加算制度を設けるという内容で(注9)、従来の生活賃金とは成り立ちが根本的に異なる。このため、最低賃金の引き上げ自体は歓迎しつつも、水準としては生活賃金には達しないことなどをめぐり、従来の生活賃金の担い手の間には困惑も見られる(注10)。また、緊急予算の重要な柱として示された社会保障給付の削減策などが、全国生活賃金により想定される賃上げの規模を大きく上回ることから、新たな加算制度を考慮しても、低所得層の間ではさらに所得低下が生じるとみられている。上記のとおり、従来の生活賃金は社会保障給付の受給を前提に金額が計算されるため、削減策の影響により生活賃金額の引き上げが必要になる可能性も指摘されている。

雇用主の反応も様々だ。これまでに、賃金水準が低い小売業や飲食業などの企業や業界団体などが相次いで懸念を表明、賃金以外の手当の削減や労働時間の圧縮、従業員の削減、あるいは価格への転嫁などにより対応せざるを得ない、と述べている。また、同様に低賃金部門である介護業では、大幅な賃金コストの増加から、サービスの質の低下や最低賃金違反の増加の可能性が指摘されている(注11)

参考資料

参考レート

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